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書を持ち、学び続けよ

今日のおすすめの一冊は、藤尾秀昭氏の『小さな 修養論 2』(致知出版社)です。その中から「時間の使い方によって、運命は決まる」という題でブログを書きました。

本書の中に「書を持ち、学び続けよ」という心に響く文章がありました。

《少年老い易く学成り難し》 
「少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず 未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅうそう)の夢 階前(かいぜん)の梧葉巳(ごようすで)に秋声」 

南宋の大儒者、朱熹(しゅき)の有名な詩である。題は「偶成(ぐうせい)」。越智直正(おちなおまさ)氏は その著『男児志を立つ』の中で、この詩をこう解釈されている。 

「年をとるのは早いが、理想を成就するのは難しい。わずかな時も無駄にしてはならない。石段の脇に繁るアオギリの葉が秋の訪れでいつしか色づいているように、自分自身が人生の秋ともいうべき初老の時期にさ しかかってしまった。少年時代を楽しむうち、早くも老境は迫ってくる」 

「学」を単なる勉学ではなく「理想」と捉えているところに、古典を生きる糧とされてきた人ならではの独自性がある。 歴史を辿ると、一寸の光陰を惜しんで学んだ多くの先達に出会う。

 『福翁自伝』によると、福沢諭吉は緒方洪庵(こうあん)の適塾(てきじゅく)での修業で、布団を敷き夜具をかけ枕をして寝たことがなかった。寝るのは机に寄りかかるか床の間を枕にするぐらい。それほどに勉強したのだ。

勝海舟もまた、「貧・骨に到り」と表現するような極貧の中で勉強した。「夏夜幟(かや)無く、冬夜衾(ふとん)無く、たゞ日夜机に倚(よ)って眠る」という毎日。飯を炊くにも薪がなく「自ら椽(たるき)を破り、柱を割いて」飯を炊いた。「困難ここに至ってまた感激を生じ」と日記に記している。

そういう生活の中で海舟はオランダ語の習得に励んだ。辞書は高価で手が出ないので、借料を払って借り受け、それを一年かけて二部写し取り、一部は自分用。もう一部は売って金に換えた。学ぶべきは、この精神のタフさである。ここで忘れてはならないのは、先達の先達たる所以は、若年期だけでなく、生涯学ばんとする姿勢を貫いた、ということである。

「業(ぎょう)高くして廃せず等身の書」という古言がある。いかに学業を積んでも、地位や身分がいくら高くなっても、その時の自分にふさわしい書を持ち、学び続けよ、ということである。

晩年の安岡正篤師もこんな一言を残している。「老年廃せず少年の学」。老年になっても若き頃に聖賢の人たらんと燃えた情熱を失ってはならない、ということである。人生は生涯をかけて自分を完成させていく修養の道程…朱熹の詩が教えているのも、畢竟(ひっきょう)そのことである。

いくつになっても、どんな境遇になっても、書を読み、学び続けることは、古来より、聖人が等しく行ってきた己を高める方法だ。

「少年老い易く学成り難し」の言葉を胸に刻みたい。

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