井戸をとことん掘り続ける
今日のおすすめの一冊は、齋藤孝氏の『君の10年後を変える言葉』(フォレスト出版)です。その中から「本気でその役を生き切れ」という題でブログを書きました。
本書の中に「井戸をとことん掘り続ける」という白洲正子氏の心に響く文章がありました。
《好きなことを 何でもいいからひとつ、 井戸を掘るつもりで、とことんやるといいよ》(白洲正子・随筆家)
ひとつのことを究めるために必要なステップをとことんやり続けていくと、そのステップ自体が自然と身についていく。そしてそれはどの分野でも同じだ。やることは違っても、その道の一流になるまでに踏むべきステップは似たようなものなのである。
その証拠に、ひとつの道を究めた人同士は、たとえばそれが野球選手と科学者のようにまったく別の分野であっても、多くを語らずに互いがしてきたことをすぐに理解できる。
白洲正子は、樺山伯爵家の次女として生まれ、その確かな審美眼とともに、能や古美術など日本の伝統文化に造詣の深いことで知られた女性随筆家である。 この言葉は、正子が彼女の評伝を書いた川村二郎に言った言葉だという。
正子は次のように続けた。 「途中で諦めちゃあ、ダメよ、わかる? とことん掘るの。とことんやれば、地下水脈に当たるわ。地下水脈はは四方八方に通じてるでしょ。地下水脈に当たると、突然、ほんとうに突然、いろんなことがわかるのよ」(いまなぜ白洲正子なのか/東京書籍)
「地下水脈に当たるといろんなことがわかるようになる」というのは、ひとつのことをとことんまで突き詰めたら、他の分野のことも含め、世の中のいろんなことが見えてくるということだ。何においても普遍的な上達の論理がある、ということでもある。
白洲正子自身は、自ら井戸を掘り当てたと感じたのは50歳を過ぎてからだという。 4歳で梅若実に能を習いはじめ、14歳にして女人禁制だった本舞台に初めて立った正子だが、その後50年近く続けた能を振り返って、「一番の財産は女で初めて本舞台に立ったことではない。梅若実の芸談を聞き書きできたこと」と言い切っている。
彼女の師匠である梅若は、井戸を掘るようにどこまでも能を追い求めたという。語る言葉も常に能のことだけだった。そして、名人と呼ばれるようになったときに、地下水脈に当たったのだと、正子は語る。
地下水脈は四方八方に通じている。だから、名人の言葉は、世の中のいろいろなことに通じるのだ、と。 何事も一芸に徹するとひとかどの人物になれると言われているのは、やはり人間のやることに普遍的な論理があるからなのだ。だからこそ、何の仕事に就いているかよりも、その仕事で一流かそうでないかのほうが大きな違いになってくる。
たとえば、会社に入ってまだ3年目くらいの若手だと、他の会社の人と話しても、その業界のことがわからないからあまり話が弾まないということがあるだろう。30代後半になり、いろいろと難しい仕事もこなしてきて自分の仕事において一流と言えるようになってくると、他の業界の人たちと話していても、さまざまな場面で話が通じ、会話にも奥行きが出るようになってくる。
白洲正子は1910年、伯爵樺山家に生まれ、アメリカのハートリッジ・スクールに留学。帰国後、吉田茂首相の側近だった白洲次郎と結婚した。
安岡正篤氏は「易と人生哲学」(致知出版)の中でこう述べています。
六十四卦の中に、「水風井(すいふうせい)」という卦があります。「水風井」とは、物事が行き詰まり苦しくなった場合の答えが、「井」の卦であります。行き詰って、どうにもならないときには、その事業、生活、人物そのものを掘り下げるより他によい方法がありません。
たとえば、井戸を掘りますと、初めはもちろん泥でありますが、それを掘り進めますと泥水が湧き出します。それを屈せず深く掘り下げると滾々(こんこん)として尽きない清水、水脈につきあたります。これが「井」の卦であります。
最初は泥しか出なかったとしても、屈せずにさらに掘り進め、清水が出るまで続ける人でありたいと思います。
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