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単なる勘違い

今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『日々の暮らしを楽にする』(Gakken)です。その中から「投げかけた結果が今の状況」という題でブログを書きました。

本書の中に「単なる勘違い」という素敵な文章がありました。

ある方から、このような質問をされました。「有名な神社の境内を歩いていたら、雲の切れ間からものすごい白い光が射し込んできました。その光は、自分の体を包み込み、とても幸せな気分になりました。その後、その光が体の中に全部入りこんでいったのですが、あの光は何だったのでしょうか」
私の答えは、「単なる勘違いだと思います」というものでした。ものすごい光だったら、あの光は何だったのかという質問をすることはありません。光に包まれた夜から突然作曲をしたくなり、CDにしたら何万枚も売れ、それだけで生活ができるようになった。又は、突然に絵を描きたくなり、描いた絵が飛ぶように売れたというなら、その光は本当にすごい光だったと証明されます。そういうことが何ひとつ起きていないから、私に質問しました。ですから、勘違いなのです。
人間は悲しいことに“自分がすごい人だと思いたい”というところがあります。これまでにたくさんの方から、「何年も本当の自分を探しているのですが、見つかりません」という相談を受けました。この方たちに対して「今、あなたは何をやっているのですか?」と聞くと、主婦、会社員、自営業など、いろいろな答えが返ってきます。
本当の自分は別のところにいて、スーパーマンのようにいつか変身できるはずと思っているのかもしれません。しかし、本当の自分とは「今」の姿であり、仮の姿というものはありません。
石段を人生に例えてみたとき、今日立ち止まっている私は、過去の人生の中で最高位、最高峰にいるんだと再認識をすることで、いろいろなものが見えてきます。とても長い距離を上ってきて、今日の私は人生の中で一番優れたところにいるのです。
「あのとき、ああすればよかった」と後悔している人がいます。そのときの自分が選択したものは、最善であり、間違いというのはありません。いくら考えたとしても、その選択をするしかできなかったのではないでしょうか。今の私なら同じ状況でもそういう判断はしないと思うのは、その経験をもとに自分が成長してきたからです。また、その選択も生まれる前に自分が書いたシナリオ通りでもあります。
今日が最高位にいるのだから、過去のことを考えて否定、批判、萎縮する必要はありません。ただし、今日を境にして石段の上を見ると、未来に向けては、今日が出発の一日目。そうすると、今の「私」は一番未熟な(低い)ところにいるので、「あぁ、まだまだ上るべき石段がある」と思ったら、ずっと謙虚でいられます。

人は、自分を認めてもらいたい、もっとすごい人だと言ってもらいたい、と渇望(かつぼう)しながら日々生きています。何か、神が見えたとか、未来が分かったと信じ込んでいる人がいますが、それも勘違いであることが多いということです。

もちろん、広い世間には、ごくわずかに、本当にそういう能力がある人がいるのを否定するわけではありませんが…。誰かと話しているとき、自分が、「すごい人だと思われたい状態」になっているかどうかは、常に冷静になってチェックし、自己反省する必要はあります。そういう時は、大言壮語(たいげんそうご)、虚勢、見栄(みえ)、面子(めんつ)…大きくみせようとしたり、格好をつけているときです。

夢を見るのはとてもいいことです。しかし、何の努力もしないで「ある日を境に、ばら色の人生がやってくる」などと夢見ることは、妄想でしかありません。今の自分はニセモノで、本当の自分は別にいる、ということはないのですから。人生は、常に今日が始まりです。明日に向かって、謙虚に、勘違いせず、人生という階段を一歩ずつ上りたいものです。

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