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山を出なければ山は見えない

今日のおすすめの一冊は、青山俊董(しゅんどう)氏の『あなたに贈る 人生の道しるべ 続・ことばの花束』(春秋社)です。その中から「なあに、大したことはない」という題でブログを書きました。

本書の中に「山を出なければ山は見えない」という心に響く文章がありました。

《床の間に棺桶(かんおけ)を置いて、行き詰った時、その中へ入り、そこから見なおして見よ》(内山興正) 

富士山に登った人が語った。 「富士山は遠くから眺めるものです。 山に入り、登り始めたら、粗削りの山肌や岸壁や谷にさえぎられて、富士の姿は隠れ、目に入るのは登山者の捨てたごみの山ばかり…」 

「山を出なければ山は見えない」と私は好んでサインする。 山全体を展望しようと思ったら遠く離れて見ることだ。 そのように一人の人を見るにも、例えば親子、兄弟、夫婦、近すぎて見えるのは欠点ばかり。 まして自分の人生はさらに見えない。 

内山老師が「棺桶の中から」という表現をされたように、自分の人生の外から、死にきった世界から見なおして、初めてどうあるべきかが見えてこよう。 日々共にありながら、死にきった世界から見る眼を養って育てることができたら、と思うことである。 

◆小林正観さんは、自分の夫(奥さん)に文句を言いたくなったら、こう思えばいいという。 

夫婦はもともと赤の他人です。 食事なんかも他人様がわざわざ自分の為に作ってくれていると思えば有難くて仕方が無いはず。 そう思えば普通、「いつも すみません」とか「ありがたく頂きます」と一言ぐらい何か言うでしょう。 

食事を「隣のおばさん」が作って持ってきてくれる給料を「隣のおじさん」が持ってきてくれる。 夫婦、お互いがそう考えたら、共にとてもありがたい存在のはず。 なのに食事を作ったのが「妻」になったとたん、味付けや品数で不満を言い感謝出来なくなってしまう。 

給料を持って帰ってくるのが「夫」になったとたん、あたり前になって、多い少ないと不満を持ってしまう。 おかしいと思いませんか?

何事も当たり前になった途端、感謝がなくなる。 「当たり前」の対義語は「ありがたい」だ。 「有難い」は、今ここにあることが本当に珍しいこと、有ることが難(かた)いこと。 夫婦に限らず、親子、兄弟、と身近になればなるほど、当たり前になり、感謝がなくなる。 

「山を出なければ山は見えない」 
身近な存在の有難さに感謝したい。

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