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密かにステイしている存在に輝きを

ずっと自分の本を作りたいと思っていた。

20代の頃は漠然と何か作れたらいいなと思うだけで、ろくに書くこともしないまま、気付けば30代後半になってしまった。

本気で本を作りたいならたくさん原稿が必要なのに、原稿さえない自分が本を作るなんてできるわけもなく。口先だけのぼんやりした夢でしかなかった。

けれど36歳になったばかりの夏、健康面で心配事が生まれた。一応健康だけが取り柄だと思っていたのに、原稿どころか健康も失いつつあった。

おかげで漠然とした夢が明確なものになった。後先短いかもしれないと気付いたら、何年間も封印していた「書く力」が湧き出してきた。まるで火山の噴火のように、長年蓄積していたマグマのような想いが噴出した。詩以外、書けないと思っていたのに、ある程度の短編小説らしきものも書ける力があることに気付いた。

健康を失いかけた自分は代わりにたくさんの原稿を手に入れた。自分で何を書いたか内容を覚えていないくらい、短い物語ならここ2年で50作品以上勢いだけで綴り続けている。

短編小説、童話などつながりのある物語をたくさん書いてまとめたら、ちょっとした本としてまとまりそうだと家庭用プリンターで印刷し始めた。

本とは言えないにしろ、冊子は作ることができるようになった。高校生の頃、文芸部で培った冊子を作る技術が役に立っていると思う。高校時代に戻ったように、手作業で印刷し、紙を折り、ホチキスと製本テープで仕上げている。

あの頃はまだPCもプリンターも普及しておらず、コンビニでカラーコピーしたり、学校の印刷機で白黒印刷しかできなかったけど、今は簡単にカラー印刷できるようになって、良い時代になったなと実感している。

本当は書くことに専念したい。まだ2年程度しか経過していないこともあり、今のところネタ切れもなく、書きたいテーマがたくさんあって、でも時間も限られていて追いつかない。家事や仕事、外出、そして自分にとって大切な睡眠時間も確保したくて、どんなにがんばっても1日あたり5、6時間書ければ良い方だ。2、3時間書くのが一番無難で、取り組みやすい。こんなペースで書いているから、はかどらない。

冊子作りのため、表紙に使いたい写真を撮りに行ったり、小道具を集めたりするのも嫌いではないけれど、ますます書く時間が奪われてしまうので、すべての作品を冊子にまとめることは今のところ難しい。本当はそれぞれイメージがあって書いているから、時間さえあれば、写真なりイラストなりをそれぞれの作品に添えたい。手作り冊子だと労力も時間もかかって、せいぜい5部ずつくらいしか作れない。

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冊子ではなく、本格的な本を作りたいと本気で考え始めた。

昨年、地元書店の出版部を訪れ、少しばかり自費出版したい旨を伝えていた。原稿はあっても、資金がない。かれこれ1年経ったものの、なかなか資金は貯まらず…。

そんな矢先、給付金の話が舞い込んできた。

10万円では足りないのは分かっている。でも頭金くらいにはなるかもしれない。私は給付金を自分の趣味の本作りに生かそうと考え始めた。

給付金を道楽のような趣味に使ってはいけないのかもしれない。けれど何にも活用しないで、貯蓄に回すよりは、お金を使えば多少なりとも経済活動に貢献できるだろう。

口実ではないけれど、ちゃんとした理由もある。

緊急事態宣言が発令されていた時期、学校が休みとなり、しかも外出もできず、家で過ごす子どもたちが多かった。子どもに限らず、大人だって、レジャー等はできず、おうち時間が増えた。今は解除されたものの、第二波がやって来れば、また自宅での退屈な時間が増えるだろう。そんな時、すぐに読めてちょっと心が安らぐ本があれば、少しは気が紛れると思うのである。

実際、この春は児童書の売り上げが悪くなかったらしい。

つまり私はこの先行き不透明な時代、家の中で閉じこもっていても、希望を感じられるような作品を、勇気を与えられるような作品を本として残したいのである。

ステイホームが掲げられていた時期、決して自分では動くことのできない存在、昔からずっと同じ場所に立ち続けているその木に励まされた。人間はちょっと自由を奪われただけで、ストレスが溜まるというのに、木や植物は動きたくても根付いた場所からは決して動けないし、人間が移し変えない限り、一生同じ場所で「ステイ」している。たとえ運悪く環境の悪い街場やアスファルトの上で生まれてしまっても、移動することはできない。文句ひとつ言わずに静かに生きている植物に、少しばかり自由を奪われた期間、かなり勇気付けられた。動けない存在と動ける存在を対比した物語が書けたのは、コロナ禍のおかげでもあるから、給付金でその物語を本にしたいと強く思う。

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このように決して自己満足のためだけでなく、今の社会に少しでも役立つのではないかと社会貢献のつもりで、本を作りたくて、つい最近、1年前に訪れた書店に足を運んだ。

10万円ではやはり思い通りのものは作れそうになく、原稿はあっても、なかなか話は進まず…。

編集を通さず、ただ原稿を印刷所に頼んで本らしきものとして作ってもらうなら、10万円でもできないことはないだろう。部数も必要最小限にして、ただの趣味としてならば。

しかし私はできれば書店に自分が書いた作品を置いてもらいたい。きちんと校正校閲がなされていれば、書店に置いてもらえる可能性が高まる。

相談した書店では、ISBNも取得し、国立国会図書館にも納めるし、系列4店舗では自費出版コーナーに置くと説明された。悪い話ではない。

他の書店にも新刊の宣伝はできるという。

個人的に印刷所に頼んだ印刷物ではそんなことは不可能だろう。魅力的、理想的な話なのに、資金不足でなかなか先に進めないのが本当に残念だ。

足踏み状態だけれど、いつかは実現させると決めている。

できれば来年4月までに何かしら形にしたい。

もうひとつ理由があって、それは実家の地元がNHK来春 朝ドラ「おかえりモネ」舞台に決定したから。ヒロインが青春時代を過ごす森の町として紹介される登米市に実在する木をモチーフに描いた物語を本にしようと企てているため、朝ドラ放送開始に間を合わせたいのだ。

何も肩書きがなく、無名の人間だから、何か話題に乗っかりたい。「何か」目をひくものがないと、たとえ書店に何でも手には取ってもらえないだろう。

私は見ず知らずの人に立ち見でもいいから、手に取ってもらいたい。

ポップに「登米市出身」とでも書けば、あぁ朝ドラの町ねと注目してもらえるのではないかと。さらに言えば、森の町という設定だから、木の話はもってこいかと。

さらにさらに木の話をしているシーンは個人的に2月に少しだけ出演し、放送されたひとモノガタリの中で、使われた話でもあるので、いけるんじゃないかと無謀な夢を見ている。

本にしたい「ポプラの木」という作品は、実在する木と防災無線をモチーフにしたファンタジーで、フジファブリック「若者のすべて」で象徴的な《夕方5時のチャイム》を意識した童話。相談した書店の人はもちろん気付くわけもなく。フジファブリックとか音楽に精通している人なら、あーこの世界観、志村正彦の歌詞にありそうって気付いてもらえるような作品を書いたつもり。(※音楽文を書くノリで歌詞を引用するという野暮なことは一切していない。)夢は大きくということで、最終的な目標は書店だけでなく、タワレコとかCDショップの本コーナーに置いてもらうこと。またはヴィレッジヴァンガードとか雑貨屋も兼ねたお店に並べてもらえるようになることが壮大な夢。

10万円の給付金でここまで妄想が膨らんでしまった。膨らみ過ぎて弾ける前に、しぼむ前に、ちゃんと空に舞い上がって、どこか知らない場所に漂着する風船になりたい。

  #給付金をきっかけに #自費出版 #ポプラの木 #防災無線 #童話 #夢を叶える





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