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やっぱり、BUMP OF CHICKENだった。(チャマの謝罪文を読んで)

最近は「なないろ」というキラキラな楽曲を聞きまくっていて、個人的にずっと浮かれていたものだから、忘れてしまっていたけれど、バンプは問題というか、《治らない古い傷》や《失くせない記憶》をずっと鞄の中に抱えて、活動していたんだよなと…。

それはチャマのこと…。

チャマが活動再開するのはドラマのイメージもあるし、おそらく『おかえりモネ』の放送が終わった頃だろうと予想していたけれど、全然違った。思ってた以上に早いという印象を受けた。

チャマが書いたという文書を読んだけれど、藤くん、身体を壊してまでベースを弾いていたなんて、ショックだった…。作詞作曲して、ボーカル録って、ベースまで弾いたらそりゃあたいへんだろうとは思っていたけれど、まさか身体を壊すほど、過酷な作業をしていたとは…。

だからつまりこれ以上、藤くんを始め、バンプメンバーの三人だけに負担をかけるわけにはいかないから、なるべく早く復帰したいと考えたのだろうと思った。
自分のためというより、メンバーのためなんだと私はそう解釈した。

もしもバンプじゃなかったら、とっくに他のベーシスト入れて、新体制のバンド活動やってたっておかしくない。その方が自然だし、普通だし、ラクだろうし。
でもバンプは良い意味で、普通のバンドじゃないし、ラクじゃない道を選ぶのが藤くんだし、やっぱりこれがバンプだよなと妙に納得できた。

そもそも素晴らしい音楽を上手く演奏したいだけなら、チャマの代わりはいくらだっている。チャマだけでなく、秀ちゃんやヒロの代わりだってきっといくらでもいるだろう。演奏のスキル面だけ考えれば。でもそれじゃあ、藤くんは曲を書けないし、歌えないのだろう。BUMP OF CHICKENの音楽が成り立たないのだと思う。

たしかに藤くんは思いや感情を音楽で伝える才能の塊だと思うけれど、それはたぶん秀ちゃん、ヒロ、チャマという三人がいなければ、引き出せない才能で、他にどんなに演奏技術の高い人がいたとしても、その三人には敵わないだろう。藤くんにバンプの曲を書かせて歌わせることができるのは、他の人たちでは難しい。

藤くんが、バンプの曲が自分(たち)をここまで引っ張って来てくれたというように、バンプの曲って、やっぱり藤くんひとりじゃ作ることはできても、完成しないものだと思う。作る人がいて、それを演奏する人たちがいて、そして聞く人たちが受け取ってやっと完成するのが、BUMP OF CHICKENの音楽。
その演奏するというパートで、メンバー以外、他の人たちでは藤くんが楽曲に込めた思いや感情とかを伝えきれないと思う。

だって例えば、過去を描いたような楽曲、「リボン」はもちろん、「記念撮影」とか「Gravity」の心象風景、情景は幼馴染同士じゃないと分からない空気感を感じられて、それを演奏で表現しようとしたら、他のただ演奏スキルのある人たちでは無理があると思うから。

藤くんと小さい頃から、学生時代、今も一緒に歩み続けているメンバー三人じゃないと絶対分かり得ない微妙な感情、ささやかな思い出、繊細な記憶があるはずで、それらがちゃんとBUMP OF CHICKENの音楽の元になっているから、四人でしか作れない、リスナーを感動させることのできるたくさんの名曲が生まれるのだと思う。

つまりバンプの楽曲の一部にやっぱりチャマも必要なんだと個人的には思う。ベーシストというカテゴリのみで考えれば代わりはいるかもしれないけれど、BUMP OF CHICKENの音楽という面で考えると、音楽の一部にチャマがいる。
だからバンプが音楽を続けるためにも、チャマは必要なんだと。

BUMP OF CHICKENの音楽(彼)は誰でも簡単に扱えるものではなくて、藤くんが最初に彼と出会って、彼と対話して、これからどうしようかってなった時、メンバー三人の力も必要になって、四人で牽引しないと、彼はリスナーと出会えない仕組みになっているらしい。
彼はなかなか手強い相手で、誰でも扱える類のものではない。私は今まで、バンプのメンバー四人のおかげで、ようやく彼と出会い、彼に励まされていた。それは当たり前のことになっていたけれど、チャマの言うように当たり前のことじゃなくて、すごい奇跡的で尊いことだったんだと気付いた。

BUMP OF CHICKENの音楽が存在していること自体が奇跡だった。彼は奇跡の存在だった。そんな彼に余計な荷物を背負わせてしまった(楽曲に傷を負わせてしまった)とチャマは自覚しているようなので、それでもう十分なんじゃないかと思う。
そもそも彼は《治らない古い傷》をお日様が無かったかのように隠してくれることも知っているし、《躓いて転んだ時は》起き方を教えてくれる存在だから、きっとチャマにも手を差し伸べてくれていると思う。

メンバーがチャマを必要としているように、楽曲という名の彼も、チャマのことを必要としていて、チャマ自身がバンプのメンバーであり続けたいと願うのは、楽曲自身の願いでもあるのかもしれない。
BUMP OF CHICKENの音楽にはチャマもいないと困るんだよと彼自身が言ってくれている気がする。
今までチャマもメンバーもかなり苦しんだと思う。ある意味、ここからがほんとのBUMP OF CHICKENの始まりというか、新たな旅の始まりなのかもしれない。

もしかしたらお金の力を借りれば、あの時、記事をもみ消すことだって不可能なことではなかったかもしれない。(素人はそう考えてしまう…。漫画とかではよくそんな感じだから。)
でも、記事をなかったことにできたかもしれないのに、もみ消さなかったということは、それはたぶんチャマに過ちに気付いてほしくて、生まれ変わってほしくて、誰かがあえてチャマやバンプに傷を負わせる選択をしたのかもしれない。

なぜそう思うのかというと、それはつい先日まで放送していた『今ここにある危機とぼくの好感度について』というドラマを見ていたから。受け売りというか…。
なかなか興味深いドラマで考えさせられる面白いドラマだった。簡単に説明すると、大学という組織である問題失態を隠蔽しようとするものの、総長が大学に傷がついても、ここで我々は生まれ変わらなければこの組織に未来はないみたいに、失態を公にするという内容で、それはそのままチャマにも当てはまると、ふと思った。バンプの好感度よりもバンプの楽曲を愛するというLOVEに気付いたから…。

あの時、BUMP OF CHICKENというバンドを傷つけないために誰かが裏でいろいろ奔走したかもしれない。でも、チャマのことは明るみに出た。それはたしかにバンプというブランドに傷をつけたかもしれない。そして傷付いたリスナーの中には、離れてしまった人もいただろう。でも、どんなに醜くても、傷付いていても、寄り添って、そんな自分と対峙させてくれるのがBUMP OF CHICKENの音楽の役割だったはずだ。
おそらく、今回、BUMP OF CHICKENの音楽を傷つけたチャマが一番、BUMP OF CHICKENの音楽に救われているんじゃないかなと。

《なんだよそんな汚れくらい 丸ごと抱きしめるよ》「新世界」

みたいに、バンプの楽曲はどんなに汚れてたって、醜くたって、愛してくれる。
そのことに気付いたから、チャマは汚してしまった看板の汚れを落とす努力を続けるチャンスをください、傷付けてしまった看板の傷を直す努力を続けるチャンスをくださいと願ったのだろう。
汚れも傷も上等だぜってBUMP OF CHICKENの音楽なら、きっと受け止めてくれる。そう思ったから、私はチャマを応援したい。

いつか四人で宮城に遊びに来てほしいし、四人で、気仙沼や登米でライブしてほしい。なんて私は宮城の片隅で、願っている。

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