見出し画像

うまれたよ、みみあかちゃん。

 夏になってから、時々耳が塞がるような、聞き取りが悪くなることが増えた。特にアイスノンを枕にして寝た翌朝は、聞こえが悪くなった。耳かきをすれば治ることが多かったため、耳かきはよくしていた。けれど、8月1日は耳かきをしても全然治らず、特に左耳は極端に聞こえなくなった。お盆に入ると、個人医院は長期休みになってしまうし、今のうちに受診しておこうと耳鼻咽喉科へ向かった。
 
 子どもの頃から耳鼻科のお世話になることが多かった。最初は鼻血。血管が弱かったのか、よく鼻血を出していたから、耳鼻科へ行き、何度も鼻の中を焼いてもらっていた。それからたぶんアレルギー性鼻炎の傾向があって、鼻に薬剤入りの蒸気を入れる「吸入」にも、週1程度で通っていた。高校生くらいまでは地元の耳鼻科にお世話になっていたけれど、その病院が閉院してしまったこともあり、耳鼻科へはほとんど通わなくなった。
 
 鼻は慢性化して慣れたこともあり、気にならなくなったけれど、時々耳の穴が塞がるような状態になった。病気ではなく、単純に耳垢のせいで。乾燥しているカサカサの垢ではなく、ウェット耳垢体質のため、溜まると固まって自力で取るのは困難だった。
 たしか地元の耳鼻科でも何度か取ってもらってことがあった。その先生は寡黙なベテランの医師だったこともあり、特に何も指導されることなく、私は真面目に耳掃除をすればいいんだろうと思い込み、毎日のように耳かきをしていた。
 
 それでも数年に一度は耳の聞こえが悪くなり、他の耳鼻科でも時々、耳垢除去をしてもらうようになった。どこの病院でも特に何も指導されなかったので、やっぱり真面目に一人で耳掃除をしていた。病院で取ってもらうと、音の聞こえ方が全く変わって、世界がうるさく感じるほどだった。逆に普段はそれだけ聞こえづらい世界で生きていたのかと思った。
 
 だから今回も、その耳垢が原因で聞こえなくなっているのだろうと察しはついていた。今回はたぶん8~10年ぶりくらいだったと思う。どの耳鼻科でも大体5分程度ですぐに取ってもらえていたため、今回も気楽な気持ちで病院へ行った。
 
 そこは花粉症など鼻の方ですでに何度かお世話になっていた耳鼻咽喉科だった。そこそこ混んでいるけれど、スピーディーな先生なので、患者さんの回転は迅速な方だと思う。
 
 夏休み期間ということもあり、子どもたちも多かった。1歳と3歳ほどの子ども二人を連れたお母さんもいた。下の子はまだ歩き始めたばかりのような状態で、足取りがおぼつかない。お兄ちゃんと二人で遊んでいたら、その子は後ろ向きに転んで頭をぶつけそうになってしまった。その瞬間、お母さんはその子の頭とマットの敷かれている床との間にとっさに自分の手を入れ、身を挺して子どもの頭をキャッチしていた。お母さんという存在はいつでも子どもの命を第一に考えて無意識に動けるものなんだな、すごいなと感心したり、そもそも二人の小さな子を連れて、一人で病院に来られること自体すごいなと三人の親子をみつめていた。よちよち歩きの1歳の子も無性にかわいくて、目が離せなかった。
 
 少し後から妊婦さんも患者としてやって来たものだから、これから母親になろうとしている人、二人の子の母親になっている人を待合室で見ていたら、そうはなれなかった自分が惨めに思えて、少し涙ぐんでいた。(生理前で情緒不安定だったから…。)妊婦さんはおなかをさすったりして、少しつらそうだった。
 
 そうこうしているうちに、名前を呼ばれた。涙のせいで鼻をすすっていたら、耳を見てもらっているのに、「鼻はすすらないでください」と二度も注意された。鼻と耳はつながっているのだろうか、耳を見てもらう時も鼻はすすってダメなのかとマスクの下で鼻水を我慢していた。「耳垢ですね」と言われ、すぐに除去してもらえるのかと思いきや、片耳10分ずつ液体につけるから、奥のベッドに横になってくださいと。
 
 まさか耳鼻科でベッドに横になることになるとは予想していなかった私は、20分もかとげんなりしながら、横になった。耳に何やら液体を入れられると当然、さらに聞こえなくなった。下になっているもう片方の耳でかろうじて音は聞き取れたけれど、聴覚障害の人の気持ちが少しだけ分かる気がした。音のない世界って怖いと…。ほとんど聞こえない状態でただ横になっていると、さっきの小さな子の順番が回ってきて、どうやら1歳の子の方の診察らしく、かすかに泣き声が聞こえて、いたたまれなくなった。(聞こえない耳でも聞こえるレベルだからギャン泣きしていたのだろう。)その後、もう片方の耳を液体につけている間に、何人かの診察が終わると、再び医師の元へ呼ばれた。
 
 十分に液体を浸けた耳をさらに洗浄してもらったものの、耳垢は出てこなかった。「普通は洗えばある程度は出てくるものなんだけど、全然出てこないね」と言い、先生は私の耳の中に機器を入れながら、耳垢を除去に取り組み始めた。右側はそこそこすんなり取れて、「ほらこんなにすごいのが取れましたよ」と看護師さんは黒みがかっている大きな耳垢の塊を見せてくれた。たしかに右側は聞こえが良くなった。
 
 しかし今回重症なのは、左側…。先生は四苦八苦しながら、除去に臨んでくれたものの、なかなか取れない。「あなたの場合は、外耳が曲がっているから、なかなか難しいですね、耳垢が奥に押されてしまっているし、こんなの初めてですよ」という感じで、お手上げにされてしまうのではないかと心配になった。外耳が曲がっているなんて初耳だったし。後で調べてみたら、外耳はストレートの人とS字の人がいるらしく、たぶん私はそのS字の曲がり具合がひどいのだろう。幼い頃、母に耳掃除をしてもらうと、ものすごく痛かったのは外耳の形のせいだと気づいた。でも今まで他の医師からは曲がっているなんて言われたことはなかったから、気にしたこともなかった。直角状態では無理らしく、診察の椅子をどんどん倒されながら、先生は私の耳と格闘し、左耳だけでも五分以上かけて、どうにか耳垢を取ってくれた。数年前に歯科で埋没親不知を抜いた時と同じくらい、医師は私の身体と格闘していた気がする。見せてはもらえなかったけれど、右耳以上にひどい垢だったのは想像がつく。「あなたの場合は耳垢を奥に押してしまうだけだから、耳掃除はしない方がいいです、これからは耳掃除しないでくださいね」と厳重に注意されてしまった。
 
 聴力検査もし、聴力に異常がないとほっとすると、また3分ほど耳の液体を入れられ、待つことになった。ようやくすべての工程が終わり、診察室から出ようとした時、ふとラジオの音が聞こえ、ラジオがかかっていたことに気づいた。音の種類が増えて、久しぶりに聞こえる世界が戻ってきた。耳が良くなったせいか、必然的に診察室の声もよく聞こえるようになった。妊婦さんはめまいがひどくて受診したらしいけれど、耳鼻科的には異常は見られないというようなことを言われて、すぐに診察室から出されそうになっていた。貧血が原因のめまいかもしれないし、内科とか産婦人科の方がもう少し手厚く診察してもらえるだろうに、長く待ったわりに診察があっさりしすぎていて、気の毒だなと思った。(内科や産婦人科から耳鼻科へも行ってみてくださいと勧められたのかもしれないし。)というか長く待たせてしまった原因は私の耳垢のせいでもあるから、申し訳なくなった。
 
 たかが耳垢だけど、放置すればするほどますます除去が困難になるから、できれば1年に一度は耳垢掃除に耳鼻科へ通いたいところだけど、恥ずかしいし、「また掃除に来ていいですよ」とも言われなかったから、悩む…。一人での耳掃除は禁止されてしまったから、病院を頼るしかないし、今度は別の耳鼻科へ行ってみようかな…。耳鼻科って数少なくてなかなかないけど…。
 
 領収証を見たら、「耳垢栓塞除去(複雑なもの)」と記されていて、思わず笑ってしまった。複雑なものって…。私は10年かけて育てた耳垢ちゃんを、41歳を迎えたばかりの夏に生み出してしまったのかもしれない。
 
 「力太郎」って童話はたしか垢を溜めて作った人形に命が宿って垢太郎と名付けられた話だったな。私も耳垢で人形を作ってみるか。耳の中をかけなくなったから、「耳垢ちゃん」って童話を書いてみたい。外耳が曲がっていて、子宮も後屈気味で、腰が弱くて、心身がひねくれている私はこんなことしか考えられないみたい。へそ曲がり者というより私は、外耳曲がり者だったと10年ものの耳垢ちゃんを生んで初めて知った。

#耳鼻科 #耳鼻咽喉科 #耳掃除 #耳垢 #外耳 #みみあかちゃん #エッセイ #日記 #病院 #聴力検査 #耳かき #耳垢栓塞除去 #笑い話

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?