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墜落

小説とも呼べない何かです。

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墜ちる、落ちる、落ちていく。


空は瞬く間に遠くなり、あれほど近づいていた太陽も、もはや遥か彼方にある。


 自分は死ぬ。あと数秒もしない内に、固い地面に打ち付けられて赤い花を咲かせるのだろう。痛いのか、苦しいのか。いや、そんなことを感じる暇もないのかもしれない。どうせ死ぬなら一瞬がいい。痛みに苦しみ続けるなんて御免だ。


 蝋の翼はもう半分も残っていない。何の役にも立たない蝋の塊。あとは溶けて落ちていくだけ。


 人の身に翼を付けて空を飛ぶあの高揚。人を、街並みを、大地を、海を見下ろして飛ぶあの喜び、自分が何者かになれたような気持ちは、幻のように消え去った。


 いや、もとより幻だったのだ。自分は結局ただの若造。羽が生えたってなにも変わらない。自分で手に入れた羽じゃない。親父が作ってくれたものだ。

「高く飛びすぎてはいけない。蝋が溶けないように。」

 親父はそう忠告していた。何度も何度も念入りに。俺がこうするかもと思っていたのか。

 涙があふれる。止めることはできない。怖いからじゃない。苦しいからでもない。悔しいからだ。

 結局、何者にもなれなかった。自分は勇者にはなれなかった。



 生まれた時から自分は名匠の息子だった。稀代の天才。どんなものでも作って見せる。便利な道具も、新しい船も、怪物を閉じ込める迷宮だって、親父は作ってしまうのだ。世界で知らぬものはない。世界中の王様が、親父の腕を欲しがって、大金を払って招き入れる。

 でも自分は違った。物を作るのはうまくなかった。机の前に座るより、友達と遊びまわるのが好きだった。図面を引くより戦争ごっこが好きだった。

 親父みたいにはなりたくない。自分は兵士になりたい。部屋に閉じこもってキンコンカン鎚をふるい続けるなんてまっぴらだ。兵士になって、武功を挙げて、おとぎ話の英雄のようになるんだと。

 でもだんだん感じるようになった、自分にそんな才能はないと。親父の才能を継いだわけでもない。兵士としてもせいぜい並み。世界に名をとどろかせるようにはなれない。いつしかそう思うようになって、毎日がつまらなくなった。

 親父みたいにはなりたくないのに、親父のような才能はないのに、親父のような名声は欲しい。そんな願いは叶うわけないと、諦めていた。


 でも見てしまった。本物の英雄を。

 海の向こうの国から渡ってきた一人の漢。誰も太刀打ちできない怪物が住まう迷宮に、恐れることなくそいつは踏み入った。帰ってくるわけない、怪物に食われて終わりだって、みんな笑った。向こう見ずな馬鹿がまた来たとあざ笑った。

 でも成し遂げた。誰も手出しできなかった牛の頭の怪物を打ち倒して、生贄になるはずだった子供たちを救い出した。誰もできないと思ったことをあの漢はやり遂げた。

 親父とお姫様が力を貸したらしいと後で知った。王様は顔を真っ赤にして怒って、親父と俺を塔の上に閉じ込めた。

 そんなことはどうでもよかった。ただ震えていた。彼みたいになりたいって。この先、百年千年と語り継がれる英雄は本当にいた。人は勇者になれると知った。道はあるのだ。


 考え続けた。

 勇者になるには何がいる?

 鍛え上げた体、切れ味鋭い剣、丈夫な鎧、戦う技術。もちろんどれも重要だ。でも一番じゃない。

 一番必要なもの、それは勇気だ。

 どんな脅威にも試練にも、恐れず挑む勇気こそ、一番必要なものなのだ。

 だからソレを示す機会があったら、決して自分は逃げまい。

 自分もあの漢のように、勇気を示して見せるんだ。

 狭い塔の上、親父がブツブツ言っている脇でそんなことを考え続けた。



 「蝋の羽を作って逃げよう」

 ある日、親父がそういった。

 機会が来た、と思った。


 塔の上から飛び降りるのは怖かった。親父が作った翼を信じないわけじゃない。親父の作ったものに間違いがあるはずないんだから。怖がってるのは自分の心だ。飛べなかったら死ぬ。落ちたら自分は醜い肉の塊になって、そこで終わり。塔の縁に立った時、足の震えが止まらなかった。


 逃げるものか。あの漢なら、こんな試練から逃げるはずない。だから自分もやるんだ。おぞけと吐き気を腹の中に閉じ込めて、自分は空に身を投げ出した。 落下の恐怖に耐えながら、無我夢中で翼を動かした。


 そして飛んだ。この世で初めて、自分は空を飛ぶ人間になったんだ。

 これが勇気を示すということ。英雄になるための第一歩だとわかった。これを何度も何度も何度も繰り返して、人は英雄になるんだと。


 

 だから、もう一歩、そう思った。

 初めて空を飛んだ自分は、初めて太陽にとどいた人間になろう。

 別に神様になろうとか、そんなことを考えたわけじゃない。

 ただもう一つ、勇気を示そうと思った。ただそれだけだったのに。


 

 その結果がこのありさま。神様の罰なんて烏滸がましい。蝋の翼は熱に当たれば溶けるだけ。親父の忠告をすっかり忘れた愚か者が、当然のように落ちていく。


 視界の端で、親父が何かを叫んでいる。ひょっとして泣いているのか。

 ごめん、馬鹿なことして。この翼を作ってくれたお礼もまだ行ってなかった。自分は愚かでその上親不孝だった。


 みんなはこのことを知って何というだろう。傲慢な若造?命知らずの愚か者? あぁ、きっとそういわれるだろうな。

 

 でも誰か、一人でいい。知っていて欲しい。

 神様になりたかったわけじゃない。神様に挑みたかったわけでもない。



 俺は、勇者になりたかった。

 俺は、勇気を示したかった。

 本当に、ただそれだけだったのに




                            

 


  

 

 


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