インタビュー 桃井裕範 『Flora and Fauna』: ドラムソロは無くていいと言っていたドラマーがドラムを聴かせるアルバムを作った理由
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インタビュー 桃井裕範 『Flora and Fauna』: ドラムソロは無くていいと言っていたドラマーがドラムを聴かせるアルバムを作った理由

桃井裕範 / Potomelli


桃井です。18日にリリースした8年ぶりの2ndソロアルバム『Flora and Fauna』について、ライターの柳樂光隆さんに取材して頂きました。これを通して、僕自身がアルバムに対する思いを深めることができたインタビューでした。ぜひこちらを読んでからまたアルバムを聴いてみて下さい。



桃井裕範さんと最初に会ったのはたしか2015年だった。NYで活動している知らない日本人ジャズミュージシャンがいるのを彼のリーダー作の『LIQUID KNOTS』を見つけたことでその存在に気付いた。ちょうど僕が気になっていたニア・フェルダージュリアン・ショアが参加していたこともあり、聴いてみたら素晴らしかったので、取材しようとしたら日本にいるということなので、すぐに取材をして記事を一本作った。それが2015年の以下のインタビュー記事。

その頃から歌ものをやりたいって話を取材時にもしていたし、ロックバンド的なものをやりたいってことも話していた。自分がドラマーだけど、ドラムで主張するよりは、作編曲にアイデンティティがあるような話もしていた。そのままそれが形になっていって、桃井さんは僕が最初に聴いた音源の中にいたジャズ・ドラマーというよりは、ロックのヴォーカリスト・ギタリスト・作曲家よりの活動をしているのが目立っていた。

これは2018年に桃井さんがPotomelliというプロジェクトのアルバムを出した際のインタビュー記事だが、その頃の桃井さんの方向性がよくわかる記事だと思う。リズムもコード進行もハーモニーもシンプルにして、ヒップホップを始めとしてブラックミュージック的な要素を入れてない、というような話をしていて、本人が自分でも語るようにNYのジャズ周辺のサウンドっぽい要素を使わずに音楽をやっているように見えた。桃井さんは自身のバンドと並行して、ジャズドラマーとしての活動もしていたのだが、自身のプロジェクトではジャズから離れてのびのびと自分を表現しているんだなと思って見ていた。

2020年にツイッターに桃井さんが書いたnoteの記事がたまたま流れてきた。それは“Jazzに裏切られ、Jazzに救われた話”というタイトルで、そこにはなぜ彼がジャズに対して複雑な思いを抱えていたのかの詳細と、ジャズへの前向きな思い生まれたことが綴られていた。

僕はそれを読んで「あ、桃井さんはなんか吹っ切れたのかな」と思っていた。

そんな桃井さんが2021年に『Flora and Fauna』をリリースした。

端的に言うと、2018年にPotomelliについて話しているインタビュー記事の真逆のような音楽性だと僕は思った。ジャズ・ミュージシャンが参加していて、ソロを弾いていて、そこには気の利いたコードもハーモニーもある。桃井さんはドラマーとして主張のあるリズムを刻み、そこにはヒップホップのグルーヴもあればジャズのスウィングもあり、ソウルやR&B的なフィーリングもある。

しかも、ほぼ全曲にゲストが参加していて、そこには桃井さんが意識してたであろう、ポップ・フィールドのヴォーカリストだけでなく、NYで度々共演していた旧知のジャズミュージシャンから、国内の売れっ子ジャズ(周辺)ミュージシャン、更にはラッパーまでも参加していた。

NYから東京へ拠点を移して以降、桃井さんが進んでやらなかったことの全部盛りのようなアルバムだと僕は思った。今回、桃井さんから連絡をもらって、6年ぶりにインタビューすることになって考えたのは、このアルバムを作るようになった彼の思いについて聞くことだった。どんな心境の変化があったのか、何が彼をこのアルバムに向かわせたのか。彼がしてくれた話はもちろん桃井裕範の個人的なストーリーなわけだが、同時にミュージシャンが音楽と向き合う際に自らに問うアイデンティティにも関わる普遍的な話でもあるような気がしている。

(取材・執筆・編集:柳樂光隆)


――このアルバムを作ったきっかけを聞かせてください。

8年前に自分のジャズのアルバム『LIQUID KNOTS』を出して、ドラマーとしての作品はしばらくいいかなって気持ちになったんですよね。やりつくした感覚がありましたし。自分がやりたい音楽も当時はNYのコンテンポラリージャズ一筋みたいな感じだったのが、NYから帰る直前から歌ものにシフトしていって、帰ってきてからは自分で歌ったりしていたくらいなので。なかなかそういう(ドラマーの)モードにならなかった。
でも、コロナがあって、ある日、ふとした時に「作れるな」というか、「作りたいな」という閃きがあったんです。「ドラマーとして自分のアルバムを作れるんじゃないか」って、その感覚は大事にしたいなって思ったんです。タイミング的にはなかなかライブもできなかったので、やろうかってことで。

――なるほど。

コロナ禍になってから、これまでチェックしてこなかったような人を聴くようになって、自分の中ではNY(のジャズ)が第一だったんですけど、そうじゃなくてもいいなって気持ちが自分の中で芽生えてきたんですよね。それでUKジャズの記事を読んでから、聴いてみたら、UKの人たちはインプロやインタープレイ主体のジャズと作曲主体のジャズのちょうど中間にいるような気がして、そのバランスがすごくちょうどよくて、その時の自分に刺さって。「ジャズをやるなら同じ部屋でみんなで音楽的な会話をする」ってところにこだわらなくてもいいのかなって思えたんですよね。じゃ、自分が作るアルバムも完全にデータのやり取りで作ってみようと思いました。

――へー。じゃ、ライブ感がある曲もあるけど、すべてリモートなんですね。

そうなんです。だから、今回はスタジオには一切入ってなくて、すべてデータのやり取りだけで作ったんです。ソーシャル・ディスタンスにも配慮してますね。日本人の可能な人だけスタジオにも入ってもらっちゃうとそうじゃない曲と違和感が出ちゃうかなとも思ったので、最初からスタジオに入らない前提に振り切ってやろうと。それにそのやり方なら海外の人たちも誘えるなと思ったんです。
すぐに曲作りを始めて、1日に1曲くらいのペースで作りました。それで自分でDAWでデモを作って、ドラムだけはスタジオで録って、それをマイナス・ワン・トラックみたいな感じでみんなに送って、演奏してもらって送り返してもらって、組み直しました。あまりインタープレイがなくても成立するような曲を書いたつもりなんですけど、ふたを開けたらインタープレイ的な部分もいい感じになったんで、参加してくれたみんなはさすがだなって思いました。うれしい誤算でしたね。

――そもそもドラマーとしての自分を中心にしてアルバムを作ろうって思ったきっかけはありますか?

以前、noteに書いたんですけど、去年のコロナでピリピリしていた春から夏が過ぎて、その後に山中千尋さんのライブでブルーノートで演奏した時に自分の中で突き抜けた感覚があったので、ドラムに対しての自分の自信というか、今やったら何か違うものができるんじゃないかなって思ったんです。

――山中千尋ってことはストレートアヘッドなジャズですよね。

そうですね、かなりコンテンポラリージャズというか。

――今までもずっとやっていたのに何でその時に思ったんですかね。

コロナでライブができなかったことですね。小さいジャズクラブではちょっとやっていたんですけど、制限はかけていたとはいえ、ブルーノートみたいな(広い)場所でたくさんのお客さんがいて、待っていたって感じがあったのが伝わったし、みんなでライブを作り上げているような感覚があったんです。音楽に対する自分の受け取り方が変わったのかなってプレイは変わってないかもしれないんですけど、自分の中での思いが作品への後押しはしてくれた感覚はあります。

――はたから見ていると歌ものの曲を書きたいとか、歌いたいとか、自分の活動に関して「ドラムがメインじゃなくてもいい」って感じなのかなと思って見てましたけども。

バンドを精力的にやってた頃はそっちの発信が中心だったので、そう見ていたのかもしれないですけど、ドラムはずっとやっていたので、どっちかを選ぶとかでもなかったんですよ。ただ、今回に関してはドラマーとして作品を作ることに抵抗がなくなっていたというか。

――NYのジャズミュージシャンがやっているようなビートだったり、演奏だったり、日本に帰ってきてから避けてきたことを全力でやっているアルバムですよね。

そうですね(苦笑

――避けていただけじゃなくて、求められてもいたけど、それでもやらなかったことでもある気がするんですよ。

避けていたのも実際あったかもしれないですね。嫌いだったわけじゃないんですけど、わざわざ自分の作品でやるかというと違うというか。Potomelliの方でも最初はブラックミュージックから影響を受けたところを入れなかったんですけど、それはNYにいた時間に対しての反発もあったと思います。だから、『Flora and Fauna』ではフラットな自分でいられたんですよ。「じゃ、今までやらなかったことを本気でやった時にどこまでできるのかな」ってのを自分でも見たいって思えるようになりましたし。

――僕が最初に桃井さんにインタビューした2015年は桃井さんがNYから帰ってきてからちょっと経ったくらいの時期で、桃井さんは今後の日本での活動の展望みたいなものも語ってくれてたんだけど、それはNYでやってきたことからは離れるって感じのことで、実際に桃井さんが自分が主導でやるものに関してはその際に語っていたことに沿ったことだったと思うし、それを進めているなと思って見てました。でも、『Flora and Fauna』は清々しいくらい逆のベクトルだなと思いました。「NYでやっていたこともがっつりやってみよう」ってのを感じたんですよね。

前のインタビューの時はNYへの意識に関しては完全にやさぐれていたと思うので、NYでやっていた演奏や音楽をやってしまうと、それならNYでやった方が良かったと思っちゃいそうだったので、それを避けることで、日本でやるんだって自分で踏ん切りをつけようとしていたのもあったと思うんですよね。今は一周回って、何をやってもいいなって思えるし、敢えてNYっぽいのを作ろうとかは意識していたわけではないし、さっき話したようなUKジャズを聴いて思ったこともあったので、敢えて何かを避けたりもせずに自然に曲を書いたらこうなったんだと思います。「今の記録」みたいな感じですね。

――ようやく自然体になれるきっかけができたなって。

コロナがきっかけじゃなかったらこうなることもなかったかもしれませんね。

――何度か、UKジャズの話が出てますが、それってたぶんイギリスに限定するっていうよりは非アメリカってニュアンスかなって感じました。アメリカ以外のジャズのスタンスにも共感できて、ジャズに対する考え方が少し広がったのが良かったのかなと。その文脈で桃井さんの目に“日本のミュージシャン”はどう映ってたんですか?

ジャズミュージシャンがロックやポップスやヒップホップの歌ものの伴奏だったり、その演奏に入っていくのも活発化している感じもしていて、みんな面白いことをやっているなと思って見てました。今回声をかけた人の中にはもともと知っていた人も、今回初めて声をかけた人もいましたけど、そういう面白いことをやっている人たちに対して、自分と一緒だったらこうなるんじゃないかなっていうのを試したかったってのもあります。それもフラットな気持ちでチェックできるようになったのも大きかったかもしれませんね。

――桃井さんがNYから帰ってきてから、敢えてやらなかったことや、求められているけどやらなかったことがあると思うんですけど、そういうことを楽しそうにやっているミュージシャンたちが増えていたり、そういうものに近い光景がジャズ以外の場所からも見えたっていうのもあったかもしれませんね。例えば、ゴッチのソロとか、くるりとかもそういう捉え方ができるかもしれないし。そういう状況が徐々にわだかまりみたいなものを溶かすのに作用していたかもって言うか。

そうですね、ゴッチさんのソロも聴いてましたし、自分自身もソロ曲(Gotch "Vegetable")に参加させてもらったりもしましたし。ジャズって感じではないんですけど、ポエトリーっぽい箇所で自由に演奏してほしいって言われて、ゴッチさんのバックでドラムソロをやってる感じになったんですけど、そういうところを任せてもらえたり、ますます自分がやるとしたらどういう感じでやればいいかってところを見せられるようになりましたね。何かを意識してするわけでもなく、何かを敢えて避けるでもなくって感じで、演奏すればどうしてもNYにいた六年間は出てしまうと思うので、それは悪いことではないので、それを感じずに済んでいるというか。

――どのミュージシャンもジャズに寄ったり、離れたり、みたいなのを自然にやってたり、試行錯誤しながらやったりしていますよね。桃井さんはビザの関係でNYから日本に帰らなきゃいけなくなったこともあって、NYへの思いが複雑で、それだけに極端だったとは思うけど、そういう葛藤のプロセスがあったのも今振り返ると必要な時間だったのかもしれませんね。

そうですね。自分がやってきたことはどうあがいても出てしまうものなのかなって、それを受け入れたと言うか、悔しかった気持ちとかも含めて、受け入れられたというか、このアルバムで成仏させてもらったのかもしれません。

――今回はヒップホップっぽいというか、ネオソウルっぽいこともけっこうやってますけど、この感じも今まであまりやらなかったことですよね。

避けていたわけではないんですけど、日本に帰ってきてからはあまりそういう機会がなかったんですよね。もちろんNYにいた頃はこういうビートっぽいものを聴いていたし、やっていたし、そもそも僕は出発点がロックだったので、こういうバックビートは好きだったんですよね。結果的にビートが入っている曲が多くなりましたね。その部分を聴いてほしいなって思いますね。今回はデモをしっかりサイズを決めて作っていたんですけど、そのために事前にドラムを練習したっていうのはなかったので、自然に出たモードって感じじゃないですかね。
完全に拗らせてましたからね。NYへ帰れなかったことを正当化したかったというか、帰らなかったことに意味を持たせたかったんですよね。そうするとNYの活動に関しては途中でぷっつりキレてしまったので、その延長線上で考えてしまうと自分の気持ちの踏ん切りがつかなかった気がしたんですよね。日本で新たに違う感じで行こうとしていたと思うんですよね。7曲目に「IHDS」ってワンテイクで録ったドラムソロの曲が入っています。今までは自分のアルバムの中にドラムソロは入れないと思っていたんですけど、今回はインタールードですけど入れてみたんです。このタイトルはI Hate Drum Soloの頭文字なんですけど、「ドラムソロもこれくらいは出来るぞ」って感じでやりました。

――今の自分のドラムってどんな感じだと思いますか?

今はいろんなものを受け入れようって気持ちなんですよね。出したくなくても出ちゃうものもあれば、出そうと思っても出ないものもあるので、それも含めて自分のドラムだって思っていて、結果的にこのアルバムになりました。実際、自分のドラムを聴いて、満足しているかっていうとそうじゃない部分もあるにはあるんですけど、それも含めていいなって思えるんです。昔の方が完璧主義に近かったというか、それって余裕のなさから来ていたと思うんですけど、今回はそれもそれで出たものが正直なものなんだってことで、そのまま使ってます。

――今回は俺はドラマーだって感じでやってますよね。2015年のインタビューのころはドラムがすごくいいのに、「俺はドラマーって言うよりはどちらかというと作曲家です」みたいなことを言ってて、それってもちろん曲に自信があったのもあったとは思うけど、ある種のエクスキューズみたいに感じられる部分もあったと思うんですよ。今回はドラマーとしての自分をまっすぐに表現しているし、そういう作品だって自分で胸を張って言ってる感じもあると思うんですよね。だから、ミックスに関しても今回はドラムのビートがしっかり聴こえないと成立しないし、それを意識した音作りにもなってる。そういう意味でもエクスキューズなしのドラマーのアルバムだなって感じがするんですよ。

今、エクスキューズって言われて、たしかにそうだなと思いますよ。ドラマーとしてこんな曲が書けるとか、トータルなサウンドを考えることができるっていうのは長所ではあったんですけど、それを打ち出すことはドラムへの自信の無さを打ち消そうとしていたのかなって。今回はもう言い訳をしないというか、ある程度自信があったのかもしれないですしね。ドラマーとしての自分の演奏を聴いてくれてもかまわないって思えるようなアルバムを作ろうと思っていたので、ドラムが前に出てもいいしって感じでした。

――ドラムの音作りに関してはどうですか?

今回はドラムの音に関してはエンジニアに任せちゃったんですよね。バンドでスタジオに入る必要がなくて、ドラムだけ録ればよかったので、何か面白いことができないかなと思って、ドラムに特化しているスタジオでやったんですよ。そこでエンジニアの鹿間朋之さんと、ドラムテックの伊藤嵩くんと、その二人がこだわりのある人たちなので、実は全曲ドラムセットを変えています。更にチューニングも変えたり、ヘッドとかも変えたりしながら、ドラムのサウンドは全曲変えています。自分のイメージは伝えたんですけど、後は任せました。最初は自分たちでやってもいいのって聞かれたんですけど、自分のサウンドにできる自信はあったので、そこは任せても大丈夫だなと思ってました。ドラムに関しては、かなり色んなサウンドが入ってますし、同じドラムセットを使ってる曲はないんで、サンプル集みたいにも聴けると思います。

――たとえば、松丸契くんって、今までだったら一緒に録音するタイプのミュージシャンじゃないですよね。僕は松丸くんが入っているのを見て、そこに桃井さんの変化を最も感じましたよ。

名前は聞いてましたし、音源も聴いてましたし、面白いと思ってました。引き受けてもらえる前から、その人にやってもらえる前提で書いてる曲がいくつもあるんですよ。でも、いい曲ができればあとは説得できるんじゃないかって思っていたんですけど、松丸くんにやってもらいたくて書いたのか、書いているうちに松丸くんがいいなと思ったのか、どっちだったか忘れましたけど、出来た時には彼にお願いしようと思いました。たぶん知らない人からいきなりメールが来たと思うので、彼としては驚いたと思うんですけど、そういうのもリモートで曲を作る面白さなのかなと思いました。

――ドラマーとしての演奏を聴かせたいんだなってのは、例えば、ものんくるの角田隆太くんをベーシストって感じで起用していたところでも感じました。

実はベース以外の他のシンセやエフェクトも彼がやってます。最初はシンプルな曲だったんですけど、彼が「入れていいですか」って言ってくれて、僕も「もちろん!」って。余白があった時にそれを面白がってやってくれたんで。ベースがフィーチャーされているんですけど、彼のコンポーザー気質がかなり出ていて、角田くんらしい曲になっていると思いますね。
ギラッド・ヘクセルマンには最初は「ソロを入れてほしい」って頼んだんですけど、彼のアイデアでギターのバッキングを重ねたり、後半でまた別のギターのフレーズを入れてくれたりしてくれたんですよ。みんな楽しんでやってくれたのかなって思います。

――それこそニア・フェルダーギラッド・ヘクセルマンみたいなNY在住の世界のトップ・プレイヤーであり、桃井さんとは旧知の仲の人たちと一緒にやってるのも桃井さんが自然体でやれてることを示しているのかなって思いましたね。

そうですよね。ここを出さないと、僕がNYでやってきたことを出しきれないと思ったので、彼らとの曲ではジャズのトップ・プレイヤーとやった時にこういうことができますよっていうのを聴いてもらいたくて、作りましたね。

――香港のミュージシャンもNYの延長って感じですか?

9曲目「Gemini」Alan Kwanは僕と同じNYのクイーンズ・カレッジで学んでいて、彼もNYで活動していたんですよね。彼のアルバムにはデイナ・スティーブンス、ファビアン・アルマザンが参加してます。
日本にも何度か来日していて、何度か一緒にライブもやってたんですよ。コロナ前の1月に彼が日本に来ていて、これから香港、台湾とかアジアでいろいろやろうって話をしていたんですよね。それがコロナでとん挫してて。それもあって、今回声をかけてます。彼は他の曲でもギターを弾いてくれてて、それこそゴッチさんとの「Fog」のギターも彼ですしね。彼もジャズだけに止まらない活動をしているので、同じマインドを共有できていたのかなって思いますね。「Water Temple」に関してはアランに香港のラッパーを紹介してもらいました。

――日本の若手はどうですか?

佐瀬悠輔くんとは古いんですよ。NYから帰ってきてけっこうすぐに一緒にやってましたね。最初に会った頃、彼はまだ洗足を卒業して間もないくらいだったんですけど、こんな若いのにすごいトランペットがいるって紹介してもらったんですよね。彼は今のトランペットの最高峰だと思うので、間違いないテイクを返してくれましたね。

安藤康平くんは面識はあったんですけど、作品を作る機会はなかったですね。エフェクターかましたり、好きにやってもらいました。その上に渡辺翔太くんにもエフェクトかけたりしたシンセをがっつり入れてもらったので、すごく面白い感じになりました。

――ジャズ・ミュージシャンにソロ入れてもらうのと、ゴッチみたいなシンガーに歌入れてもらうのって、違いはありますか?

あまりジャズ・ミュージシャンだってことを意識はしてなかったですね。いろんなジャンルをやってたり、宅録の経験がしっかりある人だったり、そういうのはある程度分かっていたので、データを渡せば後はやってくれるかなって。軽いリクエストは伝えて、後はお任せしてって感じですね。

――とはいえ、インストで即興を載せるわけじゃないですか。ソロをやりやすいようなコード進行や転調やリズムの変化があったり、みたいなのは?

それもUKジャズの話に戻るんですけど、UKジャズを聴いたときにインタープレイ主体じゃなくても音楽として完成されているからいいというか、インタープレイをがっつりやらなくてもいいって感じたことが自分の頭の中にあったんです。なので、反応してなかったりしても、それはそれでいいやと思ってました。でも、うれしい誤算というか、ふたを開けてみたら「これは一緒にやってたんじゃないかな」って感じる瞬間もあって、いい塩梅になりました。佐瀬くんとの「Skin Deep」でもリズムが少し変わっていくところで、キーボードのコンピングが変わっていったり、トランペットも変わっていって、っていうのが限りなく自然だったんですよ。過度に盛り上がり過ぎてないのもいいんですよ。インタープレイでも、過度に合わせたりしていて、他人の演奏に反応することが目的になっていると嫌だなと思ってたんですよね。反応するのは結果であって目的であってほしくないなというか。だから、いいバランスになっていると思います。

――ジャズ以外の仕事もしている人たちの集まりだからこそかもしれませんね。

人選の時点でそれを意識していたのはありますね。頼んだミュージシャンは少なくとも宅録のフォーマットで自分の演奏をすることに慣れている人たちですから。

――自分の演奏に関して「出てきたものを正直なものとして採用する」って話をしてましたけど、それはコラボの部分に関してもコントロールするんじゃなくて「ミュージシャンに委ねる」「偶然を受け入れる」みたいな感じで共通している気がしますね。

今回はフットワークもそうだし、自分の身が軽くなった気がしましたし、気持ちの部分でも軽やかさは感じていました。何を聴いてもフラットに感じられるし、演奏するにもそれでいいんだなって思えるし、自分がそういう姿勢になれたからできたアルバムかもしれませんね。

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桃井裕範『Flora and Fauna』

品番:GTXC-177

〈収録曲〉
1. Into the Stratosphere feat. Nir Felder(New York)
2. Skin Deep feat. 佐瀬悠輔
3. Fog feat. Gotch
4. Tail of a Comet feat. Gilad Hekselman(New York)
5. Gray Rhino feat. 角田隆太(from モノンクル)
6. Touches feat. なみちえ and Potomelli
7. IHDS
8. Bury the Hatchet feat. 松丸契
9. Gemini feat. Alan Kwan(香港)
10. Water Temple feat. Gold Mountain(香港)
11. Regression feat. MELRAW
12. Through the Seasons
13. Hands feat.ミゾベリョウ(from odol)




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桃井裕範 / Potomelli
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