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2月28日 ハルキウ州クピャンスク

CINRA.netに記事を掲載いただいた。今やほとんど、加速度的にウクライナに関するニュースは報道されなくなったが、取り扱ってくださって感謝。友人ミヤキにも感謝。

記事冒頭に少しだけ書いた、ハルキウの前線となっているクピャンスクについての雑感と顛末を書き記しておきたい。この町の状況がかなりひどそうだった。私は地元のボランティアに同行した。彼らは避難を希望する住民を安全な場所まで退避させる活動をしている。あくまで同行なので自由に動けはしないが、クピャンスクの雰囲気が少しはわかるだろうと思ってのことだった。

ウクライナの東部、赤い印がクピャンスクの位置

彼らは「ROSE ON HAND」という団体で、ロシア軍の侵攻以前は行方不明者を捜索するグループとして活動していた。最初の任務は行方不明者の女性を探すことだったが、残念なことに池で遺体となっている彼女の姿を発見。その女性の腕にバラのタトゥーがあったことからこのような団体名になったらしい。

「ROSE ON HAND」のワッペンが着けられた防弾ベスト

今回、事前にメンバーのオレクサンドルが連絡をくれていた。オレクサンドルの話によると、危険な仕事ではあるが、なにより困難なのは避難させるために説得することだという。残っている住民はお年寄りがほとんどで、彼らはこれまで過ごした故郷を離れることに抵抗がある。それを粘り強く説得して、事前に逃げる準備をしてもらい、ピックアップしにいくのだという。

直前、オレクサンドルが急遽別の予定が入ってしまい、英語を話せるメンバーがいなくなってしまったが仕方がない。住民への連絡役のロマンと運転手のアンドレイと待ち合わせ、7人乗りのワゴン車は出発した。

いくつもの検問所を越えたところで、助手席のロマンが振り向いた。
「防弾ベストをつけましょう」
ワゴン車はすぐにクピャンスクの町に入った。車窓から見える景色に人通りはほとんどない。崩れた集合住宅。土煙を巻き上げる軍用車両。切り倒されている街路樹は暖房や煮炊きの燃料にするためだろう。

連絡役のロマンは片手に持ったスマホで地図アプリを表示させながら反対の手で持ったもう一台のスマホで避難希望者に連絡を取り続ける。避難の説得はすでに済んでいるようで「到着したらすぐに車に乗り込んでほしい」という手順のようなことを伝えていた。

私達が町の中心部にいたのはたった30分ほどだろうか。郊外にも避難希望者がいたため、それも含めて1時間ほどだった。前線があちこちにあるようで、何度も迂回しながら進む。近くで着弾する音が響く。一度の大きな爆発のあと、無数の爆発音が響くことがあった。おそらくクラスター爆弾だろう。ロマンが私を見て顔を横にふる。ミサイルの軌跡が飛行機雲のような形で空に残っている。

ざっと見ただけだが、クピャンスクは町としてはもうほとんど機能していないのではないだろうか。明らかに出歩いている住民より兵士の姿のほうが目立つ。それでも待ち合わせ場所に到着すると避難を希望する住民が待っていた。

私が驚いたのが避難する住民のパブロナさん(71)を見送りに来た10代ぐらいの少年だ。パブロナさんの孫の友達だという。彼女の家族や孫はすでに避難しており、残っていたのが孫の友達、ということらしい。彼女の荷物を車に載せるのを見届けると、一人で来た道を戻っていった。この状況で、この町に残ってどうしようというのだろう。

町の中央付近で、簡素な食べ物、飲み物、車の修理工具などを売っている地元の人たちがいた。ウクライナ軍の兵士への物売りだろうが、残ってまで商売する彼らもすごい。避難希望者を全員回収したあと町を去る時に、物売りの出店を見てロマンが避難住民たちに「最後に何か必要なものない?ハルキウまで遠いから」と後部座席の住民たちに声をかけた。彼らへのジョークのつもりなのか、軽い口調だった。住民らは口を揃えて「何もいらない・・・それよりも早く連れ出してくれ」というようなことを震わせた声で言った。

町を離れると車内は安堵した雰囲気になった。避難者たちも若干だが表情が和らいだ。避難者は全員で4人。それぞれに車内で話を聞いたのだが、私が即席で学んだ未就学児レベルのでたらめウクライナ語がほとんど使い物にならず、避難住民の方々もお疲れだと思うのに、名前や出身地や状況、これからのことを聞くのに大変な苦労をかけてしまった。わからない場合はスマホの翻訳アプリを使って、ロシア語で吹き込んでもらう。聞いてノートにメモをするのだが、道が悪くて揺れるのでミミズ文字になる。

そんなことをしていたら、流れていた車窓の風景がいつのまにか止まり、車内は静まり返った。車のエンストだった。最悪な状況である。ドライバーのアンドレイが何度キーを回してもエンジンは微動だにしない。ロマンが焦って何かを言っている。避難者たちは早くハルキウに戻りたい一心で静かに見守る。

乗っていた避難民もみなお年寄りなので、手伝うにも限界がある。私とロマンでエンジンを押しがけするが、うんともすんとも言わない。近くにいたウクライナ軍の兵士たちが集まり、押しがけを繰り返して走り回ってなんとかエンジンが息を吹き返した。はじめはゼエゼエと息をするようなエンジン音だったが、なんとか生命力を取り戻したらしい。ハルキウに向けてスピードを上げる。

2時間ほどかけてハルキウ市内にある避難者を一時収容する施設に到着。運転手のアンドレイも無事戻ってこれたことにほっとしたのだろう。駐車場に車を止めてエンジンを切った。その直後、連絡役のロマンがとため息をもらした。

「おい・・エンジンを切ってしまったら次はどうやってエンジンをかけるんだよ・・・」

「・・・」

悪いのはアンドレイではない。車が悪い。戦争が悪い。どうにもならないのでロマンの親戚を呼び出し、その車のバッテリーをケーブルでつないだ。
「家に帰るまで絶対にエンジンは切らないように」
ロマンが口を酸っぱくする。

再び走り出した頃には夜になっていた。彼らは避難者の移送ボランティアを明日もやるという。こんな危険なことをやっていて家族たちは心配していないの?と運転手のアンドレイに聞いた。

「親戚や家族はもう外国に避難したから残ってるのは俺ひとりだし、できることをやってるだけだ。安全とは言えないけど、心配をかけたくないから毎日朝と夜に『今日も無事だよ』って電話しているよ」

彼らの活動費としてせめてもの寄付を渡したい。車のバッテリー代の相場っていくらぐらいなのだろうか。とりあえず3000フリブニャ(1万円程度)を彼のポケットにねじ込む。「いらない!いらない!」とアンドレイはつっぱねたが、なんとかなだめる。だが、こんな額じゃどうにもならない。彼らのワゴン車はかなり古いものを直して使っているようだ。こういったところにどうにか支援できる方法はないのだろうか。

彼らはガソリン代などは寄付金で賄っていると言っていたが、当然ながら国内からの寄付である。怪我をしたり死亡しても彼らには何の保障もない。そんななか、彼らはこの活動を2年も続けているのだ。もし万が一危険な目に遭ってもあの調子では、運転手のアンドレイは家族に「今日も無事だった」と伝えるだろう。

どうにかならないのか。考えても私一人の力では何もできない。そんなことを悶々と考えながら帰路も乗せてもらい、オペラ劇場前を通ったら今夜もスケーターたちが滑っていたのでそこで下ろしてもらった。

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