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ウクライナ日記 キーウで待ち合わせ

2月23日

昨日、ウクライナ北東部スームィから約一週間ぶりにキーウに戻ってきた。
今日は特に予定もないが、昨日の車酔いがひどくて昼まで寝ていた。
午後、街をぶらぶらする。
戦争開始直後に訪れた2年前の風景とは全く違い、人はたくさん歩いてる。空襲警報はまだしょっちゅう鳴るけれど、営業している店も多くて街が動いているという感じだ。

今回、ウクライナに入ってから何度も連絡を貰っていた人がいる。
その人は侵攻直後に入ったウクライナ南部のチェルノフツィで仲良くなった学生のパーシャから紹介してもらった。
彼はアレクサンドルという名前で、私とはWhatAppを使って英語で連絡をとっていたが、まだ会ったことはなかった。
よほど暇なのだろうか、「いつ時間がある?キーウで何がしたい?」といったメッセージが何度も来る。
パーシャの知り合いということは、きっとアニメが好きな学生かなにかだろう。
これまで私はスームィにいたことだし、忙しかったので会うのを先延ばししていたが、今日は時間があるので、連絡をとった。

アレクサンドルからは「午後5時まで仕事だからその後で」とメッセージがきた。
学生ならアルバイトでもしてるのだろうか。
できればそんなアルバイトの風景も写真に撮らせてもらえたらいいなと思ったが、とりあえず今日の午後6時に会う約束をした。

適当にぶらぶらして、何度もお世話になった現像所「Fotovramke」に挨拶に。
みんな元気そうだった。
去年来たときに私が置いていった写真集もまだあって、たくさんの人が見てくれたのか、ちょっとボロボロになっていたのがまた嬉しい。

6時前にアレクサンドルからメッセージ。
待ち合わせのレストランの指定がきた。
宿の近くで良かったと思いながら、歩く。
「渋滞なので10分遅れる」とメッセージが来たので「OK~」と返事しておいた。
10分と言ってもきっとさらに遅れて来るだろうから、私は15分ぐらい遅れて指定されたレストランの前に到着。
店の雰囲気がちょっと高級そうな感じで焦る。
学生だったらさすがに奢らないといけないだろう。
何人くるのかもわからない。
私には金の余裕はない。
金はできれば私が個人的に雇う現地の通訳や滞在費に使いたい。
やばいな、、、他の場所を提案するしかない。
近くの革命広場の地下に安めの食堂があったはず。
それとなく「地下の食堂はどう?」とメッセージを送った瞬間だった。
店の扉が開き「Welcome Mr.Hiro」と小綺麗な格好をしたおじさんが現れた。
そのおじさんはレストランの支配人のような仕草で、席を案内してくれる。
「わざわざ予約してくれていたのか。金どうしよう、、、」と焦りはピークに達した。
動揺に気づかれないよう案内されるまま席につくと、そのおじさんが目の前に座った。
彼がアレクサンドルだった。

思い込みというのは恐ろしい。
アレクサンドルは学生でもなんでもなく、建設業の重役をやっているとのことだ。
恰幅もよく、なかなかリッチそうな渋いおじさんである。
どういうツテでパーシャから巡ってきたのかわからないが、とりあえず金の心配はしなくて良さそうなので、胸をなでおろした。
さっき送った地下の安食堂を提案するメッセージが恥ずかしいままだが。

アレクサンドルは英語が話せない(メッセージはGoogle翻訳を使っていたらしい)ので通訳を連れてきたと言う。
私の隣に座っている60代の紳士だ。
なんと彼は元外務省の職員。アメリカで外交官もやっていたという。
「在日ウクライナ大使のコルスンスキー・ セルギーを知っているか?」と聞かれ、ニュースで見たことがあるので「知っている」と答える。
すると紳士は「昔、彼とワシントンDCで一緒に働いていてね。同僚だった。しかし、お互いの共通の知人がいるとは、嬉しいな」と嬉しそうに目を細めるが、私の顔は引きつっていた。
せっかくなのでいろいろと話を聞こうとすると紳士は言った。
「まずはボルシチを食ってからだ」
私は急いでスプーンを動かした。
この日は彼らから興味深い話を聞けた。

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