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ウクライナのホームレス  身分証がないということ 5月17日 ハルキウ

(5月17日時点での日記です)
ハルキウの滞在も1週間を超えた。最初に訪れた日に比べ、街の中心部で聞こえる砲撃の音も遠ざかっているのを感じる。東部ハルキウに限って言えばウクライナがロシア軍を国境付近まで押し返しており、取材で訪れることができる村が徐々に増えつつある。ここ数日、奪還を果たしたという郊外にある村をいくつか回ったが、どこも悲惨だった。これはニュースでも報じられている通りだ。

私はそろそろ、次の街へ向かおうと考えていた。次の目的地はウクライナ南部の都市オデーサと決めていた。黒海に面するオデーサは、国内最大の港を持つ要衝でもあり、海と陸の両方からロシア軍の圧力が強まっている。オデーサ市内中心部はミサイル攻撃はないものの、郊外ではショッピングモールやホテルなど、すでに何度も空爆され、死者も出ている。向かうことには不安はあるが、目的地が決まれば腹も決まる。緊張続きで疲弊していた気持ちも少しだけ軽くなる。

滞在していたこの小さなホテルの宿泊代はこの1週間で1.5倍以上に跳ね上がっている。初日は日本円で一泊6000円ほどだったが、いま受付カウンターで掲示されている手書きの値段表を見ると10000円近くになっている。需要と供給で価格は変わるのは万国共通だろう。他のホテルがほぼ営業していないという理由もあるが、ウクライナ軍がロシア軍を押し戻しているということで、海外からのジャーナリストたちがキーウやリビウからこの街へ集まってきているという理由も大きい。そういう意味ではハルキウ中心部に限ってだが、少し安全になったと言えるかもしれない。

午前中に精算を済ませ、チェックアウト。オデーサまでの列車の出発は今夜。宿のカウンターにバックパックを預け、一人で街を歩く。最後にこの街をもう少し見たかったからだ。

ハルキウの北部にある前線から戻ってきたところだというウクライナ兵士ら。

大通りにある地下鉄の入り口には人々がたむろしている。電車に乗るためではない。地下鉄の構内が避難所になっているため、外の空気を吸い、太陽を浴びようと避難者が外に出ているのだ。一部の地下鉄や公共バスも運行再開を始めるという地元のニュースがあったが、この駅はまだ再開していないようだ。先日まで閉まっていた花屋さんは営業を再開していた。店の外まで花の香りが届く。

時折、厚い雲の合間から太陽が顔を出し、暖かい。キーウ周辺では無数のタンポポを見たが、この街では風に吹かれた綿毛が飛んでいる。

街の中心部に向かう橋を渡る。川原で焚き火をしている人たちが遠くに見えた。避難者が焚き火をしているのだろうか。橋を渡りきり、街に向かおうとしていた私は、ひっかかるものを感じて引き返し、彼らのところへ向かった。

川原には男性二人、女性一人、そして犬が数匹いた。

「ドーブロボ ドニャー(こんにちは)、ヤーズ ヤポーニイ、ヤーコレスポンデント(日本から来ました、カメラマンです)」といつもの簡単な挨拶をする。すぐに挨拶を返され、言葉が続くが、これまたいつも通り、その言葉の意味がわからない。言葉がわからなくても、彼らがこの川縁で生活していることは、彼らの姿やその周りにあるものですぐにわかった。服は汚れ、体臭が匂う。破れたソファや椅子、有り合わせの生活用品が無造作に置かれている。「タバコはあるか?」とウクライナ語で聞かれ、一箱渡すと彼らは笑顔で迎えてくれた。

男性のひとりは英語で「ホテル・リバー」だと言って笑った。

身振り手振りで説明してくれたところによると、彼らは戦争前から家がなく、ホームレス状態だという。地下鉄に避難しないのか?と尋ねると彼らはパスポートといった身分証を持っていない、と答えた。「なぜ持っていないの?」と聞くと、彼らはどう説明するべきか話し合い始めた。すぐに「盗まれたんだ」とジェスチャーをするが、真偽はわからない。真偽はわからないが、彼らは身分証がないため、地下鉄(避難所)に逃げることができない、という。身分証がなければ避難所に入ることもできないのは確かだ。地下鉄の入り口には必ず警察官がいる。私が取材で入る時も必ずパスポートとプレスカードをチェックされる。これはロシアの工作員を入れさせないためだろう。そして、身分証を持たないということは、彼らはハルキウから他の街にも脱出できないということを意味する。街の外には無数に検問所があるし、鉄道にさえ乗れない。

私には日本のパスポートがある。万が一これを紛失したら彼らと同じような生活を強いられる。今もなお、ウクライナにあった日本大使館は国外退避したままで、誰からの保護も受けられない。彼らと比べるものでは決してないが、改めて自分の置かれている状況の不安定さを理解する。

どうしてもお金が必要な時(主にタバコを買う金)はスクラップから銅線を集め、売っているという。

夜間外出禁止令が続く現在、夜はどうしているのかだろうか。顔の隣に合わせた両手を置き、睡眠のジェスチャーで聞く。すると、男性の一人が顎で隣を指した。ソファの隣には汚れた寝袋が土の上に、直に敷かれていた。これでは体にこたえるだろう。日中は暖かくとも、夜の土の上はかなり冷えるはずだ。女性の一人が「ついてきて」という身振りで立ち上がった。彼女は橋のたもとにある護岸のコンクリートの割れ目に入っていった。その空間は奥行き2メートルほどで、汚れた毛布が置いてあるだけだった。饐えた匂いが鼻につく。彼女は、ここで犬と寝ている、と身振りで説明した。こんな割れ目でミサイルの攻撃から身を守ることができるのだろうか。ただでさえ、橋周辺は攻撃対象として狙われやすいというのに。

「食べ物はあるのか?」もっとも気にかかることを聞いた。質問を理解した彼らの表情は、ほんの少しだけ誇らしげになった。男性の一人がテーブルの隣に置かれたカゴを見せてくれた。カゴには古くなった野菜が入っている。どれもゴミ箱や食料配給所で捨てられたものを拾ってきているらしい。後から確認したことだが、彼らは私が滞在している宿のゴミ捨て場からも拾っているとも言っていた。海外からの支援、国内の公的な援助などから程遠い生活だ。

カゴのなかには芽が伸びきった玉ねぎやじゃがいも、萎れたレタスが入っていた。

翻訳アプリを使い、ウクライナ語で「あなたたちは流浪の民なのか?」とスマホの画面を見せた。彼らはロマ(ウクライナ 語:цыганка)なのかもしれないと頭を過ったからだ。男性の一人は汚れたままの太い指を使って、翻訳アプリに時間をかけて打ち返してくれた。画面には「それは正確ではない、ただのホームレスです。」と表示された。そのスマホは私のもので、この3人ともスマホを持っていない。戦争の状況やニュースはどうやって知るのか?と問うと、素っ気なく「仲間から聞く」と片言の英語で答えた。

彼らに数日分の食費と手持ちの残りのタバコを渡し、私は宿に戻った。

彼らがかわいそうといえば、そうなのだが、自分の気持ちがどうもよくわからない。彼らが助けを望んでいるのかどうかもわからない。一人では言葉の壁の限界も感じる。(いつもインタビューなどは原則、許諾を得て音声を録音している。ウクライナ語の場合も。翻訳すれば詳しいことがわかるかもしれない)ウクライナはIT先進国と言われているが、それはスマホやパソコンを持つ人に限ってということだろうか。毎日、よくわからないことが多すぎて、整理がつかない。

気持ちがぐったりと疲れてしまった。だが、チェックアウトした私に部屋はない。ホームレスの彼らの環境とは比べものにならないほど快適なロビーの椅子に座り、無為に過ごすだけだ。

しばらくすると続々と宿の前にワゴン車が到着した。どれも黒い車体でピカピカ。サイドやフロント、リアまでにデカデカと「NBC」のロゴが貼ってある。例の虹色のトレードマークも毒々しく見える。「PRESS」と書かず、ご存じと言わんばかりに社名を掲げるのがアメリカのメディアらしさを感じる。(NBCはABC,CBSと並ぶアメリカ3大テレビネットワークのひとつ)これらの車両のナンバープレートはキーウのもので、たったいまハルキウに到着したのだろう。車から降りたスタッフたちは慌ただしく、チェックインを始めた。そこには当然ながら値段の確認や値引き交渉などは一切ない。私なんかとは桁違いの予算を抱えているはずだ。リポーターやカメラマン、技術スタッフはもちろん、キーウから連れてきた通訳や運転手も宿泊させるのだろう。車に積んでいた食料や水も運び入れ始めた。この小さな宿をNBCのハルキウ臨時支局にするつもりだろうか。このままでは宿泊費は跳ね上がり、2倍は超えるだろうな、と思った。少しは安全になったとはいえ、今朝チェックアウトして正解だったかもしれない。

部屋がないままロビーに居座る私だが、宿のスタッフたちは全く気にしていない様子で助かった。できればこのまま夕方まで粘りたい。それにはけち臭くて情けない理由がある。このロビーにさえいれば、夕食にありつけるからだ。ほとんど毎日同じメニュー(塩ゆでのマカロニ、パン、胡瓜のサラダ)とはいえ、とてもありがたい。次の街、オデーサに到着するのは昼になる。他にろくに店がやっていないなか、食える時に食っておきたい。しかも、ここにいればスマホやカメラ、MacBookの充電をさせてもらえる。できるだけ存在感を消して粘る。きっとバレバレなんだけど。

宿泊していた宿の隣の建物はずいぶん前に爆撃されてい。これは精神衛生上あまりよくない。

さっきから向かいのテーブルでは取材クルーとフィクサー(通訳・コーディネーター)がずっと大きな声で議論をしている。
「どうしても※M777を撮りたいの、できれば兵士の至近距離で撮りたいのよ!」
「ロシア兵はあんたたちを殺せるんだぞ!簡単にな!それをわかって言ってるのか?」
「私たちにはどうしてもそのシーンが必要なのよ!さっきから"NO"としか答えないけど、それがあなたの仕事なの?」
「気持ちはわかるが、無理なものは無理だ。もう一度、広報官に確認してみるが、期待しないでくれ」
そんなやりとりが続いている。もうずっとだ。少しうんざりしてきたが、他に居場所がない私は、ただ座って眺めているしかない。

※M777はアメリカが供与した軽量榴弾砲で、ヘリでの空輸や車両での牽引が可能。今回のハルキウ攻防戦でその存在と効果が注目されている。ハルキウ周辺で常に聞こえる砲撃音もこれだろう

大変お世話になった宿のスタッフ。彼女、彼らにも生活があるというのに、ありがとうございました。
受付の男性は「私たちはやがて勝利する。平和になった時、またここに泊まって欲しい」と言った。

夕方、ロビーのカウンターの奥で、宿のスタッフのおばさんたちが慌ただしく動き始めた。奥からマカロニを茹でる香りが漂ってくる。あのホームレスの人たちは、今夜もこの宿のゴミ箱を漁るのだろうか。ハルキウ市内周辺までロシア兵が包囲していたひと月ほど前、避難所にも入れない彼らはどれほどの恐怖を抱いていいたのだろうか。スマホもない彼らは、いずれ訪れるかもしれないウクライナの勝利をどうやって知るのだろうか。やはり人づてで聞くのだろうか。そんなことをぼんやりと考える。

夕食をいただき、宿のおじさん、おばさんたちに挨拶。大変お世話になりました。

暗くなる頃、寝台車に乗るため、駅に向かう。遠くで砲撃の音はまだ聞こえる。ほとんど照明の付いていない駅では、陽気な地元のボランティアの二人組がホームまで案内してくれた。もう何度も鉄道に乗っているので、いまさら案内は必要ない、と断ったが、彼らのお節介は止まらない。苦笑いしつつも、最後は謎の記念撮影(なんの?)してお別れ。

寝台車のコンパートメントは今夜も私一人だった。


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