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『令和版 現代落語論』が示す落語の本質——広瀬和生氏による解説(特典「副読本」より)|#わたラク マガジン vol.25

みなさん、こんにちは。
ひろのぶと株式会社 編集の廣瀬です。

本日は、『令和版 現代落語論』の電子書籍版配信を記念して……

当社オンラインストア「Hironobu & Co. ONLINE STORE」でご注文くださった方や、イベントにお越しくださった方にお渡ししている特典の小冊子『副読本』を大公開! 先日、紀伊國屋書店 新宿本店でのイベントで談笑師匠と対談いただいた、音楽専門誌『BURRN!』の編集長で落語評論家でもある広瀬和生さんによる解説を掲載いたします!


『令和版 現代落語論』が示す落語の本質——広瀬和生

 落語とは、演者が目の前の観客に語りかける大衆芸能だ。「目の前の」というのは二つの意味を持つ。一つは「演者と観客が空間を共にするライヴ」であるということ。もう一つは「演者と観客は同じ時代を生きている」ということだ。この二つの〝本質〞が忘れられてしまうと、落語は衰退する。実際にそれが起こったのが一九九〇年代だった。

 一人の演者が大勢の相手に面白い噺をする芸能は十七世紀の終わりに京都、大阪、江戸で相次いで発祥し、上方落語と江戸落語という二つの流れとなっていく。江戸から明治、大正と時代が移り変わる中で、落語は東京や大阪の庶民の娯楽として親しまれた。現在、〝古典〞と呼ばれる演目の多くにおいて、貨幣単位として〝円〞〝銭〞が用いられているのは、明治・大正期に近代落語が整理されたからだ。江戸時代からあった噺でも、明治の演者は明治の風俗を、大正の演者は大正の風俗をしばしば取り入れている。落語で語られる内容はいつの時代も常に聴き手にとって身近でリアルだった。落語は教わった噺をそのまま継承する〝古典芸能〞ではなく、あくまでも「現代人のためのエンターテインメント」だったのである。

 昭和に入ると、日本人の生活様式と落語が描く庶民の暮らしとの距離が大きくなり始める。それでもまだ戦前は「明治時代から連続している日本」だった。明治最後の年は一九一二年、その三十年後は昭和十七年。戦前には「明治はついこの間」と感じる人は多く、落語が描く庶民の暮らしは、それほど違和感なく受け入れられたはずだ。我々が一九九三年を舞台にした映画やドラマを観て「携帯もインターネットも普及していなかった時代」にそれほど違和感なく入り込めたりするのと似ている。戦前までは江戸から明治、大正と連続する〝古き良き日本〞だった。

 だが、戦後の復興の中で日本人の生活様式は大きく変わり、昔ながらの落語の様々な設定が古めかしく感じられるようになってくる。その古めかしさをあえて称揚するために用いられたのが、〝古典落語〞という造語だ。

 〝古典落語〞という言葉が用いられるようになるのは昭和二十九年以降。「もはや戦後ではない」と言われた高度経済成長期のことだ。当時、落語を伝統芸能と位置づけて地位向上を図る評論家や作家たちが、〝古典落語〞という目新しい言葉を用い、「古典落語と新作落語」という線引きを行なった。この〝古典落語〞という造語は、昭和三十年代から四十年代に掛けての「ホール落語」の定着と共に広く普及することになる。

 そして、その〝古典落語〞を代表する演者が八代目桂文楽、五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭圓生といった〝昭和の名人〞たちだった。彼らは落語の歴史におけるオールタイムベストではなく、あくまでも〝あの時代〞を代表する演者として〝古典落語〞の普及に貢献した人々であり、それぞれ時代に合った〝自分の落語〞をこしらえていたのである。

 高度経済成長期に〝古典落語〞が普及したことで、落語の命脈は保たれた。だが、それが音源として永久保存されたことで、「古典落語とはこうあるべきもの」という誤解が生まれてしまった。皮肉にも〝古典〞という言葉が大きな障害となったわけだ。

 もちろん昭和の名人の次の世代にも、「俺たちは〝今の古典落語〞を創らなければいけない」という意識を持った演者がいた。立川談志、古今亭志ん朝、柳家小三治、五代目三遊亭圓楽といった人々だ。彼らは昭和の名人の呪縛に囚われず〝自分の落語〞をこしらえた。それが今の落語界の興隆の直接的な源流だと言ってもいい。だが、大半の凡庸な落語家は〝昭和の名人〞の劣化コピーを披露するばかり。そしていつしか、それこそが落語の伝統を守ることだという風潮が寄席の世界を覆っていく。それが頂点に達したのが一九九〇年代だった。当然、そんな寄席が面白いはずがない。寄席は一部の好事家だけが通うアンダーグラウンドな世界になった。

 だが「落語立川流」家元の談志は〝寄席の外側〞の世界で闘いを繰り広げ、立川志の輔、立川談春、立川志らくといった優秀な弟子を育てた。志の輔と志らくは沈滞した一九九〇年代の落語界にあって異色の活躍ぶりを示し、談春は二〇〇〇年代の落語ブームを牽引した。彼らは「落語は年寄り向けの古臭い芸能じゃない。現代人のためのエンターテインメントなのである」ということを、自らの高座で証明してみせた。

 それに続いたのが、談笑である。談笑は〝古典落語〞の本質を鋭く分析し、時には時代設定を現代に移すなどの大胆な改作を施すことで、古典の演目を観客にグッと近づけた。談笑が大胆な改作でメキメキと頭角を現わしたのが二〇〇〇年代の初頭で、当時その手法はまだ〝異端〞と見られることもあったが、僕は「これこそが現代の落語だ!」と大いに興奮し、まだ二ツ目だった談笑の月例独演会に通い詰めたものだ。

 『令和版 現代落語論』には、そんな談笑の落語に対する分析と熱い思いが詰まっている。特に大きな意味を持っているのが「演者側からの分析」であるということだ。

 冒頭で書いた二つの〝本質〞のうち、「演者と観客は同じ時代を生きている」ということは現在、多くの優れた演者たちが意識的に実践している。今の落語界で人気を得ている落語家たちは皆、〝古典の中で息づく現代人〞を見事に表現し、同時代人が共感する〝自分の落語〞をこしらえている。もちろん、談笑もそれは同じだ。

 だが、本書において談笑はもう一つの本質、すなわち落語が「演者と観客が空間を共にするライヴ」であるということを、演者側からのリアルな実感として明確に言語化した。これは画期的だ。(ちなみに談笑の一番弟子の立川吉笑は、著書『現在落語論』において「お笑いの技法としての落語の特質」を演者側から分析していて、これも優れた考察だったが、あくまでもテクニカルな〝手法〞の分析だった。それに対し、今回の談笑はより包括的な
「落語という芸能のあり方」を述べているという点で〝画期的〞なのである)

 そしてまた、第二章の「談笑はこう変える」における「談笑版への改変ポイント!」は、「演者と観客は同じ時代を生きている」という本質を鋭く捉える〝演者〞談笑の手の内を明かした実践講座とも言うべきもの。結果としての改作は客席で知り得ても、そこへ至るプロセスは談笑だけが知る。これが読みたかった! まさに待望の一冊である。

広瀬和生(ひろせ・かずお)
一九六〇年、埼玉県所沢市生まれ。東京大学工学部卒。落語ファン歴五十年、ほぼ毎日ナマの高座に接し、『この落語家を聴け!』『21世紀落語史』『噺は生きている』『落語評論はなぜ役に立たないのか』『小三治の落語』『落語の目利き』等、落語関連の著書を多数出版。落語会のプロデュースも手掛ける傍ら、音楽専門誌『BURRN!』の編集長という〝別の顔〞も。


ちなみに『副読本』は、もちろん上田豪さんのデザイン。ピッタリ本に収まるサイズでつくっています。紙面には、数々の高座の写真を撮影されてきている橘蓮二さんによる談笑師匠のお写真をカラーで収録。そして、広瀬和生さんによる解説は縦書きで掲載しています。

同じ解説でも、きっとnoteで見るのとは違って感じるはず。

何より、本の表紙を模した『副読本』は、本と一緒に持っているとかわいらしい。

そしてさらに、背表紙には『副読本』特典として談笑師匠からのメッセージが見られる二次元コードが印刷されています。

機会があればぜひ、ゼヒ、是非! 当社オンラインストア『Hironobu & Co. ONLINE STORE」やイベントで、小冊子の『副読本』をゲットしてくださいね。


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