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「問い」のかたちで都合よく保留してしまっているのかもしれない。

こんばんは。
今年も残すところ100日をきったようで、突然の秋が早いのか遅いのかわかりませんね。

昨日から、自分の学び「独学」ができるように、そして人生がもっと楽しめるように、経験の差分をふり返る記録をはじめました。

この記録のきっかけである書籍「独学の地図」の方法を自分の中に少しずつ取り込みつつ、習慣化できたらいいなと思っています。

独学の地図から引用

本書では独学を3階層で整理されています。一つずつこんなことだよ、と取り上げ、自分の現在地に当てはめて咀嚼したいニーズがあります。来月できたらいいな。

ひとまず、「差分」を問う習慣チャレンジ。仕事では当たり前に意識するのに、自分に当てはめると抜け落ちていた視点でした。実際に考えるとなかなか難しいものです。


今日の差分
「今日の出来事は自分にとってどんな意味があったのか?経験前後の自分のちがいは一体何か?」

ー今日の経験と気づき
今日は、雑談的に、自分とは異なる見方をする方のお話を聞く時間がありました。その方は批判的な思考が得意にみえます。「そうもみえるんだな~」「たしかにその違和感は、日常でも起こり得ることだ」「昨年の内的なカオスが起きた背景には、似た価値観があったかもしれない」と感想が立ち現れます。

時間差で「ちゃんと自立されている視座だから見えていることかも」「自分には欠けているところを持たれているから考えられることだ」と勝手に比較する解釈が生まれて、すこし気落ちしました。

この比較はこの1年ほど私の中で頻出するものの見方です。そう振り返ると、自分があたりまえに固着している前提や枠組みがあり、視野が狭くなっていることに気づきました。(またか~やれやれ)

さらに、枠を問い直す視点をもつこと、自分がどう見ているのか解像度を上げる問いは浮かぶけれど、問いに転換して止まってしまうことにも気づきました。

「じゃあ、こうすればいい」という学びへの転換にたどり着けていない。

今、答えがなくても、仮説までもっていかないと学びにつなげられないのではないか。いつも、「問い」のかたちで都合よく保留してしまっているのかもしれない。そんなことに気づきました。

気づけども、その筋力がなくてこうなっているので、今日のところは頭の片隅で保留します。(都合のよさを取って矛盾している~。これが書けたから💮)

また明日。



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