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溶け込んだ演劇ー『ちぇんじ・図書館のすきまから』

ここは、どこだ。
電車を乗り継ぎ、バスに30分以上揺られてきた。八王子の田舎(失礼)には、自販機も所々しかなく、乾いた喉を潤すのにも少し難儀する。ただ、抜けるような青い空と澄んだ空気は格別で、これが同じ東京かと疑ってしまう。
僕は電車とバスにゆられているうちに、どこかもっと遠方の、自然豊かな田舎に流れ着いてしまったのではないか。

不安を感じつつ、スマホの地図を確認する。合ってる。もうすぐそこだ。
本当にこんなところに劇場などあるのだろうか。

23区内の劇場は大小関わらず、ほとんどが駅から徒歩10分以内にはある。それだけアクセスの利便性は観客動員数にも直結するし、やっぱり自分が観客として舞台を観にいくときも、劇場の遠さは少し気にしてしまう。それによって気になっていた作品を観に行かない、ということはないけど

「あ〜、あそこか。駅から遠いんだよな」

ぐらいに少し億劫には感じてしまう。仕方ない。僕はとても怠惰な人間だ。

5分ほど歩くと、民家の間に突然それは出現した。
いや、突然というか、正確には出現“していた”
そう、こちらが到着したことに気づかないほどにさりげなく、他の民家に同化している。
劇団 風の子。その稽古場兼スタジオは、その風貌から完全に街に溶け込んでいた。

劇団 風の子は学校公演を主な活動とする劇団だ。
作品を学校に持って行き、生徒たちに鑑賞してもらう。そのほか子供達向けの表現・コミュニケーションのワークショップも行なっているらしい。
なるほど、観客は大人はもちろん、子どもも居る。子どもたちが演劇に触れる機会が、こうして自然に存在していることが、なんだか嬉しくなった。昨年から本格的に演劇教育の勉強を始めた影響だろう。

作品は『ちぇんじ・図書館のすきまから』
本が好きな内気な女の子・彩花が、不思議な本を見つける。その本の力で物語の中の“王様”と入れ替わる、というストーリーだ。
歌もあり、踊りもあり。飽きることなく楽しめる物語が、工夫を凝らした舞台美術や衣装とともに繰り広げられていた。その中にも「他人を思いやること」「自分の意見を持つこと」と言った作品メッセージが光る。
僕はそれを観ながら、自分が子供の頃みた演劇を思い出していた。

正直、何を観たのかどんな物語だったのか、記憶はない。
体育館に簡易的に作られたステージの上で、役者さんが喋っていた。確か人形も出てきていたと思う。記憶にあるのは、布を炎に見立てた演出で、確か街が焼ける場面だったように思う。なんだか“怖い”と思った記憶はある。
恥ずかしながら、これぐらいしかおぼえていない。おそらくこの体育館で観た演劇公演が、僕の最初の観劇体験だと思うけど、記憶としてはその数年後に見た劇団四季の『ライオンキング』の方が印象深いぐらいだ。
しかし今だから思う。あの学校演劇を見ていなかったら、僕は演劇の世界に入っていただろうか。


家路に着こうと、建物を出た。ほんの少し色味を変えながら、八王子の森が、そこにある。
10年後、今日この作品を観た子供のうち、多くの子はその物語もキャストや美術のことなんかも覚えていないだろう。あの時なんか観たな。そういえば、そんなこともあったっけなと、家の奥にしまわれていた当時のパンフレットを見て思い出す。その程度だろう。
だけど、それでいいのである。
物語のスジを忘れても、セリフの内容を忘れても、面白かったダンスの振り付けを忘れても。

“あの時観たなんか”がその子の中に、澱のように蓄積していく。大人になったその子は、ふとした瞬間に、今日のこの素敵な瞬間たちを思い出す。
この街に溶け込んだ劇場、生活と溶け込んだ演劇が、自分の記憶にも存在したことを、思い出す。
そう断言できるほどに、素敵な瞬間がたくさん散りばめられた、まっすぐな作品だった。

帰りの長い長いバスに揺られながら、そんなことを考えた。


いしわたひろむ

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