私と父との間の映画/『インターステラー 』
私は中学生まで、週末に父親と映画を一緒に観たり映画館に連れて行ってもらうことが多かった。
観る映画を提案するのは私で、当時は鑑賞料金を毎回払ってもらっていたので、父親にトレイラーを見せたりプレゼンしたりして、観たい!と思わせなければならなかった。
色々な作品を観に行ったのに、あの頃の思い出を思い出すと決まって最初に頭に浮かぶ作品がある。
それは『インターステラー 』。
言うまでもない、クリストファー・ノーラン監督の傑作SF。
SF作品としてのスケールが大きく、惑星やブラックホール描写、4次元の世界の映像に圧倒された。
親子の物語としても大好きだ。
毎回映画を観に行った後は、駐車場に戻るまでにそれぞれ頭の中で整理して、車に乗ってからやっと2人で感想を言い合うのが恒例だった。
『インターステラー 』の時さ車に戻ってからも2人は口を開かないままだった。
映像にただただ圧倒されたからだろうか。
ストーリーに理解が及ばなかったからだろうか。
沈黙のまま、国道の看板の光が私たちの後ろへと流れていった。
何故だかわからないけど、その空間を今でも鮮明に思い出す。
そして、その心地よさに浸ってしまう。
ようやく父が口を開いたかと思えば、「なんか、よう分からんかったけど、すごかったなぁ。」と言った。
「難しかったけど、映像はヤバかったな。」
一度会話が始まれば、2人の口から言葉が途切れることはなかった。
何十年も1人だった宇宙飛行士が、会話相手を見つけたように。
父の運転する車が家に戻ることが、宇宙船で故郷の星を目指すことと重なって、それが脳内で心地よい宇宙を広げたように感じる。
自分でもはっきりと分からない。
何故『インターステラー 』を2人で観に行ったことをここまではっきりと覚えているのか。
だけど、きっと、映画の周波数と私たちの周波数が、調整けずともピッタリと合ったのだろうな。
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