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30歳のおじさんが動物園という場所に惹かれて仕方がない話

こんにちは。
米山です(@hiromu__photo)

30歳のおじさんとはまぁ何を隠そう私のことなのですが、年齢によって物の見え方や捉え方というのは知らず知らずのうちに変化していくものです。

僕にとって動物園がまさに捉え方が変化する場所だと感じた出来事があり、益々心を鷲掴みにされてしまいました。
というわけで今回は僕が動物園に惹かれるワケをお話しします。

丸くなって眠るキタキツネ

動物園とは「学びの場」

小学校の頃、校外学習で動物園に訪れた記憶がアラサーの皆さんはあると思います。
僕もその1人なわけですが、今思うとそこで初めて人間以外の生物の生態を学んだと言ってもいいくらいのビッグイベントでした。

それまで絵本などでしか見たことのない大きな動物が目の前で動いているのですからそれはもう大興奮だったでしょう。
ライオンかっこいい!うさぎかわいい!キリンおっきい!サイ強そう!
こんな感想から、生物の多様性を少しずつ認識するわけです。

つまり入り口は純粋な「興味」なのではなかろうかと、そう思うのです。

動物園は昔からこうした学びの場、そのきっかけとなるような場所としてあらゆる人へ門戸を開いています。
少しでも興味を持ってもらうあらゆる施策がたくさんあります。
それは全て学びの最初の段階である「興味」を向けてもらうためなのかもしれません。

この記事でも、少しでも多くの人に興味を持ってもらえるようにたくさん写真を載せています。
(可愛いでしょう!という自慢でもあります)

斜面をすべるホッキョクグマの子ども

学びと成長

人間とは豊かな感情とは裏腹に、実に現実主義的な側面があるように思います。
それは成長と共に培われる経験からくるものなのかもしれません。
そうしたたくさんの経験から、学ぶべきこととそうでもないことを取捨選択してしまうのも事実でしょう。
これはある種人間の生物としての生存本能的なナニカによるものなのかもしれませんね。

どういうことかというと、子どもの頃あれだけ心躍った動物園。悲しいことに大人になると知らなくても別に困らないものになっていってしまうのです。
学びのきっかけである興味も対動物に限らずあまり抱かなくなってしまいます。

つまるところ成長とは、その言葉の印象とは逆にある一面では学びの阻害となる場合も往々にしてあるのではないか。
そう思うわけです。

そこで貴重な動物達を絶滅の危機などから守るために、動物園は受動的な学びの機能があるだけではいけないわけです。
来園者に、特に大人の我々には学んでほしいのではない。かわいいだけが動物ではない。かっこいいだけが動物ではない。
そういった先にある個々の生態や実情を積極的に伝える「教育」という役割も、動物園にはあるのではないでしょうか。

遠吠えをするシンリンオオカミの姉弟(右が群れのリーダーでもある弟、左が姉)

アラサーに贈る「教育の場」としての動物園

最近はSNSの発達により昔よりはるかに簡単に動物の写真や映像を見ることができます。
多くの場合その流れてきた投稿に対する感想は「かっこいい」「かわいい」でしょう。
その方がコンテンツとして多くの人に見られるので、投稿者もそういう写真を選んでいるはずですから、この感想は至極当然のことだと思います。
動物保護は知ってもらうことから始まる。とはまさにその通りですから、今の時代その初期段階はクリアしやすくなったんだなと、僕も嬉しい限りです。

話を戻しまして、それでは動物園に行った際はどうでしょうか。
おそらくそこでも「かっこいい」や「かわいい」という感想を大人になった今でも抱くと思います。
しかしよく考えてみてください。

「大きいね」「なんか細いね」「尻尾長いね」
大人になってから訪れた動物園で、こんな感想も抱いた経験はありませんか?

それこそがきっと教育の入り口なのです。
なぜ同じトラなのにこんなに大きさが違うのか。
なぜ同じネコ科なのにこんなに模様が違うのか。
この疑問が出た時、動物園は教育の場として第二の機能を発揮していくんだと思っています。

組み木の上で周りを見渡すアムールヒョウ
雪の積もった岩場を歩くユキヒョウ

旭山動物園での出来事

「伝えるのは、命」を掲げ、動物の生態や行動を観察できる優れた環境展示で有名な旭山動物園に先日訪れた際の話しです。

僕は特にネコ科動物を愛してやまない系おじさんなのですが、アムールヒョウのもぐもぐタイムの際にこんなことがありました。

飼育員「みなさんアムールヒョウを見てどう思いますか?」
来園者「かわいい」「意外とスリム」「寒そう」
飼育員「そうおっしゃる方すごく多いんです。でも皆さんはせっかくこんなに寒い中アクセスも良くない動物園にわざわざ休みの日を使ってきてくれてるんです。もう少しアムールヒョウのことを知って帰ってほしいなって思います」
飼育員「アムールヒョウは野生に何頭いると思いますか?」
来園者「500、、くらい?」
飼育員「70頭くらいです。たったそれしかいないんです。みなさんは休みを返上してここに来てくれました。そしてこんなにも貴重な動物が今あなたの目の前にいるんです。かわいいだけで帰っちゃうのもったいなくないですか。もう一歩二歩踏み込んでみましょう」

こんな話しをした後、餌である鶏頭やヒヨコはどういうものなのか、こういった餌は骨ごと食べる、という実演を交えた話しをしながら。
また、アムールヒョウの模様がどのように実際の彼らの暮らしで役立っているのか、隣のユキヒョウとどういう点で異なるかなど、その生態や特徴だけでなく、目を背けそうな事実まですごく丁寧に話していました。

(オスのヒヨコは卵を産まないため処分されているそうで、その一部をもらい、餌としてあげているとのことでした)

かわいいだけではない、かっこいいだけではない。
その動物の生きる姿や置かれている状況、人間との関わりなど、動物と人間の今を教えてくれる場所でもあるんだと再認識した瞬間でした。

SNSなどで存在を「知る」
実際に見に来る「興味」
そうした人たちに真剣に「教える」

そんな理想的な動物園の姿を旭山動物園は体現しているように見えました。

アムールヒョウだけでなく他の動物の飼育員さんもそういったお話をしていたので、旭山全体でこういった取り組みをしているのかもしれません。

雪の中こちらをじっと見つめるアムールヒョウ

僕が動物園に惹かれる理由

僕が動物園に惹かれる理由。
それは、他の生き物と人間の共存の可能性を感じられるからです。

はるか昔ヒトが森で暮らしていた時代、周りに住む生物の習性や生態は自分が生きるために必須の知識でした。
人類の進化や成長とともに徐々に失われている、共存のために必要な知識を動物園は興味が湧くように展示し、学びのきっかけをくれ、もう一歩先へ進めるよう教育してくれます。

ユキヒョウが実は雪の少ない岩場で暮らしてることも、
木登りが得意なスリムなトラがいることも、
レッサーパンダに獰猛な一面があることも、
動物園に行かなければ知り得ませんでした。

知ることから始まる野生動物の保護は、「なぜ」によって先に進んでいく。
そのなぜを元に学んだことを例えば子どもたちに受け継いでいく。

そうすることで、いつの時代か保護するだけではなく、生き物たちと上手に共存できる社会がつくられるのではないか。

そんな期待も胸に、今日もおじさんは動物園に通うのです。

降り積もった雪の上を歩くアムールトラ


米山大夢
Yoneyama Hiromu


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