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「ながら学習」はダメだが、「ながらテレビ」はまぁいっか

大人になると、ながら仕事ばかりじゃないですか?


大人の「ながら」

「音楽をかけながら仕事」はあたりまえ。
単純作業中は、「ニュースや動画をつけながら作業」しています。

オーディオブックという便利ツールができたから、ながら仕事が捗って仕方ない。
「漫画を読みながらドラマ」「スポーツ見ながらドラマ」をしていたら、妻から「さすがにそれは無理じゃないか」とツッコまれたりもします。

こうなってくると、聖徳太子的な能力が身につかないかな、といろろいチャレンジしたりしてます。

ただ、国語教材を作っているときに、歌詞のある音楽は無理です。
頭を使いたいときに、ドラマを流すと思考が止まります。
「オーディオブック×ニュース」もダメでした。

つまり、よい「ながら」と悪い「ながら」があるのです。

悪い「ながら学習」とは

「テレビを見ながら、学習をする」こと。
つまり、学習がメインです。

テレビじゃなくても音楽でも同じ。
さすがに漫画はないかと思うが。
学習の効果としては薄くなるのはまちがいない。
やめた方がいい。

とはいえ、自分自身も子どものときは何とかして「ながら学習」にできないかと考えていました。
「テレビを見ながら学習」だけでなく、「テレビを見て、お菓子を食べながら学習」とか、「音楽を聴きながら学習」とか。

全然やる気の起こらない「勉強」なるものを、いかに楽しくこなすかを子どもながらに考えていたんです。

つまり、「学習」が「自分自身を磨く」という目的ではなく、「単なる義務」で「こなすべき作業」でしかなかったということです。
その意識の方が問題があります。

その意識で学習していたら、「ながら学習」でなくても定着率はイマイチになるでしょう。
「ながら学習」という方法がどうこうではなく、まず学習に対する意識を変えないと結果にはつながりません。

まあ、「ながら学習」とか言いながら、実態はテレビがメインになってしまっているので、学力がつかないのは自明ですが。

「ながらテレビ」とは

大人になった今、子どもたちが学習するときにテレビはつけません。
だけど、学習ではない勉強をしているときに、テレビをつけるのはアリだと思っています。

たとえば、好きでやっているドリルとかお絵描きとか、学校の宿題。
「絵を描きながらテレビを見る」
「宿題をしながらテレビを見る」
「パソコンしながらテレビを見る」
という「ながらテレビ」状態。

主役は、テレビ。
宿題はおまけ。

これが、よい「ながら」。

学校の宿題は、義務ですよね。
力をつけるためにやっているわけじゃない。
ある子のスキルを上げるための、個人の課題にフィットした内容の宿題ではなく、全員に一斉に出されたものなので。
「やるべきことをやる練習」だから、質は求めても効果は薄いです。

だから、「ながらテレビ」でもいい。
もちろん力をつけるための学習では、「ながらテレビ」はなしです。

遊んでいるときにニュースをつけておいたら、ニュースの方が気になって見ていることもあります。
そこから、ニュースが意外と楽しくなって、社会につながる・・・なんてことも少なくない。

バラエティ「イッテQ」は「ながら見」でいいが、ドラマ「ドラゴン桜」は全力で見たい、のような子どもたちなりの違いも生まれてきます。

短時間で本当に好きなものに出会うことを探す意味でも、「ながらテレビ」は悪くない。

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