たまには足を止めても
さる1月6日。わずか数時間で東京が白色に染まりました。
令和4年1月豪雪です。
・毎年恒例の大雪
皆さんこんにちは。坂竹央です。
東京在住の人には記憶に新しい1月6日の大雪ですが、すっかり日常を取り戻し今や急増するコロナ感染者の数を追う日々です。
例年だとセンター試験の時や成人式の日に大雪が重なり、せっかくの勉強の成果や振袖が台無しになるので今年はそう言った意味ではラッキーだったのかなと思います。
んで、この大雪ですが「東京基準」で言っているだけで新潟などの日本海側出身の方々からすると正直大したことない積雪量だと思います。
私も九州の佐賀で育ち、山沿いの盆地で育ったので年に数回積雪を経験しながらも事故やケガもなく元気に学校に通っていました。
最近は天気予報の精度も向上し、雪や雨の予報はほぼほぼ的中するため前もって準備が可能です。ましてや東京の積雪はほとんど成人式前後の1日だけで、これが50年に一度や100年に一度という頻度ではなく毎年のことです。
大した量でも期間でもなく、毎年恒例の積雪に何故東京の人々は同じように毎年右往左往するのか私には理解に苦しみます。
ただ右往左往するだけなら誰にも迷惑にはならないのですが交通が事故などで麻痺してしまうのは勘弁してほしいです。
乗りものニュースによると、雪を甘く見たノーマルタイヤ勢が事故を起こし半日以上にわたる車両の滞留をもたらしました。
首都高の構造状の問題もあるかもしれませんが、一番の責めに帰すべきはどう考えても素人ドライバーたちです。
彼らも事故に遭っていますし、保険がおりるとはいえそれなりの賠償金を支払うことにもなるでしょうからすでに社会的な制裁は受けています。
しかし「恒例の雪」で「予報も出ていた」のに「ノーマル」タイヤで「首都高」に突入し、あまつさえ「事故」を起こして高速バスやトラックの人たちの物流を止めるというのは、経済の視点からしても害悪でしかなく、ひどい言い方をさせていただければ公害と何ら変わりません。
しかも物品を運ぶトラックならまだましですが、人の命のかかった救急車両なども首都高が使えなくなりますし、首都高上で事故に遭った同情の余地のないドライバーたちのために貴重な救急車両の人員が割かれてしまうのですから、その罪の重さを考えるべきです。
彼らが不用意に首都高で事故を引き起こし、そのせいで到着が遅れ人命が失われたときに彼らはその咎を負うという考えはないのでしょうか。
考えれば考えるほど腹が立ってきます。
一応このコラムは経済コラムですので、せっかくですからこういった事故による経済損失を少し計算してみたいと思います。
・素人ドライバー事故による経済損失
本来であれば自分でデータを収集して統計の知識を用いてその分析結果を話すべきですが、今の私にはその権限も人的資源もお金も時間も全てが足りません。
そこで下記の資料を拝借させていただきました。
その名の通り、首都高速道路株式会社がまとめたデータでございます。
少しデータが古いですが、2015年中の首都高の経済効果はなんと12兆円にのぼると算出されており、これを一日あたりで平均すると約330億円相当の経済効果となります。
一部の不注意なドライバーたちによる首都高の閉鎖は、最大で12時間以上に及んでいますので、すごく単純に考えたら115億円規模の経済損失を生み出したことになります。
先ほどのニュースの情報をもとにすれば、50台ほどの車両が事故を起こしたらしいので単純に割り返せば一台につき2.3億円の経済損失を発生させたことになります。
身が震えますね。
もちろん、どうしても仕事や物流の関係で首都高を使わざるをえず万全の準備で臨みながら事故に遭ったのならそれは可哀想な話です。
しかし不用意にノーマルタイヤで雪の日に首都高に突入した素人ドライバーたちはこの数字の重さを感じるべきでしょう。
逆に言うなら、2億円以上賠償するという覚悟があるならノーマルタイヤで雪の首都高を利用してもまぁ許されると思います。
皆さん、どうかこれからも天気予報をしっかり確認し、特に雪が降るときは無暗に車に乗らず在宅ワークをするなり、有給休暇を使うなりして、一台でも事故に遭う確率を減らし、一台でも多くの救急車両の妨げにならないようにしていきましょう。
・見方を変えてくれた隅田川クルーズ
普通だったらここで終わりですよ、経済コラムとしては。
しかしこれで終わりにしないのが「一葉」です。
なんで大雪から日にちが経っているのに今更この話題を上げたのかというと、その間に貴重な体験をさせてもらったからです。
私たちはこの3連休にはじめて東京クルーズ観光をしました。東京クルーズは浅草を始まりとして、様々な東京湾内の停留所向けのコースがあり、今回は「浅草ーお台場」コースを選択しました。
乗った船はエメラルダスで、内装も白を基調としてとても美しくコロナ対応もしっかり踏まえた人口密度で快適なクルーズ観光ができました。
さてその隅田川クルーズの終盤。ある橋に差し掛かったときに衝撃の情報が飛び込んできました。
それは勝鬨橋(かちどきばし)が架かるまでは、かちどきの渡しが一日200近く往復して物流を支えていたということと、その勝鬨橋が現在でも使うことができる可動橋である、ということでした。
かちどきの渡しのできた歴史的経緯としては、日露戦争で乃木将軍らによる旅順要塞陥落の報を受けて、文字通り「勝どきをあげた」ことと、この近くに月島と名付けられた埋め立て地があり、そこに大きい工場ができて多くの人員が働くための「渡し」として地元の有志が立ち上げたことが合体して生まれたと言います。
その後大正12年9月に発生した関東大震災の復興事業の一環で「復興は橋から」をテーマに架橋運動が活発になりました。
その後二二六事件や満州事変、日中戦争の勃発など度重なる障害にもめげず1940年(昭和16年)6月に無事開通しました。
その後自動車による交通や物流の方が船よりも主流となってしまい、残念ながら1970年11月の開閉が最後となり、1980年には送電が止まってしまいました。
船内に流れる案内を聞き、頭上を通り過ぎる勝鬨橋を見ながら、ふと思ったことがあります。
この立派な橋が上がるところを見てみたい。
たとえ数分間車の流れを止めたとしても。
それくらい勝鬨橋は間近で見ればとても重厚で立派な橋であり、周りがビル群の中でもむしろ存在感を増しています。
そしてこの勝鬨橋。なんとメンテナンスをすれば現役で可動が可能な橋なのです。もう一度可動する姿を見たいと「勝鬨橋をあげる会」という団体が精力的に活動をしているほどです。
実はこの橋は『こち亀』において題材にされたことがあります。
療養のため北海道に転校する友人のために、開かなくなった勝鬨橋を無断で開けその雄姿を友人の目に刻ませたというお話です。
・Stop and smell the roses
敗戦後、我が国はひたすら豊かな暮らしをするために走り続けました。
新幹線を作り、首都高を作り、燃費の良い車を作り、たくさんの地下鉄を走らせ、物流の量を増やし、速さを上げ今の豊かさを保っています。
先ほど、私は物流を止めるのは害悪だと述べました。その主張自体はとくに変わってはいません。やっぱり不要な行為で物流を止めるのはこのコロナの時代においては命取りです。
それでも勝鬨橋のように先人たちの知恵と努力が結集した遺産をそのまま寝かせておくのは、それはそれで「経済損失」なのではないかとも思うのです。
東京都の試算では復旧に10億円ほど要することや橋の物流を止めるだけの経済効果が見込めないことから当面橋を可動させる予定はないそうです。
しかしこのコロナ禍において莫大な予算が使われました。その額は10億なんかではきかない額です。感覚が麻痺してしまっているのかもしれませんが、たった10億で世界に誇る機械遺産が動く姿が見れるのであれば、その価値はあるのではないかと思っています。
川の多い日本では橋を架けて人や歴史を繋いで来ました。
この橋の技術を後世に語り継ぐことが世代を繋ぎ、日本と世界を技術で繋げる架け橋となるのではないでしょうか。
英語の慣用句にこんな言葉があるそうです。
Stop and smell the roses.
立ち止まって薔薇の匂いをかぐ余裕をもとうよ、リラックスしようよ、という意味です。
物流を促すだけが経済じゃない。
物流を不用意に止めるのも経済じゃない。
東京マラソンのときにデモンストレーションでも良いから歴史的建造物である勝鬨橋の動くところを見てみたい、と思うのは私がもう人生の三合目を迎えてしまったからでしょうか。
走ることにちょっと疲れたときは、たまには橋の上などで足を止めてみるのもいいかもしれませんね。
令和4年1月15日
坂竹央
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