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「世話好き」は、承認欲求の現れ?

私は、「お世話好き」な方だと思う。

「世話好き」「面倒見が良い」「お節介」

「世話好き」は、一歩間違うと「お節介」になる気がする。

私は、子供の頃から「世話好き」で、幼稚園の頃から、担任の先生や他のクラスの先生から「あなたは、お世話好きだから、将来学校の先生になるといい」と勧められていた。

私自身「お世話は好き」だけど、「お世話すること」が相手のためになってないこともあるんじゃないかと、自問自答することがよくある。

私にとっては、簡単で、すぐに答えられたり出来ることでも、すぐに答えたり解決することで、相手の考える力や自力を発揮するチャンス、また色んな力を奪ってしまっているのではないかと思うのだ。

最近、「『世話好き』は、人の役に立ちたいと思って行動している。でも、その裏側は、他人から認められようと頑張っている」=「承認欲求のためのお世話」という一文を見かけた。

私、承認欲求のために「世話好き」なのか?そんなこと、考えてみたこともなかった!

誰かに認められたくて、褒められたくてやる「世話好き」は、私の中で、なんか違う。私、自分がやりたくてやってるだけで、認めてもらうためにお世話してるんじゃないんだけど。。

気がついてしまうから、自分のためにやってるだけ。と思っている。

だから、相手の可能性や成長を妨げていないかと考えるわけで。。。

と、熱く語りたくなってしまうから、もしかしたら、承認欲求的なものもあるのかもしれない。。。と、残念な気分。
別に、承認欲求があるのが悪いとかじゃなくて、そういう下心で自分が今まで行動していたなら、残念だな。という意味。

この「世話好き」には、「依存」とか他にも、私の「今」向き合うべき課題が含まれているので、また、何らかの形で、続きを書いていけたらと思う。

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