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人類賛歌

体験したほうがあきらかにいいARというものがある。
私が言うからにはそれは川田十夢及びAR三兄弟に起因する現象となる。

これだ。

AR三兄弟を私がはじめて見たのは2010年頃。川田十夢に限って言えばその数年前になるがARと三兄弟を知ったのが2010年となる。

その頃のARと現在のAR三兄弟がテクノロジーの進化と共にどう変化したのか。そして今現在どこに到達しているのか。そう言うことを川田十夢、我が師匠がnoteに書き込んでいた。

その頃は確かにAR三兄弟と川田十夢、オリーブの首飾りの音源と共に鳩を出していた。その後に漢字を組み合わせたマーカーにより、例えば馬と角でユニコーンの楽曲が流れたり。その後コラボレーションしたり。

さまざまなミュージシャンや企業と確実に仕事をしてきた過去がある。つまりは実績である。

デモ動画400。その一部を見てきた(2010年以降ということにはなるが)筈である。そして徐々にAR三兄弟が依頼される空間や規模が大きくなっていったということを見続けたということでもある。
TOYOTAや文化庁、ミュージシャンであればいきものががりから長渕剛まで実に多岐に渡る大御所から声がかかる存在になっていった。とにかくAR三兄弟、すっかり大きくなった。2010年当時の規模感とは異なってきている。

しかし、その心の基本的な部分はいまだ変わっていないと私は思う。はじめから、まったく。

かつて川田十夢自身がこう呟いていた。

"重いものを軽くしたい"と常のように語っていたが、いまや現実の重さたるや全人類を巻き込んでいる。

"世界は単純ではない。たとえば平和という言葉だけを扱えるようになっても、それぞれが自立するために必要な正義によって祈りは簡単にかき消されてしまう。各国がそれぞれ編じた歴史という一面的な物の見方では、もう世界は把握できなくなっている。"

と川田十夢が書くよう厄災に次ぐ厄災に荒んだ世界を人々の祈りを拡張現実で世界に響かせるのか。川田十夢の誠実がそこにある。

それがはっきりとわかる。 
ここ数年肉体に宿った経験を川田十夢は採取し続けてきた。アーカイブせんと。
それは"重なり合う価値の共鳴"を実装せんと、己が手にするデジタルテクノロジーを"文化と宗教と生活、ときに人智を超えたものを扱えるようにならないと、多種多様な祈りを内包したフレームに"しようと。

付け焼き刃の人たちがいうところのそれと川田十夢のいう『経験』と『空間』と『アーカイブ』、そして『メタバース』と目指すところの本気度が違うのだ。

空間と時間を経験として切り取る新たな保存とコラージュの新様式を自らの手で開発する者だけが目指すことが到達できる域である。
それがわかるので、見てほしい。ので再度貼っておく。

そしてこれが出来が良過ぎて映像作品と誤解を受けてるので川田十夢が実際にARであることを示しているのでぜひこちらも。

かつて出会ったころ。その懇親会で私は川田十夢につまらないものだけは作らないでくれといったことがある。

成功した人で、ヒットしたものの焼き直しだけで新しいものを作らないでやっていく不誠実な人がいるからだ。川田十夢にそんな風になって欲しくなかった。

まだ若き川田十夢は首をブンブンと横に振った。もげそうなくらい、横に首を振った。そして「俺は絶対そうならない」といった。

その頃と手がけるものの大きさは確かに違う。違うけれども彼は世界の出来事に、誰かの小さい声に耳を澄まし続けている。美しいままに実装を続けている。

あらゆる生と死を内包した生命を描き続けている。ARというテクノロジーによって。重力と結びつき現実という重い空気を受け止めながら。

祭りの熱狂に人類の業を沸かせて8分間。
メタバース、ああメタバース。
ただ全人間の生命と云ふものの中に入って把握せよ。而して汝が手にせる處、其處に面白味と云ふものが湧いてくる。(ゲーテの言葉)

闇をも死をも内包する生命の中に入り、自分の人生を振り返って思いを馳せて奥底のものが乱反射して一瞬真っ白になってあとは澄んだ水になり源泉にたどりつく感覚。そこを通りすがりはじめて人間は未来に向かうのだ。前を向きながら。そういう作品だと私は思う。見るごとに私の命を肯定する。
川田十夢の作品はそういうものです私にとって。有象無象、森羅万象の祝福です。

そして私のiPhone XRという古い機種でアプリを試した残念な映像となっておりますが、こちらもどうぞ、熊本県山鹿市にある八千代座という芝居小屋の無人の舞台でARをおこなっている模様です。
手ブレも酷けりゃ映像も残念ですけど、最後まで見てもらうとARだとわかります。

こちらは山鹿灯籠民芸会館の紙製模型の前で試したもの。

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