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みんなのドリムノートと川田十夢

私の師であると私が決めている開発者川田十夢。その川田十夢がはじめてnoteに書いた、という。こんな風にツイートしていた。

"noteにちゃんとした文章を初めて書きました。何のイメージも、夢もない名ばかりのお祭りに巻き込まれるのは、もうこれで最後にしたい"

冒頭にウイングマンの書き込んだことが現実になるドリムノートを説明しながら開発者川田十夢が言いたいことはなんだろう。

ここ数日オリンピックに絶望した人は多いと思う。いや、ここ数日の話ではないのかもしれない。子供の頃を思い返してもこんなにオリンピックに絶望する日が来るとは思わなかった、心から。

子供の時にみたオリンピックの記憶で鮮烈なのは川田十夢が書くようにロサンゼルスオリンピックの華やかさだろうか。ロケットマンが未来を感じさせてくれたし、一流のミュージシャンの演奏をワクワクして眺めたものだ。

ピーター・ユベロスの考え方はこの時代の大正解で国税を投入しないことで文化的介入を避けることができた。あの華やかさは資本主義のはなやかさでもあったことになる。言い換えれば商業主義のオリンピックのスタートだ。

テレビ放映権、スポンサー協賛金、入場料徴収、記念グッズ。これらにより国税を1セントも使わずして400億円の黒字になった。そして青少年のために寄付まで出来た。このことを川田十夢は"アメリカらしい"と書いている。

一度目の東京オリンピックはどうだったか。さすがに私も見たことはない。しかし川田十夢が触れるように市川崑の『東京オリンピック』をスクリーンで見た時、あまりの完成度と音楽と映像に打ちのめされた。

記録映画なのかアートフィルムなのか。この時、最高の機材、最高の人材を集めて当時の金額にして三億円越えの費用がかかった。しかし、世界中で今なお観られ続けているし日本映画に対する評価を高めるものであった。

オリンピックは果たして、スポーツだけのものか?ピクトグラムの発明も東京オリンピックがきっかけとなったのじゃなかったか。川田十夢が技術者としてSEIKOの時計にも言及する。文化と技術、それがあってオリンピックは支えられていたのだ。

"上記の通り、僕にとってオリンピックとは必ずしもスポーツだけの祭典ではなかった。"と川田十夢が書くように、それは多くの人にとってそうだったろう。なにより開会式を楽しみにしていたのは開催地の文化をより深く感じることが出来たからだ。

見たことのない国、見たことのない人たちがスタジアムに集い、演者も観客もテレビの前の私たちも一丸となってこれから始まる祭典を心から祝福していた。それが可能だったのはオリンピック憲章の精神がそこにあったからかもしれない。川田十夢がオリンピック憲章を確認したところによると『スポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求する』とあったらしい。

その憲章を鑑みて我が師の川田十夢が『今回の東京オリンピックはやっぱりオカしい。カルチャーか、スポーツか。無駄に選択を迫られる踏み絵前提の大会になっている。』と断言している。彼の怒りはスポーツのために犠牲を強いられる人々の、その精神の行方を心配してのことだ。
無理難題を押しつけられる飲食店は勿論、映画館、音楽イベント、あらゆるエンターテイメントの殆どが自粛を求められている。不均衡なしわ寄せはオリンピック開催のためと言っていいだろう。経済の疲弊。人々の疲弊。結局はスポーツと文化の二択を迫り、文化を切り捨てているじゃないか。

しかし川田十夢の怒りの矢印はもっと深いところにある。世界中の注目が集まる時に無策であることに怒りを感じているのである。川田十夢は開発者として文化を奪われた国民の無念をはらすためにアイデアを語る。スポーツだけが優先的に開幕するのがオカしいとして。

『中止になった音楽フェス、劇公演、寄席、芸術祭、展示会、国内全ての要素がまんべんなく、せめて開会式の場に於いてだけでも開幕して欲しい。』と。
川田十夢がMCを務めるJ-WAVEのINNOVATION WORLDにおいてこんなことを発言していた。少し長いが引用する。

"まず中止になったフェスに出演が決まっていた方々の演奏を記録します、ARで。それを開会式で世界に向かって、何かしら骨格を作りストーリーの中でそういうものは取り入れますけども、中止になってしまったイベントの出演者たちをそこに一堂に会します。そこで何をするかというと、僕は音楽だけに限らないと思っていて演劇とか寄席でもいいですよ寄席も大切ですからね。いろんな止まってしまった文化、お客さんの矢印というものを開会式に集約します。」

「残念に思ってた人も、それをみたくなるでしょう?寄席の一部がそこでみれるとか、フェスの出演予定だった人がバンッと出てくるとか。メドレー形式にはなると思うけどみんなが残念に思っている気持ちをここだけでは再現する、みたいなことにしたいと思っています僕はね。これは僕だけの意見ですよこれは。」

「そこにARで出すためには国内のいろんな最先端の機材を集約していろんな場所で撮影する必要があります、音響然り。めちゃくちゃ最高峰の機材を使って日本の最高峰の芸、芸能、芸術を記録します。それを開会式でバンッと披露します。」

「でね、これを持っておくんですよ日本の文化として。あの開会式でみたあのアーティストを目の前で再現したいとかね、そういうニーズがきっと生まれるはずなんです。そういうものを各国でみてARでみて日本の文化やアーティストに触れてもらいます。」"

と。つまりは『文化的な財産を築いて世界へアッピールする』ということだ。
無策の無責任な芸術にも文化にも接続していない人たちは口を閉じるべきだったと私も思う。無策≒無責任である人たちが船頭して先導して現状これである。

しかし川田十夢は怒りよりも具体的なアイデアを出す。「東京オリンピック」同様に最先端の機材で開会式そして競技の内容を記録、AR(VRやXR)などの立体技術、そしてAIなど。とにかく詰め込める最新技術は総動員する。そして、

『100mの世界新記録を出した陸上選手の身体を3Dモデルとして、動きをモーションデータとして精密に記録する。そのデータの利用価値は無限にある。各国の競技場で、激戦を等身大スケールで再生してもいいし、子供たちが世界中の運動場で選手たちとARで競ってもいい。装着型サイボーグにデータをダウンロードして、未来の選手の育成に役立てるのもよい』

『文化と芸術が総動員となった開会式をまるごと記録できたならば、それはもう日本という国単位のニューアルバムを準備したのと同じこと。国内のあらゆるカルチャーが海外進出できるチャンスを手に入れることになる。』

と。具体的な数字を出しておりリオ大会においては36億人もの人が視聴したことを述べる。日本の文化を海外に触れさせるにはまたとない機会であることに気づいている人は果たしていたのだろうか。『スポーツだけではなく、芸術も芸能も技術も科学も空想も、もれなく開幕すべきだった。』その通りである。

そしてこれほど商業主義に徹しておいて案外スポンサーも大事に出来てないのである。某飲料メーカーのイメージは最悪になってしまった感がある。聖火リレーの時に広告代理店が用意した醜悪とさえ言える車列。

なんであんなことしたの?と素で私は聞きたい。時代と人々が求めているものを、あなた達は先取る事がもう出来ないの?それは四方八方に思いやりが足りないからじゃなくて?と、川田十夢の次のアイデアを読んで思った。

スポンサーが大切ならば、スポンサーを救うアイデアを。ごく当然のことがなんで出来てないんだろう。ここでも川田十夢は具体的なアイデアを出している。

日本食を食べながらオリンピックを楽しみたいと言うニーズ、缶詰や冷凍食品にして世界に届けるのはどうか、と川田十夢。確かに日本の冷凍技術、缶詰技術ならそんなに劣化しない日本食が届けられるかもしれない。味を頼りに旅することだってある。コロナ明けに旅行できるように旅行代理店が準備しておく。世界最高峰の記録をニューメディアに残す。AI分析も加味して、文化財として世界へ提供すればいい、と川田十夢。

あらゆるものを世界へ打って出る契機としなければ今後余計に厳しい現実になるだろうと、私が素人予測しているばかりではなんにもならない。
川田十夢でさえ自分のアイデアを完璧じゃないという。そりゃあそうだろう。

たとえばこのアイデアを元にあらゆる業界の専門家が専門家として自分たちの職能を発揮していかなければ世界に打って出る強度の構造は生まれない、いくら川田十夢が通りすがりの天才でも。
つまり他人事として捉えるばかりじゃこの時代を乗り切ることは出来ないことはみんなわかっている。

リアルで夢みたいな絵空事を各自持ち寄って、白か黒かだけを問われる世界とは決別したい。

そのために川田十夢、ドリムノートを託した。それぞれの人がそれぞれに自由に書き込めるノートとして。それぞれが持ち帰り自由なノートとして。

私はなにを書き込もう。希望に満ち満ちた未来のために、なにを。少なくとも誰かを傷つけることのないアイデアをひとつでも書き込めたなら不詳の教え子の面目躍如だろうか。他人事じゃない世界を歩きたいと強く思う。

不満や不安を感じるだけで右往左往している私は、世界に打って出る機会に対して無策であることに怒りを感じる川田十夢にさすがと言わざるおえない。さすがっす恩師。こう言う時のかっこよさ、半端ないっす。ザ・本領。

広告屋さん主導のイベントには限界があるけれど、その限界って結局やさしさかなと思った。川田十夢にあって広告屋にないものは、そりゃ品格とか正しいプライドとか色々あるだろうけど、筆頭はやさしさじゃないですかね。

(太字は川田十夢/『開発者が考えるもはや五輪には限らないカルチャーと経済の再考アイデア より引用 )

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