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写真との向き合い方を今一度考えようと思う

先日、30歳の誕生日を迎えました。成人式がまるで昨日のことのように感じますが、あれからもう10年も経ったのかと驚いています。時間が過ぎるのは本当に早いものですね。

誕生日に奮発して鰻重の松にしました。
最高に美味しかったです。

2年ほど前からカメラを手にし、写真を撮り始めました。その時から今まで、様々な写真を撮ってきましたが、ずっと変わらないことがあります。それは、直感的に「これだ」と思った瞬間に即座にシャッターを切ること。構図や露出にこだわりすぎず、その場に写っていればいいといった気軽なスタイルで、瞬間を切り取る楽しさを感じていました。

しかし、最近その「瞬発力だけ」で撮る写真に、少し違和感を覚えるようになりました。シャッターを切った瞬間に映し出される一枚を楽しむのも良いのですが、どこか物足りなさがありました。何が引っかかっているのか、ずっと考えていたのですが、ようやくその正体に気づきました。それは、瞬間を捉えた写真には「理由」が欠けていたからです。なぜその瞬間を撮りたかったのか、被写体の背後にある意味や背景、被写体を引き立てる為の構造や色使いについて深く考えずに撮影していたため、写真が表面的に感じられたのだと思います。

その違和感に気づかせてくれたのは、半年ほど前に手にしたGRⅢという小さなカメラでした。ポケットに収まるそのカメラは、まるで自分の一部のように毎日持ち歩いていました。散歩や買い物の途中でふと目に留まる風景や、何気ない瞬間にさえ心を奪われ、夢中でシャッターを切っていたのです。そうして日々たくさんの写真を撮り続け、撮影した写真を毎日振り返ることで、次第に自分の中にある違和感や物足りなさが明確になり、それに向き合うきっかけが生まれたのだと思います。

大きいエレベーターが連なってるの、迫力があっていいです。

もうひとつの転機は、『絵を見る技術』という本との出会いでした。この本は、絵を鑑賞する際の視点や構造について解説しているのですが、その内容は写真にも十分応用できるものでした。ページをめくるたびに、「名画と呼ばれる作品には、これほどまでに緻密な計算が隠されているのか」と感心させられました。これまでは気になるものをただ撮っていただけで、成長の実感がないことに気づきました。感動を呼び、見る人を惹きつける写真を撮るには、配置、色、明暗など、細部にまで意識を向けることが重要だと強く思うようになりました。

まだまだ初心者ですが、これからは写真ともっと深く向き合っていきたいと思います。感動を与え、「おっ!」と心を動かすような写真をたくさん撮れるよう、さらに精進していきます。

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