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ピアノが我が家にやってきた!

30年以上フタを開けることもなく、一度も弾くこともなかった、ピアノがある。
「要らないんなら捨てるぞ」と実家の父に言われるたびに、「いつか持っていくから、しばらくとっておいてよ」と言い訳をした。内心どうしていいか分からないまま、実家を出てから20年以上の年月が流れた。
引っ越し、修理。一体いくら掛かるのだろうか?そう思うと、行動を起こすこともできず、長い間そのままにしていた。父親も、そのうちピアノのことは何も言わなくなった。

ボイストレーナーの仕事に就く数年前、あるピアニストに憧れて、安い電子ピアノを手に入れたのが、2014年ごろ。そのアーティストの楽譜もたくさん買った。でも、昔のようには、弾けるようにはなれなかった。
子供の頃、上手に弾けたというのはただの幻想で、きっと、それほどの腕ではなかったのだろう。少なくとも「昔取った杵柄」は、私には当てはまらなかった。

それから数年後、成り行きで、小さなステージに出ることになった。
弾きたい曲があった。そして、歌いたい曲があった。
それなら、ピアノの弾き語りをしよう、そう決めた。それから一生懸命練習する日々が始まった。稚拙ではあったが、こんな風に歌おう、アレンジ紛いに、コンセプトを考えた。

そして迎えた本番。意気揚々とグランドピアノの前に座った。頑張って歌った。でも…。
ステージから降りて感じたのは、悲しみと恥ずかしさ。穴があったら入りたい。消えてしまいたい。ただただ、惨めな気持ちに押し潰されていた。

一番悔しかったのは、ピアノとの不調和を指摘されたことだった。ステージで絶対にしてはならないことを、犯してしまったという。
過去は消せない。
人前では、もう二度と弾くまい、歌うまい、そう思った。

ステージの深い傷がまだ癒えていなかった、その年の晩秋、知人の友人にピアノの先生がいると聞いた。一回体験してみたら?と勧められて、電車で1時間以上かかる、ピアノ教室の扉をたたいた。
私より少しだけ年上の先生。私が弾きたい曲のレッスンをしてくれるという。
練習に時間を掛けても、一向に曲が仕上がらない。独学での限界を感じていたので、通うことに決めた。

電子ピアノで一生懸命練習をしても、どこか違和感があった。一番の違いは、音。もう一つは、鍵盤。それらは実家のピアノと違う。いつも心の中で言い訳をしていた。上達しないのは、電子ピアノで練習しているからだと。

コロナ禍が解消してしばらく過ぎたが、経済的に不安定な生活は変わりそうになかった。そこで、アルバイトをはじめた。ピアノの修理資金のため。そんな言い訳がぼんやりと頭に浮かぶ。

今年2024年、春のこと。別の知人が、横浜で、長年調律でお付き合いがあるピアノの職人さんを紹介してくれると言う。
「古い実家のピアノの修理のことも、相談してみたら?聞くだけだったらいいんじゃない?」そんな軽い話だったと思う。
その日のうちに先方に連絡をしてくれて、私は連絡先の電話番号を教えてもらった。

しばらく迷った。でも、数日後、思い切って電話を掛けた。

電話の声は、ずいぶん高齢の方。生粋のピアノ職人という印象だ。
今はもうピアノを製造していないメーカーのピアノで、弾かなくなってから、30年以上が経っている。1980年代前半に製造されたピアノである、そんな話をして、電話を切った。
更に数日経って、その職人さんから電話があった。「本当に修理をする気があるのか」そう問われた。「はい、そのためにアルバイトをはじめたくらいですから」と答えた。
事実、50万円たまったら、ピアノの引っ越しをするつもりでいた。あと数カ月でそれくらいの金額になるだろう。そんな皮算用もあった。

それから、とんとん拍子に話が決まった。千葉の実家近くに修理工房を構えるお弟子さんがいるという。その方にピアノを見てもらい、千葉の工房に運んで修理をする。修理の後、神奈川の我が家にピアノを運び込み、更にその職人さんが、仕上げの調律をしてくれるという。
4月末、実家のピアノの現状を見ていただき、見積が出た。
予想よりも、ずいぶん安価だった。必要な箇所の補修はする。でも、弦の張替えはせずに済むという。安価とは言え、数十万の費用は私には大きい。肚をくくって、正式に依頼をした。

千葉のピアノ職人さんが、見積りの立ち合いの時に、母にこう言ったそうだ。
「お嬢さん(私のこと)は、ずいぶん頑張ってピアノを弾いていたんですね。フェルトにスプーンができているので分かります」と。後日、母が嬉しそうに私に教えてくれた。

見積もりが出てから、年金暮らしの両親も、ピアノの引っ越しに援助してくれるという。
浪費家で、貯金ができない父。もうお金を出してくれる相手もないだろう、だから父親の自分がお金を出す、そう言ってくれた。涙が出た。

いよいよピアノがやって来ました

5月。実家からピアノが搬出される日を迎えた。そして1か月もたたないうちに、修理を終えたピアノが、我が家に運び込まれることになった。

6月12日、晴天。青空が眩しい。天候に恵まれた。
ピアノを載せた大きな車が、マンションのエントランスに止まった。
ベランダに出ると、大きな蝶がクレーンのまわりをひらひらと飛んで、くるり1回りして、どこかへ去っていった。外の街路樹に、たくさんのムクドリたちが「ギーギー」と、にぎやかに鳴いている。
両親、友人、家族。私と一緒にピアノを習っていた妹は、快くピアノを譲ってくれた。さまざまな方のお世話になって、この日を迎えられることに、ありがたさで胸がいっぱいになった。

ピアノが我が家のスタジオに入るまで、1時間も掛からなかった。運ぶ技術も、まさに職人技である。
外面磨きをお願いしたピアノは、新品のようにぴかぴか光っている。

音は、懐かしい音色がした。特に、高音の美しく甘く透んだ響きは、健在だった。
その音を聴いて、実家の居間で、一生懸命ピアノを弾いていたころを懐かしく思った。

今年のピアノ発表会。
私には人生3回目の発表会で、2曲を演奏する。

ソロ曲は、電子ピアノを購入した10年近く前に買った楽譜の曲だ。ピアノを再開して初めて挑戦したが、完成にはほど遠い状態で挫折した。今の先生に習って、ようやく弾けるようになった。
もう一曲は、弾き語り。弾きながら歌うのは、相変わらず難しいけれど、ピアノを弾くのも、歌を歌うことも、下手だけど、ただ、好きだから。

ピアノが家に来てから、はじめての発表会。
美しい響きに包まれながら、毎日練習を続けている。

ピアノと楽譜

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