出雲大社に初めて行ったのは、大学生の頃でした。もう30年近く前のこと。 友人と2人で、青春18きっぷで電車を乗り継ぐ旅に出ました。 宿泊は、無人駅に泊まる駅寝。今思うと、女二人で、よく行ったなあ~と思います。 時間はあるけどお金がない、移動が目的のような旅でしたが、「出雲大社に行こう!」と二人で約束して、計画を立てたのだと思います。 友だちが、分厚い時刻表の一部を切り取って、もってきてくれました。時刻表を駆使して、東京近郊から電車を乗り継ぎながら、丸一日以上かけて、ようやく
発表会に出た回数は、3回。 1回目、10歳。 2回目、47歳。 3回目、48歳。 6歳から始めて、13歳まで通算約7年。月光の第1楽章あたりでやめた。 そして、年老いた今、10年くらい前に再開して、今も続けている。 子供時代よりも、ピアノ歴は気付いたら長くなっているのに、上達は遅いな~。 先日、人生3回目の発表会を終えた。 ピアノが好きという気持ちだけで弾いた。でも、舞台では上手に弾けなかった。練習の半分しか力を発揮できなかった。 舞台を降りた後、敗北感しかなくて、冷静
2023年、夏至の数日前のことです。 「手放したいことを、夏至の日に紙に書いて燃やすといい」と聞きました。 手放したい不要な価値観、思い込み、持っていませんか? もっていても、良いことなんて一つもない。それなのに、どうして頑固に持ち続けているのでしょう。 「それが、心の癖だよ。心の癖に気が付いたら、燃やしなさい」と言われたこともある。それなのに、いつまでも燃やせなかった。 「え~い!ならばこの機会に、書き出して本当に燃やしてやる!!」 ふつふつと燃えたぎる思いで、一枚に
30年以上フタを開けることもなく、一度も弾くこともなかった、ピアノがある。 「要らないんなら捨てるぞ」と実家の父に言われるたびに、「いつか持っていくから、しばらくとっておいてよ」と言い訳をした。内心どうしていいか分からないまま、実家を出てから20年以上の年月が流れた。 引っ越し、修理。一体いくら掛かるのだろうか?そう思うと、行動を起こすこともできず、長い間そのままにしていた。父親も、そのうちピアノのことは何も言わなくなった。 ボイストレーナーの仕事に就く数年前、あるピアニス
8月上旬、ピアノの発表会がありました。 声のレッスンのインストラクターになる1年ほど前から、憧れのピアニストの影響で、趣味でピアノを弾くようになりました。もう8年経ちましたが、弾けるようになった曲は、ほんの僅かです。 少しでも上手に弾けるようになりたい…そんな思いを胸に、昨年の冬からピアノ教室に通い始めました。 習い始めてからほんの数カ月のわたしに、先生から発表会のお話があったのは、今年4月のことです。 ピアノの発表会では邪道かな、と思いつつ、先生に「ポップスの弾き語りで
以前から、自力整体の教室で「チアシードはスーパーフードである」と聞いていました。 ※ちなみに、体質的に合う、合わないがありますので、ご注意を。 西宮研修で再度そのことを聞きました。 むむ、それならば試してみるか。 成城石井で、有機チアシードを買ってみました。 南米ペルー産、はるばる日本に長い旅をしてやってきたチアシード、と思うと感慨深いです。 ★気になるお値段は? 一袋400g入って、1600円+消費税。 ★摂取方法は? 目安は1日あたり5g、これを50ccのお水につけ
2016年4月にボイストレーナーの仕事を始める前は、声に悩みを持つ受講生の1人でした。 声がいつも嗄れていて、話す時に息苦しいこともあった。辛かったです。 そんな自分の声が大嫌いでした。 2011年11月に、Breavo-paraのレッスンを受講して「むむ、これは根本的に何か変わりそうだ」と感じて入会しました。 ボイストレーナーの仕事を始めてから、別の先生の教室で学んだこともあります。 今の自分では足りない、そんな気持ちは、自信とは裏腹に、常に背中合わせで存在しています。
ボイストレーニングは、歌い方や声の出し方だけを教えるものではありません。声と身体はつながっているから、身体と心の理解は不可欠です。 かつては声についてだけを教えられれば良いと思っていました。それでは到底追いかないことに気づいたのは、ボイストレーナーになってから随分経ってからでした。 相変わらず歩みの遅い私です。 さて、細く長く続けていることのもう一つは、神社へのお参りです。 日本全国に存在する、一宮という神社のご朱印を集めはじめたことが、神社に親しむきっかけです。お参りを
ボイストレーニングは、歌のテクニックや声の出し方だけを教えるものではありません。 声と身体はつながっているから、身体の理解は不可欠です。 声はとても正直で、意図せずとも、心の状態は声に出ます。自信がない時、無意識に声のトーンやボリュームが下がるのは、誰もが経験されていることでしょう。ですから、身体や心について、理解を深めることがとても大切だと感じます。 自力整体の教室に通い始めたのは、2019年の初め頃でした。 響く声のために、身体を緩めたい。もっと身体を自由に使えるよう
自己肯定感という言葉が、よく使われるようになって久しいですね。 かれこれ10数年前に、ある方から「自己肯定感が低いね」と言われた時が、この言葉との出会いでした。今ほどメジャーな言葉ではなかったように思います。 心に元気がない時ほど、SNSの身近な知人たちの投稿が、ますます眩しく輝いて見えます。 ちょうど五月病の時期だからかもしれません。心はいつも忙しい。 今朝、夜明けごろに少し大きな地震があって、そのまま眠れなくなってしまいました。 そこで、自分の心に問いかけてみました
なかなか会えないけど、親しい。そんな少し年上の友人がいました。 出会いはコロナ禍真っ只中の春、関西で開催されたある養成講座の初日です。偶然隣に座ったのでした。「ねえ、一緒に勉強しない?一人だと続かない気がするから」と誘われたのが、お付き合いの始まりです。 養成講座が終わるまでの間、毎週オンラインで、勉強会をしよう、と約束をしました。 ところが、彼女が約束を忘れることが、たびたびありました。その度に「ごめんな〜、うっかりしてたわ〜」と謝られて、内心ガッカリしつつも、いつも許
この時期になると、思い出す曲があります。 「ひとつのこと」 今、終わる ひとつのこと 今、越える ひとつの山 という歌い出しの合唱曲です。アップテンポのピアノ伴奏が軽やか、かつダイナミックで、明るく希望に満ちた歌でした。 伴奏も難易度が高く、毎年のように音楽の先生が伴奏をされていました。 かつて通っていた小学校の卒業式で、卒業生が歌っていた曲。3つ年上の兄は歌ったけど、わたしは歌わなかった。 え?卒業してないの? いえいえ、そうではなく… 歌が好きだった子供の頃。6年生
友人が、おもしろいWSに参加したという。その名も「ヒモトレ」。なんでも、カラダにゆるーく紐を巻いておくだけで、可動域が拡がったり、軸が通る、といった身体的感覚が良くなるそうな。 「うっそー?ほんとー?」と言いながら、その場で友人に紐を借りて、いくつかの動きを試してみると、その疑いが、 「へー!!なんでー!?すごいー!」に変わりました。 その時、疲れが溜まっていたせいなのか、腰痛に悩まされていました。ストレッチや自力整体でも痛みがなくならず、長引く痛みを抱えて、もどかしく感
数年前のこと。自力整体の先生が、立ってパソコン作業をしている、とブログに書かれていました。メリットは、いろいろ。ぱっとすぐ動けることも、その一つです。 すぐに取り入れたものの、事務作業で長時間の作業を続けると腰が痛くなり、数ヶ月続けたものの、しばらくしてやめてしまいました。その後はデスクを使わずに、ローテーブル&正座に変更しました。 正座は身体に良いといいます。以前習った空手の名人の先生は「正座はカラダを強くするが、体育座りはカラダを弱くする」とおっしゃっていました。 でも
準拠枠、なんて耳慣れない言葉だと思います。 簡単に言うと、自分の思い込みや先入観です。 それが強すぎると、周りとの軋轢や、調和を乱す感覚が生まれやすい。 正義感や、自分にとって大切なことを、あたかも普遍的、絶対的な価値のように振りかざす。 周りにいたら大変な人、迷惑な人、面倒な人。 机の整理をしていたら、一年前くらいに書いた、メールの「写し」の文章のプリントが出てきました。 メールを直接送ったら、あまりに強すぎるから、と送ることはなく消去したものです。 読み返して、「
ここ数年、気づくと履き物オタクになっている気がします。 歩く、という日常的な動作の中で、何を履くか、ということも、身体にとって、実は大切なことだと思いませんか? もう5年近く前になりますが、身体のバランスを整えたくて、下駄を履いていたことがあります。 カラコロと軽快で粋な履き心地が気に入っていました。でも、アスファルトやコンクリートを歩く時の音がうるさいのと、早く歩けないし、当然ですが走れないし、階段を降りる時、下駄の傾斜が少しこわくて、お蔵入りになってしまいました。 3