本当のさようなら
この時期になると、思い出す曲があります。
「ひとつのこと」
今、終わる ひとつのこと
今、越える ひとつの山
という歌い出しの合唱曲です。アップテンポのピアノ伴奏が軽やか、かつダイナミックで、明るく希望に満ちた歌でした。
伴奏も難易度が高く、毎年のように音楽の先生が伴奏をされていました。
かつて通っていた小学校の卒業式で、卒業生が歌っていた曲。3つ年上の兄は歌ったけど、わたしは歌わなかった。
え?卒業してないの?
いえいえ、そうではなく…
歌が好きだった子供の頃。6年生になったらこの曲が歌える!と期待感と楽しみな気持ちがあったのに、自分が卒業する年、卒業生が歌う曲は「巣立ちの歌」に変わってしまいました。
残念ながら、「ひとつのこと」を歌うことなく卒業しました。
それから数十年の時が流れて、コロナ禍真っ只中の2021年3月。
千葉市内の住宅団地にあって、過疎地域でもないのに、ひっそりと閉校になったわたしの出身小学校。子供が少なくなったために、他の小学校に統合されてしまったのでした。
中学校と並んで建っており、小中学校の間に一本まっすぐに走る道路の、両脇の桜並木がとても美しかったです。
卒業式と言えば、もうひとつの風物詩「呼びかけ」がありました。
卒業式の練習では、底冷えがする寒い体育館で、何度もやり直し、何度も何度も全員で繰り返していたものです。
呼びかけの冒頭です。
「うららかな 春の日差しが」
「学び舎 いっぱいに広がる 春の日」
「卒業」
「(全員で)卒業」
「見てください」
「握りしめた 卒業証書」
「よろこびに 満ちあふれています」
以下続く…
卒業してから既に30年以上経った今でも、部分的に暗唱しているほど頭の中に染みこんでいる言葉たち。
人数がそれほど多くなかったので、全員一つずつソロのパートがあったと思います。
わたしが担当したのは、終盤近くのクライマックスで、
「お別れの時が やってきました」でした。
最初の一音。緊張感、そして子供の頃は早口だったこともあり、前のめりに、言葉が滑りそうになるのをこらえて、大きな声で、高い高い体育館の天井に響き渡るように頑張りました。
今思えば、なんてことのない短い言葉です。今ならば、一音目を深く、と心得て、落ち着いて響かせることができる。でも、当時小学生だったわたしは、手に汗を握りつつ、失敗するまい、と必死でした。
それに続く言葉は、
「さようなら ○○小学校」
「さようなら 先生方」
「さようなら」
「(全員で)さようなら」
かつての小学校の敷地は、老人ホームに生まれ変わるそうです。
わたしが卒業してから、数十年後に訪れた、本当のお別れの話です。
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