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石川へ度々⑤加賀・小松編:移住体験はするに値する

2022年1月、思い切って参加してみた石川での移住体験。前回は初めて能登入りしたレポート。能登の後には加賀と小松を廻った。
結果的にいうと、この時は移住決断には至らなかった。だけど、色々と現地を廻って実際に見て話す、という体験は結果的にはとてもよかった。

さて、前回は能登で廻ったところを書いたので石川南部でも印象的なところだけ。

白山麓にある、超サステナブルに循環するアロマ蒸留所

気軽にお店に行ってみる、つもりが取材のような密度の濃い訪問になったのが、白山麓の山間でアロマの蒸留を行なってるアースリング。豪雪期の積雪は圧巻であった。

「移住」とセットで考えてたのは、何か地域の土地や自然の中で循環している取り組みに参加したい、ということ。一時期は樹木調査をしたり、ハーブ関係の勉強をしたり、山が好きだったりするので、何か林業〜木の製品でできることはないかな、と。この頃、国内の林業事情を知ったことが大きい。
このエリアで森林課題に向き合うプロジェクトとして、「QINO SODA」というクロモジの蒸留水を使用した木の炭酸水が発売されている。これがここを知ったきっかけだった。

蒸留に使用する葉。何のだったか・・。

ほとんど全てひとりで行っている蒸留技師の方は、白山での材料調達から製品後の処理まで、本当に無駄なく作っているということを教えてくれた。
面白かったのは、芳香蒸留水の存在。アロマ=精油の存在・効果は世間に知られているけど、精油を作る時にでるハーブウォーターは精油と同じような成分が入っている。世間の認知度は低い。これが知られたらもっとハーブウォーターが色々な製品に利用されるかもわからないな。学びの多い訪問であった。

石川随一の渓谷美の寺で、チベット話

そして小松では観光名所としても知られる、那谷寺へ。

那谷寺は苔の存在がかなりいい味を出している。

岩や苔、自然と一体になった建築が素晴らしく、本殿や拝殿は国の重要文化財、奇岩遊仙境という巨大岩一帯が指定名勝に指定されるなど、見どころ満載の庭園。

ただし、ワタシがここへ来たのは、このお寺が長年ワタシが交流している「チベット」のサポートをしている、というニッチな理由からである。ここのお寺は那谷寺清水基金というのを設立し、海外ではチベット難民やラオスの子供支援の社会貢献事業を行っている。
ワタシ自身は旅での出会いからチベットはライフワークに近い形で長年国内外のチベット人と交流をしてきた。ちょっとしたチベットフリーク。

実は数年前に東京で少しサポートをしていたチベットの留学生が窮地に陥った時、助け舟を申し出てくれたのがこのお寺だったのだ。

ちょうど、お寺の奥の方へ行くと、この活動のことが展示されていた。受付の人にちょっと話しかけてみると、気を利かせて活動をされている副住職を呼んでくれた。アポなし訪問は何が起こるかわからない。
当時の留学生のお礼を伝え、色々とお話を聞くと、2000年代からインド・ダラムサラ(チベット難民の拠点)へ通い、里親や学校へのサポートなどを行っていたそうだ。そして、福祉社団法人も持っているので、チベット人に限らず就職口としても・・・というお話も伺えた。徳高さとスケールの大きさが頼もしかった。こういう繋がりは時に財産になるのだ。

現場に行って自分はどう反応するのか

移住するのはいいとしても、東京にある自分の繋がりが絶たれてしまうのは寂しいしつまらない。もしここらに越してきたら何か能動的に行動を起こせるようにしたい。

以前どこかで、「引越しをする時は、その越した先で具体的なヴィジョンが描けるなら間違いない」というようなことを聞いたことがある。新天地での自分の行動や指針がイメージできるなら良好だと。この未来に対してのヴィジョンは引っ越しに限らず何でも当てはまるのでは。

人間には第六感や直感が備わっていて、さらに日本人に言えば場の空気察知能力みたいなものに長けている。出会いも含めて、やっぱりその場に行ってみないとわからない。
とある有名な離島でハブ的な存在の人は、相当な数の移住者の出入りを見届けてきたが「下見できた時に数人知り合いができないなら、移住してもうまく行かない」という。ワタシ自身は東京にしても田舎にしても、話し相手ひとりいない町に住むなんて考えられない。

加賀は伝統と美的センスの備わる街

お茶一杯にみる、加賀の世界。

南方の泊まり先としてステイした加賀。初めてきたけど、さすが「加賀百万石」の名前を背負っているだけあるな、という感じ。伝統と様式美、気品を感じる。九谷焼美術館に併設されているカフェでお茶を一杯飲むだけで、あらまぁ、お花が一輪。世界感が表現されている。

加賀といえばほうじ茶、ということで良くパッケージを見かける丸八製茶場の工場併設のお店へ。ここでも器の作家さんが展示を行っていたが、これまたセンスの良さと気品を感じる。コーディネーターの方が顔見知りだったようで少し挨拶をした。
客観的には「東京から移住の下見に来た者です」ということになるのだけど、なぜかここで「ん?」と思ってしまった。お相手がどうというわけではない。ただそういうシチュエーションだった。客観目線を意識してしまったのだ。

最後に小松の木場潟公園へ行ってもらった。山が見えるのと同時に川か水場のあるところが理想なのだ。

小松もまた城下町だということを知った。気品が高い、というのは時に距離も感じてしまう。場所自体は素敵、だけど「東京から越してきた」と言いながら色んなところに入っていくのか、という疑念を抱いてしまった。しかも、“おひとりで”なのだ。単数と複数の乖離は大きいゾ。

実際には、リモートと言いつつも仕事は東京で、なんだかんだで頻繁に都内にでる必要があった。ただ、カラダが感情で構成されているワタシの場合、「これ!」となると理屈を超えて行動を起こしてしまう。

人を好きになるのは理屈ではない。土地を好きになるのも理屈ではない。頭では小松に住もうかと考えながら、今回胸キュンしたのは輪島の朝市と七尾のヨットハーバーであった。五感で感じて確認できたこの体験はとても良かった。一回で決めなくたって、移住しなくたっていいのよ、というTさんの姿勢がまた良かった。

結局、この小松で考えていた条件でワタシはひとまず東京の山の麓に引っ越した。

だけど、石川にいる時のカラダがスーっとする感覚とあの地理感覚は、なんとも不思議で、やっぱり北陸魂の爺さんに操られているのではないかと感じてしまうのだ。

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