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『洪庵のたいまつ』を読んで

私が運営しているグリンズアカデミーでは、「朗読セッション」も開催している。こちらは受講生が企画。英語または日本語の小説などを選び、参加者が交代で朗読。声を出すことを脳の活性化につながるし、感情を込めて読み手のことを意識して読む「朗読」は通訳のデリバリー向上にも役に立つので通訳トレーニングの一環としても有効。私も時間が許す限り参加している。(というか、もともとは自分が朗読したくて朗読が好きそうな受講生に提案して始まった。笑)

今日の課題図書は、司馬遼太郎著『洪庵のたいまつ』の英語版。

恥ずかしながら、緒方洪庵のことも、適塾のことも何となく昔学んだような気はするものの、記憶としてはあまり残っていなかった。

それが今回、朗読セッションの課題だからということで読み進めると...

えー?! 心にグサッ、グサッと刺さる箇所が、短編の中にも繰り返し出てくる!(朗読しても15分で読み切れます!)

まず、洪庵が医学に興味を持ったのは、彼が「生まれつき体が弱く、病気がち」だったことと関係しているよう。健康でなかったからこそ、病気の原因や人体の仕組みに人一倍興味を持ったとのこと。ふむふむ。

「鎖国」についてはもちろん学校の歴史で学んだ。唯一外国と交流があったのは長崎だけだったことくらいはさすがに覚えている。

けれども、次の表現には感動! (最初のグサッ)

「鎖国というのは、例えば、日本人全部が真っ暗な箱の中にいるようなものだったと考えればいい。長崎は、箱の中の日本としては、はりでついたように小さな穴だったといえる。その小さな穴からかすかに世界の光が差しこんできていたのである。当時の学問好きの人々にとって、その光こそ中国であり、ヨーロッパであった。
 人々にとって、志さえあれば、暗い箱の中でも世界を知ることができる。例えば、オランダ語を学び、オランダの本を読むことによって、ヨーロッパの科学のいくぶんかでも自分のものにすることができたのである。洪庵もそういう青年の一人だった。洪庵は長崎の町で二年学んだ。」

真っ暗な箱の中にいる日本。そこに、かすかに世界の光が差し込んでいる。

孤立化するっていうのは、そういうことなんだ。箱の中ではそれなりに幸せだと思っていても、箱の外でどんなに進化があっても気が付かずにいる。。。箱の中の暗さにも恐らく気が付かず。。。

「長崎で2年学んだあと、洪庵は大阪に戻る。そこで、塾を開き、長崎で学んだことを教え始める。

入学試験はなく、書生はいっさい平等。『学問をする』というただ一つの目的と心で結ばれていた。」(ここでも、グサッ、グサッ)

こんなことを言うとおこがましいのは承知のうえで。。。グリンズとの共通点がいくつか見出せる。

私自身は、「通訳技術を身に着けたい」「通訳学校に行きたい」と長い間思ってきた。けれども、金銭的な理由、住んでいる場所、家庭の理由などにより通訳学校に通ったり、大学院に進んだりはできずに悶々とした日々を長く続けていた。でもその間、「どうやったら通訳がうまくなるのか」「通訳スクールに行く人は何を学んでいるんだろう」という好奇心・ハングリー精神は人一倍膨らんでいった。だからこそ、縁があって英大学院(londonmet)、会議通訳修士課程での講師を依頼されたときは身に余るポジションだとは思いつつも運を天に任せる気持ちで引き受け、そこでどんどん学んでいった。

学びながら教える。なんだかズルしているみたいで罪悪感も感じたけど、とにかく一生懸命やっていたらクビになることもなく気が付いたら10年以上経っている。

ちょっと話が逸れてしまったけど。。。

通訳の訓練方法が分からず、真っ暗な箱の中にいたところ、londonmetを通じて少しずつ光が入ってきたような気がする。

最先端と言われる欧州の通訳訓練を学び、それを日英に応用してグリンズアカデミー(オンライン通訳スクール)で日本や海外在住の通訳者に伝える。同スクールには入学試験がない。年齢や国籍・居住地、経験などにかかわらず、とにかく全員が一つの心で結ばれている。ただ、「ワンランク上の通訳者を目指す」という一つの目的のもとに、駆け出し通訳者から実績ウン十年のベテラン通訳者まで「笑顔で切磋琢磨」を続けている。

長崎(欧州)での学びを適塾(グリンズ)で伝えたということ。色んな人が一つの目的のために集まったこと。グリンズは適塾の21世紀版とも言えるのでは?!

適塾では塾生が生活も共にしていたらしいが、コロナ禍でのグリンズもかなりの時間を一緒に過ごしている。Zoomの画面上ではあるけれど、「おはよう」から「おやすみ」まで、1日3回くらい顔を合わせるのも珍しくない。私の場合、毎日まだ家族は寝静まっている時間帯にグリンズで一日が始まる。

次に心を打たれた一節は、

「先生は、洪庵しかいない。体が二つあっても足りないほどいそがしかったが、それでも塾の教育はうまくいった。塾生のうちで、よくできるものが出来ないものを教えたからである」 (ここでもグサッ)

OMG! これって、グリンズそのもの?!

グリンズでは、正式な「先生」は私一人だけれども、半年前からStudent Teacherと称し、受講生にも教壇に立ってもらっている(という表現がオンラインでも使えるのかな?)。優秀な受講生が得意を生かし、質の高い授業を提供している。

適塾の塾頭には、大村益次郎や福沢諭吉がいたらしい。のちの日本を築いた人たちが適塾の出身とは改めて感慨深い。

(グリンズの受講生にも後に歴史に名を残す人が出ても驚かない!)

だけど、最後にはちょっとショックを受けた。

53歳で将軍様の侍医になるためにしぶしぶ江戸に行ったものの、そこでの生活が合わなかったようで、翌年にあっけなく亡くなってしまったとのこと。

「江戸でのはなやかな生活は、洪庵の性に合わず、心ののどかさも失われてしまった。」

「振り返ってみると、洪庵の一生で、最も楽しかったのは、かれが塾生たちを教育していた時代だったろう。」(グサッ、グサッ)

うっ、うっ、う。。。

私は現在53歳のちょっと手前。目指していることが二つあり、そのために毎日朝から晩まで没頭している。

一つは、ポストコロナ。対面の需要が戻ったときに、第一線で活躍できるよう通訳スキルや知識を高めておくこと。

一方、通訳現場に戻ったときも、グリンズは存在し続けるように、私がいなくても受講生が切磋琢磨し続けあえるようなプラットフォームを構築しておくこと。

どちらも、目標達成に向けて、着実に進んでいると自画自賛。

まだ人生終わりたくない。

「53歳で首相の通訳をするために現場に戻ったグリーン裕美は、世界を飛び回る華やかな生活が性に合わず、心ののどかさも失われてしまった。翌年あっけなく、火が消えるように。。。振り返ってみると、裕美の一生で、最も楽しかったのは、コロナ禍のなか1日24時間体制でグリンズ受講生たちを教育していた時代だったろう」

妙に現実味があって複雑な心境にならざるを得ない。

なんとか良いバランスを取りながら、長生きできますように!

(だけど、きっと、今読むからこそ、心に刺さるのであって、学校時代の自分が読んでも「ふ〜ん」で終わり、すぐ忘れていたんだろうな。)

。。。。

ここまで書いたところで、一部の受講生に読んでもらった。

『洪庵のたいまつ』を一緒に朗読した受講生もやはり同じように感じてくれたらしい。最後も含めて...(涙)

けれども、「洪庵が生きた1800年半ばの平均寿命は男性40才くらい。病弱にして激務をこなしながらも長生きした」という励ましのメッセージももらった!

そうか、ということは私も100歳くらいまで生きられるってことか?!

いずれにしても、無理しないで、心ののどかさを忘れず、ちょっとペースダウンしてでも長生きできるようにしたい。

最後も引用すると。。。

「かれの偉大さは、自分の火を、弟子たちの一人一人に移し続けたことである。弟子たちのたいまつの日は、後にそれぞれの分野であかあかとかがやいた。

やがてはその火の群が、日本の近代を照らす大きな明かりになったのである。」

適塾とグリンズ

時代も違うし、将来の日本に与える影響力など比べること自体がおこがましいけれど、少なくとも自分のやっていることは間違ってはいないなと思うことができた。

これからも愛しい受講生たちと毎日笑顔で切磋琢磨していきたい。


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