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コミュニケーションのデザインと「システム思考」について

※この記事は、読者の方の声を聞きながら、更新していきます。

個人的に、「システム思考」なるものを習慣化してそれなりの年月が経つ。今ではそれが自分にとってはとても自然なことになっているが、一方で、そのことを、専門ではない人と共有できるということはむしろとても稀だ。人には、かなり時間をかけて説明しないと、言いたいことが理解されないし、多くの場合、長々と説明してまで、ある認識を共有しようということには至らない。それは、仕事上のクライアントのみならず、同業種の同僚であっても、また、専門の異なる上司であっても同じだ。そこで、このことを手っ取り早く人に説明し、理解してもらえるように、まとめておきたいと思い、この記事を書いている。

遡れば、学生時代に社会学の一系統である「社会システム理論(N.ルーマン)」を学んだことにきっかけがある。ここで個々人の思考や行為を超えて成立する「社会」というものの見方、捉え方を身につけた。ちなみに、社会学では、「単一要因説」にも「要素還元主義」にも立脚しない。そうではなく、システムの「創発」を対象とする・・・。ここでは、あまり専門的なことには触れない。

学生時代を経て、仕事として、調査・コンサルティングに従事する中で、「システム思考」や「システムダイナミクス」を学び、実践に応用してきた。上記の「社会システム理論」とも同じ系統の思考様式であることから、以下でまとめて説明したい。(これらの思考様式は、「コミュニケーション・システムの分析」と呼んだ方が分かりやすいかも知れないが、ひとまずここでは「システム思考」に代表させている。)

そのエッセンスは、次の3点に集約されると考えている。

  1. 「社会」を見る時、「人」やその「意図」などに過度に着目しない。そうではなく、成された(成立した)コミュニケーション(としての事実=ファクト)に着目する。(cf. 「社会的事実」への準拠(E.デュルケーム))

  2. 目的-手段といった図式にとらわれず「観察」に徹する。(セカンドオーダーの観察)

  3. 「意図せざる結果」、「合成の誤謬」など、副作用と見える事象を含めた諸々のコミュニケーションの帰結を「機能」として観察し、記述する。(機能主義)

以下で、すこし噛み砕いて説明しよう。

1.について。「人」に着目した説明方法は、英雄譚(えいゆうたん)や偉人伝等がその典型と言える。「その時、誰々はこう考え、行動した。・・・」と、人の「意図」「野望」などに焦点を当ててて出来事を解釈しようとする。この方法論は、一般でも非常に頻繁に採用される。個人的には、歴史的な偉人伝や物語は好きであるし、そういった見方には、特有の意義があると思う。しかし、ある出来事が良った/悪かった、人が偉い/愚かだ、という善悪論や責任論などに絡め取られ、分かりやすいが、事実とは遠い(関係の薄い)解釈に陥ってしまいがちだ。そうした見方を超えて、社会をコミュニケーションの連鎖である「システム」と捉え、その傾向性やメカニズム、因果関係等を分析するといった場合、「人」やその「意図」ではないものを根拠にする方が得策である。もちろん、分析対象の一部に、ある人の「意図」が含まれていても良い。しかし、多くの現実は、ある一人の人の「意図」通りに進むなんてことは、まずありそうにない。

2.について。これは、上記1.の「人」やその「意図」に着目しないことにも関係する。当事者AAが、BBの意図をもって、CCを行った。その結果、DDとなった。(当事者AAの視点に立ったファーストオーダーの観察)。このような当事者の直接的な視点から離れ、事象の顛末、因果縁起関係、その背景にある前提条件などについて、俯瞰して観察するということが重要となる。これをセカンドオーダーの観察という。こうした視点に立てば、社会的事象の多くが、それぞれの当事者にとってみれば、「意図せざる結果」となるのではないか(主観的解釈では、「たまたまそうなった。」「あのときは運が良かった/悪かった。」となる)。人は神様でもないのであるから、物事を意図通りに動かすことなど不可能である。そして、何のために社会を観察し、解釈するのかという目的-手段図式からも自由である必要がある。個々人の意図に関わらず、社会の観察は一定の安定性が求められる。そうでなければ、観察者の実存によって観察結果が大きくゆがめられてしまう。

3.について。これは、社会システム理論の成立過程で、構造-機能主義(T.パーソンズ)から機能主義(N.ルーマン)に発展したということを踏まえている。社会を成立させている構造、例えば、生産体制(下部構造)とその上にある人々の意識や生活(上部構造)といった形式で社会を説明するのを止めて、コミュニケーションの顛末や帰結を事後的に虚心坦懐に、冷静に分析すべきという立場だ。科学として、何らかの仮説、想定(演繹的な説明)を排して、あくまでも事実確認的に観察・記述していこうということになる。(ついでに言うと、この方法は、複数の個別事象の観察から、ある法則性を導き出すという帰納的な説明とも違う立場である。したがって、機能主義は、帰納法でも演繹法でもない。)
ちなみに、今で言うと、この「機能」はロジックモデルにおける「アウトカム」に近い。

さて、こうした見方をするとどんな良いことがあるのか。ここが一番の要である。良いことがなければ、このような面倒な手続きをとる必要などない。システム思考のメリットを、上記の特徴ごとに簡潔にまとめよう。

メリット1 意見の食い違い、党派対立を避け冷静に協議できる枠組みを作りやすい


第の1のメリットは、ステークホルダー同士の対立を避けることができるという点にある。対立を煽るような「○○派と△△派の確執」・・・というような、人の思考や組織、集団の論理を実体化、固定化する説明をできるだけ排す。関連して、誰か特定の人間にある出来事の責任を負わせるような説明をできるだけ避ける。本質的に、一人の人間は、ある出来事の総合的な責任など取れないと考える。この見方は、人間は、コミュニケーションの連鎖(社会システム)の「環境」に過ぎないという考えに通じる。この考え方に則れば、社会は人で構成されているという観点は採用されない。もちろん例えば制度上、「社団法人」の構成員は人ということになるが、社会を観察・分析する際には、社会の構成要素は、コミュニケーションであり、人ではない。このあたりが、一般的な考え方、理解と大きく乖離する点であろう。しかし、システム思考では、このような立脚点から自律的に作動する(定形化して人々の意図から離脱している)コミュニケーション・システムを対象化し、分析可能とする。定型的なコミュニケーションの連鎖構造に着目するのだから、そこに関与する一人一人の人間は、後景に退くことになるという訳だ。こうしてはじめて、例えば、法学で言われるところの「罪を憎んで人を憎まず」ということが実践可能となるのである。

メリット2 個別の目的に関わらず、客観的に事実を観察・確認するための前提を供給できる


第2のメリットは、「観察」に徹することで、問題意識を持つ人たちの共通の前提を提供することが出来ることである。これではじめて、社会システム=定型的なコミュニケーションの連鎖構造は、人間の手段としての共有財産のようなものにすることができると考えている。何か問題を感じている人たちは、まず、その問題、違和感について見える化して、他者を含めて確認する。その上で、個々人が自分の立場を明確化した上で、「それならばこうしたらどうか(ソリューション)」という提案、そして行動を自由に行えば良い(問題の解決とその前提となる観察を切り離す)。観察によるファクトの根拠を欠いた議論は、やはり対立を生んでしまう。「いや、自分の方が正しい」、「こちらの考えの方が上手くいくに決まっている」、「その意見はXXの歴史を学んでいない」・・・と他人を責める議論の応酬となり、物事が全く進まなくなることは、誰もが目にしているだろう。このような観察と対応を分離するという視点、立場取りは、例えば、「失敗学」にも応用されている。事実を積み上げ、客観性を確保した観察が出来なければ、ものごとは改善できない。結果的にどんな社会問題の解決も出来なくなってしまうのである。

メリット3 現実を見ながらよりよい方法を探る「仮説検証アプローチ」への道が拓ける


第3のメリットは、例えば、「意図せざる結果」、「合成の誤謬」といったものごとの顛末、帰結を取り扱えることだ。ある法則性や意図、目的-手段図式などに拘束された視点では、あるいは、計画主義的な立場に基づく検討では、これらが盲点となり、うやむやにされる。つまり、「どうしてこんなことになることが、予め想定できなかったのか」「誰が計画を立てたのか。責任を追及すべきである」・・・というような事態が生じる。誰か特定の人を責める責任論に陥れば、ものごとは一歩も進まないことになる。反対に、機能主義に立脚すれば、まず小さくはじめてみよう・・・、あるいは、成功は多くの失敗の上に成り立つものなので、複数の方法を同時並行で試してみよう・・・、というアプローチが拓けるのである。

システム思考、システムダイナミクス、社会システム理論などはみな、こういった問題意識の上に成り立っている。この種のことをひと言で分かりやすく説明することは非常に困難である。

さて、言葉による説明ではどうしても分かりにくくなるということで、まず、システム思考のサンプルをもとに説明しよう。システム思考では、「因果ループ図」というものを使って物事の因果関係や顛末を記述する。

あなたの周りにも「いつも忙しい」と言っている人はいると思うが、下図は、その人の置かれている状況を端的に表してはいないだろうか。システム思考では、ある状態を再生産構造(コミュニケーションの連鎖)で表現するという点が特徴だ。端的な言葉の記述にとどまって、結果として固定して変わらない状態として物事を記述することを回避する。概念で何かを表現する際、物事を固定化し、実体化するという状況に知らず知らずのうちに陥りがちであるが、システム思考を使えばそういうことにはならない。そして、システム思考のポイントは、「人」やその「意図」ではなく、事象やその帰結を表現するという点だ。これは上述したとおりである。

無秩序の再生産(因果ループ図)

同じようなことを、今度は、システムダイナミクスの手法でモデル化してみると下図のようになる。
こうしてみると、この両者は大分、見え方の感じが違うと思う。システムダイナミクスでは、定量的なシミュレーションを行うことに主眼が置かれるため、ある状態(ストック)が増えるのは?/減るのは?(フロー)、ある状態が他の状態にどのように影響を及ぼすか? など、具体的に詰めて考えていく。そのことで、専門的になるが「論理的に閉じたモデル」を設定することになる。この詰めの過程で、システム思考のモデルがより具体化される。
ここでは、シミュレーションの中心となるものを「散らかった状態」「可処分時間」という2つのストック変数とした。このようにシステムダイナミクスでは、事象の背景にある法則を一つ一つ見える化してモデルを作っていくことになる。

無秩序の再生産(システムダイナミクスモデル、改良中)


上記で、システム思考、システムダイナミックスのサンプルを示したわけであるが、これらでは、上述の、1.人やその意図でなく、成立しているコミュニケーションに着目する、2.ある特定の人の視点(目的-手段図式等)から離れ、俯瞰的な観察に徹している、3.機能主義により「散らかった状態」がどのように再生産されるか、そのメカニズムを記述している、ということが分かるだろう。

この方法論は、応用範囲は広いと思うが、とっつきにくいことが原因なのか、あまり使われていないようであり残念だ。社会的な事象を客観的に観察、分析した上で、多くの人を巻き込みながら、新たにコミュニケーションをデザインしようとする際には、もっとこの手法が採用されば良いと個人的には考えている。例えば、自社の組織カルチャーを見える化して、中長期のビジョンの構築に役立てたい経営者、あるいは、地域の課題を体系的に捉えて費用対効果の高い対策を打ちたい自治体の政策担当者などには、参考なればと思う。

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