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フィルムにしかできないこと


フィルム写真とデジタル写真に優劣はある?

2023年5月ー6月、運営しているギャラリーで「フィルムとデジタルを感じる"visible & invisible"」という公募展を開催しました。「フィルム写真」と「デジタル写真」に写真としての優劣や好みに差があるのか、という長年の疑問があり、それをみなさんの力を借りながら考えてみたかったからです。その答えを文章にするまで長い時間がかかりました。

ギャラリーではそれまで10回以上の公募展を開いてきたのですが、気になったのが「私はデジタルカメラで撮っているのですが、写真展に参加しても良いでしょうか?」という恐る恐るの声。まるでデジタルカメラで写真を撮ることは、フィルムカメラで撮るよりも劣っているかのような恐縮ぶり。「フィルムで撮ることが写真としては上」という空気を感じさせるようなことがあったのかもしれない、そんな反省もありました。

確かにフィルムカメラでピントがしっかりと合った写真、適正な露出で撮られたネガ作りは、結果がすぐにわかるデジタルカメラに比べて、少しハードルが高いと言えます。けれども写真をしっかりプリントして額装にした場合、その差はどれくらいあるものなのか目に見えてわかるものなのでしょうか?もしかすると、希少になったフィルムの失われたイメージ(レトロ感)が一人歩きしているのかもしれない。そんな疑問からの始まりでもありました。


ポスターより

デジタルだけの写真展、フィルムだけの写真展を開き、私だけの先入観にならないように、展示を観に来た人に良いと思う写真、好きな写真を投票してもらうことにしました。その上で、選ばれた写真を撮った人にデジタルでもフィルムでもどちらでも良いので、あらたにもう一点写真を加えてもらい、「エキジビション」と言う名前の写真展を開催しました。アイススケートのエキジビションのように、試合が終わった後に観客へのサービスとしてのパフォーマンスを意味しました。

結論から言うと、「デジタルでもフィルムでも良い写真は良い、どちらかが優れているということはない」と言うのが観に来た人の多くの感想でした。これは予想通りというか、私がまさに求めていたものでした、

でも、私はフィルムが好き、という意見

でも「フィルムが好き」という根強い声はどこから来るのでしょう。デジタルカメラの画像は鮮明で、暗い場所にも強く、結果が見えるし、編集もしやすい。ただ反面、一時流行ったHDRを主流とする「デジタルらしさが好き」という声はあまり目立って聞かれなくなりました。むしろ「デジタルでフィルムを再現する」という「フィルムらしさ」にこだわる傾向は常に存在しています。

フィルムらしさとは?

フィルムらしさということはどういうことなのか。
カラー写真で言うと、彩度が低いのに一定のコントラスト感がある。粒状感がある(エッジが効いていない)。
ハイライト部がしっかり出ている。環境の色温度に左右される。
ざっと上げてみました。
これらは画像編集ソフトでそれらしく仕上げることができると言われています。
そうではなくとも、私自身が写真展を開いた時に、デジタルで撮ったもの、フィルムをスキャンしてインクジェットで出力したものを、暗室で焼いたものばかりの展示の一部(ポートフォリオを含む)に混ぜてみましたが、そのすべての差がわかる人は殆どいませんでした。私自身でも自分の写真なのに見誤ることがあります。
ただこれらは中判フィルムで撮影したもので、中判以上のフィルムにはデジタルにもまだ負けない、もしやそれ以上の解像度があることを意味するのではないかと考えています。(これに関しては専門的な意見を仰ぎたいと思っています)

フィルムにしかできないこと

それでも「フィルムらしさ」ではなく「フィルム」にこだわるとしたら、その答はフィルムにしかできないことにあるのではないか、そう考えました。
フィルムで撮った写真はすぐに見ることはできません。現像という処理をして、プリントにして初めて見ることができます。これはフィルム特有のプロセスです。

フィルムをデジタルデータ化すれば、デジタルカメラで撮影した写真とほとんど同じように編集することができます。photoshopやスマホのアプリで多くの方が経験済みだと思います。
けれども、当たり前のことですが逆、つまりデジタルカメラで撮った写真は暗室でアナログ銀塩プリントにすることはできません(フィルムペーパーでネガ作りをするという究極の方法はありますが、フィルムネガとは厳密には別物ではないかと思います)
暗室でプリントに焼くことができる、これがフィルムにしかできないこと。もしフィルムにこだわるのであれば、その答の一つは「暗室」にあると思います。ただ「暗室」はフィルムの減少同様に少なくなり、今やカラー暗室は絶滅危惧種並みの少なさで、おいそれと勧めることができないのが悩ましいところです。

もう一つの答

これは多くのフィルム愛好者の方に共通した答だと思いますが、「待つ」楽しみです。スピードと効率化が求められる現代だからこその贅沢。贅沢と言えば、フィルムの価格の高さが問題になって久しく、フィルムによっては驚くほどの値段がついているものもあります。
趣味はもちろん生活の範囲内で楽しむことが健全ですが、余裕があれば趣味だからこそお金をかけるという選択もあってよいのではないか。希少性を求めることも趣味人としての喜びでもあります。
多くの職業カメラマンがデジタルカメラを使用するのは、それが趣味ではなく仕事で使用するものとしてのコストパフォーマンスが高いからと言えます。

もう一つの答と言いましたが、「待つ」楽しみを含めてフィルムカメラで撮影することそのものが、考える時間を私たちにもたらし、「詩」や「物語」を産む要因になるのではないか。それが「暗室」という化学的思考を伴う身体作業の面白さだけではなく、精神的なゆとりを運んでくる、フィルムの目に見えない(invisibleな)魅力ではないかと考えます。

結論

個人的な結論から言いますと、写真は見る側にとっては「フィルム写真」でも「デジタル写真」でも良い写真、そうではない写真に変わりはない。けれども、撮る側にとっては「フィルム写真」のアナログな魅力は別だということ。

最後に皆さんの感想から

最後に「フィルムとデジタルを感じる写真展、"visible & invisible"」を観に来てくださったお客様の素直な感想が素晴らしいので、それらを原文のままご紹介させていただきます。(*文章のレイアウトまでは再現できないことをお詫びします。)

「フィルムでとりたいのは、あいまいでも良い写真。消えてほしくない笑顔。なんか恥ずかしいしゅんかん。加工されたくない楽しい記憶の写真。
デジタルでとりたいのは、残したいモノ、コト。未来への記憶のカケラ。記録としての写真。誰かにすぐ見せたい写真。
すぐに見えないけれど消えないフィルム。
すぐに見えるけれどすぐに消せてしまう変えることができるデジタル。
かと、私は思う」 Kさん

「写真をとること自体に技術が必要なく、だれでも手軽に写真をとれる現代で、写真を表現することの意味を考えることがあります。自分が撮った写真を見ては、「ただシャッターボタンを押しただけだ」と思う日々。
プロではないのですが、マーケティング、損得、ブランディングを考える必要はないのですが、それでも何らかの唯一無二のものを残したいと思うのは、人間のサガなのかもしれません。いつか、自分や見てくれる人の心に刺さる、私にしか撮れない写真をとってみたいものです。」 Mさん

「撮る時に答えがわからない「フィルム写真」の方が、より強く人の記憶に残るのではないかと考えた事がある。
撮って直ぐに良い悪いもわかる「デジタル写真」はいつでもその場で答えが出てしまう。やり直しができるし、その場で消す事ができる。
無かった事にも出来る
どんな瞬間であっても、駄目だった1枚も愛おしくなるような
撮る瞬間や撮影後もその1枚に思いを馳せるような「フィルム写真」の現像までの長い時間を、人は記憶と呼ぶのでではないか、と思う」 Yさん







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