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英語だけ教えても意味ない

先日、大阪で講演してきました😊。

素敵なイベントに呼んで頂き感謝!

わたしの話を聞いてくれる児童英語講師がいることに感謝しかない!!
関西エリアだけでなく、静岡や福岡、宮崎からも参加してくれた意欲的な先生も✨ 
(メインは講師同士の横の繋がりですがw)

わたしの話は、投げ掛けの質問が多いのですが、英語教育のWhat forにそれぞれ意識していただければ💮です。



ところで、

最近、著名人やカリスマ英語講師軍のお話を聞く機会があるのですが、聞けば聞くほどエネルギーが下がる自分がいます…

楽しく覚えよう!
テンポよく!
フォニックやろう!
ネイティブに聞こえる発音はこれ!
単語はこうやって覚える!
新しい英検、大学入試に備えよう!

など、このような風潮に、げんなりしてしまう自分がいます。

もちろん、否定しているのではありません。

ただ、私が気にしているポイントと違うな…と感じているからです。

なぜなら…

どんなに英語を教えても、どんなに英語を覚えさせて良いスコア取っても、結局【対話力】がなかったら、知識もってるだけで使えずに終わってしまうから…

わたしは、大人の英語コーチもしているのですが、まさにこのパターンが多いのです。
結構、難しい単語知っていたり、文法テストしたりすると結構できる。

でも、ちょっとした会話、意見交換ができない。英語が聞き取れないと黙ってしまう。言いたいこと言えないだけで「日本語でいいですか?」と聞いてくる。(←ダメです!w)

どこまで、どのくらいのインプットがあれば 英語が使えるようになるのか?
単語覚えたら、ネイティブのような発音練習したら、堂々と英語使えるのか?

わたしは「今」のレベルをフルに使いながら、単語力が低くても、発音が微妙でも、何とかして関わろうとする態度が絶対に必要だと思っています。

“英語ができない”は、“英語力”のせいだけではない。会話を続けようと工夫する、分からなかったら分からないと伝える、非言語コミュニケーションを測るなど、やるべきことはあるはず。それを、レッスンでどの位体験させてあげているか?

“英語力”のせいにして、“英語ができない”と思い込み、また英語を勉強する。
英語を勉強しても、とっさに英語がでなかったりすると、また「あ~自分はまだまだダメだな…」と苦手意識が高まる。

英語の語彙や文法力を高めたり、発音矯正したり、良いテストスコアを取ることは悪いことではありません。
しかし、それらが最終的な「英語ができる」にどう繋がるのか? を見失わないで欲しいのです。

英語を教える先生も、ついつい目先のやるべき内容ばかりに目がいき、テキストにある内容を順番通りにこなし、宿題だして、習熟できているか、きちんと発音できているかばかりに気がいってない?

レッスンも楽しいゲームをしたり、歌ったりして“覚えること”が目的になっていない?

「目的」と「手段」を間違えない。

「英検が変わったり、大学入試が変わるから、指導内容を変えないといけない」に関しては、テストに合格することが目的です。

テストのために英語やるの?!

ま~、
それがあたなの“目的”ならそれでよいです。

英語講師は、将来、学習者にどうなって欲しいのか具体的な像をイメージし、それに繋がる指導をする。

わたしは、日本語以外の言葉を使うコミュニケーションの成功感からくる楽しさ、また難しさ、問題の乗り越え方、伝達のために簡単に諦めない、理解しようとする姿勢こそ英語教育にいれるべきことだと思っています。  

英語だけじゃない!

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