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「書いてくれてありがとう」とたくさん言われた1年でした。

2020年は溢れ出る言葉を、たくさん外に発信しました。前ガン病変が見つかり、手術することになって、それはそれは心が荒れました。ステイホーム期間中とダダかぶりで、誰かに直接話を聞いてもらうことも難しく、全く苦でなかったはずの一人暮らしの盲点をたくさん見せつけられた日々でもありました。

今でも定期検診の前後は憂鬱で仕方ありません。あと4年以上通院は続けないといけないわけで、その日が近づくたびに重苦しい気持ちになります。

そんな中ひとつだけ救いがあるとすれば、このnoteを書き残していたことで、複数の人の拠り所になれたことだと思います。

前ガン病変と生きる日々を綴ったnoteを見て、知り合いもそうでない人もたくさん連絡をくれました。同じ手術を受ける人とその周りの人たちの一助になればと書いたのですが、意外にもまったく違う環境の人たちからの反響も多かったのです。

ある人が言ってくれました。「言いにくいことを言葉にしてくれて、ありがとう」と。わたしは自分に起きることは、誰かにも起きうることだと思っています。誰かに起きることはただの個人ごとではなく、社会課題の一片。だからセンシティブな話だからこそ言葉にし、広げることをやめたくないのです。

これはわたしが日頃関わっているホームレス問題にも言えると思っていて。日々出会う生活困窮状態の人たちの出来事は、その人たちだけに起きることではないのです。わたしにもあなたにもそうなる可能性がある。だから、わたしが感じたことを言葉にして広げていきたいのです。

そう言いつつ、今年の後半は自分の心の余裕を持つ時間と思考を研ぎ澄ます時間がいつもより少なくなってしまい、あまり言葉と向き合うことができなかったなと反省しています。

その理由は二つあります。一つがダブルワークを始めたこと。大学教員という新たな挑戦をすることにしました。小さなゼミのような授業を担当していますが、指導って難しい。誰もやり方なんて教えてくれないから試行錯誤の連続で、教員という立場ですがわたしが多分誰よりも勉強させてもらっています。多様性が広がる時代に、わたし自身が複業を体験することが大事だなと思い、分不相応だなと思いながらもお引き受けしました。複業って学びも多いけど苦労も多いと身をもって感じることができました。(このへんはまた別で書きたいくらい思うこといっぱいあります。)

もう一つは、新しい生活を始めたこと。ご縁があって、住み慣れた大好きな場所を離れることにしました。引越しをするにあたり、過去の苦い経験から少し落ち込んでしまうことも。わたしの心に残った深い傷跡は、そう簡単には癒えないんだなと思い知らされました。これからもずっとこの痛みとともに生きていくしかないわけで、「家族の在り方」「家族との付き合い方」はわたしの生涯のテーマなんだろうと改めて思う引越しでした。

年々、自分の関心領域は増えているなあと思います。大学生の頃は日本の貧困問題のことしか頭になくて。そこから組織経営マネジメントについて必要に迫られ考えるようになりました。数年前から個人のこととしてジェンダーパートナーシップ家族について考え今もぶつかりもがき続けています。今年になって子宮に前ガン病変が見つかったことで医療(特に女性特有の)病気についても目が行くように。そしてご縁をいただき教員になったことでダブルワーク大学教育にも少し意識がいくようになりました。10代の頃からずっと続けてきた言葉にするということがわたしの関心領域すべてを表現する場として機能してくれていて、すごくありがたいです。

2021年は新たなチャレンジもどんどんしつつ、自分だけの時間も確保していきながら、より多角的な視点で自分の感性を磨き、言葉にすることをやめないでいたいなと思っています。

ぐちゃぐちゃになった思考の整理を目的とするだけならば、くたびれたMacBookのワードに保存しておけばいい。しかし、こうして外に発信をするということは、新たな化学反応を誘発するきっかけになります。「書いてくれてありがとう」という言葉は、化学反応のシルシであり、わたしにとってお守りです。

昨年最後に書いたnoteに、こんな言葉を残しています。

かなしみの深淵に身を置く日があったとしても、それがやさしい未来への布石だったと思える日が来ますように。

実はこの一年、苦しいことがあるたびにこの言葉を思い出していました。

気が触れてしまいそうになるほどかなしいことはたくさんあったけれど、すべてやさしい未来につながっているとわたしは思っています。かなしみにたくさん触れるほど、自分がやさしく強くなれるような気がするし、周りにもそんな人たちが集まってきます。

このnoteを読んでくれているあなたがかなしみの深淵を感じることがあったなら、それはやさしい未来への道しるべに違いありません。

これからもわたしはかなしみの自己開示を続けていきます、悲しい哀しい愛しいも全部ひっくるめて。必ずそれがやさしい未来につながっていると信じているから、怖くはありません。

来たる年が、どんな一年になるかは誰にもわかりませんが、誰にとっても明るく照らされる日々になると良いなと思っています。


普段の自分ならしないことに、サポートの費用は使いたいと思います。新しい選択肢があると、人生に大きな余白が生まれる気がします。