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稀代の装丁家、坂川栄治さんに教えてもらったこと

 日本を代表する本の装丁家、坂川栄治さんが急逝されたのは2020年の夏。装丁家をされているお嬢さんの朱音さんが、これまで手がけた本の一部を年代別にまとめた図録をつくられました。以下の文章は、その3番目の図録に私が寄稿させていただいたものです。

 坂川栄治さんが装丁を手がけたのは、村上春樹、カズオ・イシグロ、ハリー・ポッターシリーズなど小説から、『だるまさん』シリーズなどの絵本まで約6500冊にも及ぶそうです。

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 広尾の一軒家、坂川事務所を上司と共に初めて訪ねたのは、2009年頃。当時、私は駆け出しの書籍編集者だった。ミリオンセラーを10冊以上も手がけてきた大御所の装丁家、坂川栄治さんはどんな人だろうと緊張する。

 東京都心とは思えない静かな家の中、大きく素敵な木のテーブルの前に座りながら坂川さんを待っていた。もの静かで気難しいデザイナーだったら話が続かないかなあ、などと考えていた。

 ところがドアを開けてやってきた大柄の坂川さんは、実に気さくで面白い方だった。装丁を依頼したのは、『クラウド大全』という技術書。当時は耳慣れない「クラウド」の仕組みを説明する私たちに、「へー、ほー」「すごいねー!」「そういう本をいつもつくってるの?」「すごいねー!」と興味津々。坂川さんはコンピュータ書やテクノロジー関連書の装丁は、あまり手掛けていなかったそうだ。ご自身ではメールも出さない、コンピュータでの作業はスタッフに任せているんだと言われていたが、それでも次々に質問をしてくださった。坂川さんの全方位の好奇心に驚いた。

 後日できあがった『クラウド大全』という本は、かっこよく、でもかわいらしくもあり、書店のコンピュータ書売り場でも、とても目立っていた。すっかり坂川さんの装丁のファンとなった私は、次々と坂川事務所に装丁を依頼した。30万部を突破した、それぞれ10万部を超えたなど、数多くのシリコンバレー関連書の装丁をデザインしてもらった。

 アップル、フェイスブック、ツイッター、アマゾンやその創業者のスティーブ・ジョブズ、マーク・ザッカーバーグ、ジェフ・ベゾスといった人たちが題材の本が多かったので、打ち合わせに行くたびにiPhone、iPad、KindleFireなどの新製品を持って行き、坂川さんに見せた。それぞれの新製品のどこがすごいのか、新サービスの何が画期的なのか、彼らがどう世界を変えてきたのかを説明した。

 坂川さんが、「へー、そんなことできちゃうの?」「すごいねー」「面白いなあ!」「きれいだねえ」などと言ってくれるのが私はうれしくて、調子に乗って新製品説明会のように新しいガジェットを毎回自慢していた。坂川さんは面白がって聞いてくれていたが、それでも「僕は使わないなあ」と言っていた。

 その後できた装丁は迫力があってクールなデザインで、本を出した当時はジョブズもザッカーバーグも日本での知名度はそれほど高くなかったが、『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』は30万部、『スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション』『フェイスブック 若き天才の野望』はそれぞれ10万部を超えるベストセラーとなった。

 売れ行きを坂川さんに報告すると、「ベストセラーの『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』の装丁家が、実はMacも使っていないって、ちょっと面白いんじゃない?」とお茶目に笑っていた。ところが『驚異のプレゼン』発売の翌年2011年に、とうとう坂川さんがiPadを買い、ツイッターやフェイスブックにご自身で投稿されるようになった。坂川さんをインターネットの世界に引き入れられたように思い、私はなんだかうれしかった。

この本売れると思ってる?

 坂川さんには、本づくりで大事なことをたくさん教えていただいた。
 本のコンセプトに自信がないときには、すぐに坂川さんに見破られた。ある日、次の本の内容を説明していると、坂川さんから真顔でこう聞かれた

中川さん、この本売れると思ってる?

 未熟な編集者だった私は、本の方向性に迷い、読者を定められず、揺らいでいた。それを打ち合わせで坂川さんに、ズバッと指摘されたのだった。でも、「売れないかもしれない」とは言えず、「読者層は狭いかもしれないけれど、売れないことはないと思うんですよね」と答えるのが精いっぱい。坂川さんはそれ以上何も言わなかったが、私は猛烈に反省した。

 編集者は本の総合プロデューサー。その編集者自身がどんな本にしたいか揺らいでいたら、売れると思っていなかったら、装丁家はいいデザインができない。いくら素晴らしい装丁家に依頼しても、いい装丁にはならない。私はそれから、著者ときちんと相談して心を固めてから、装丁家と打ち合わせをするように心がけるようになった。あたり前のことだが、それができていないことを坂川さんに気づかせてもらった。

失礼な編集者はきちんと叱る

 いつもやさしい坂川さんに、一度だけ叱られたことがある。それは、イラストの描き直しをお願いしたときだ。

 事前の打ち合わせで、カバーに小さいイラストを入れることに決まった。坂川さんと相談してイラストイラストレーターに何点かラフ案を描いてもらい、私がその中からひとつを選び、色付けして納品してもらい、装丁ができ上がった。

 ところがその装丁を書店営業の担当者たちに見せたところ、イラストがとても不評だった。書籍編集者としての自信がなかった私は、だんだん不安になってきた。このイラストで本が売れなかったらどうしよう――。けれども、完成しているイラストをゼロからやり直しにしたら、イラストレーターの方には迷惑がかかる。しかし、本が売れることが最優先すべき。あれこれ悩んだ結果、意を決して坂川事務所に電話をかけた。

 イラストをやり直したいと伝えたところ、坂川さんはこれまで聞いたことがないような不機嫌な声になった。

イラストレーターはラフを描いて、選ばれたイラストを仕上げて納品してるんだよ。中川さん、ラフで確認したよね? それでやっぱりもう一度最初からやり直せっていうのは、イラストレーターに本当に失礼なことだよ

「本当に申し訳ありません」と私は平謝り。ラフの時に営業担当者たちに見せておけばよかったのに、それをせずに後からやり直しを依頼する私が悪い。坂川さんは重ねて、
「このイラスト、全然悪くないと思うよ」
と言ったけれど、私も後から「イラストを変えておけばもっと売れたかもしれない」と思いたくはないので、謝りながらもやり直しをさらにお願いした。結局、坂川さんもイラストレーターの方も対応してくれた。

 坂川さんは装画塾を開催されるなど、イラストレーターの育成もされていた。イラストレーターを守るために、私にも厳しく仕事のやり方を教えてくれたんだと思う。私はイラストレーターの方の仕事や苦労をやっぱりわかっていなかった。今から考えれば、我ながら未熟で失礼な編集者だと思うが、坂川さんに厳しく言われなければ、いまだに気づいていなかったかもしれない。本当に感謝している。

かっこよくて隙があるデザイン

 坂川さんのデザイン哲学を聞いたこともある。 
 坂川さんの装丁デザインには、温かみがある。『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』『フェイスブック 若き天才の野望』などクールな本でも、どこか安心感がある。そんな感想を坂川さんに伝えたら、こう説明してくれた。


装丁はね、整いすぎちゃいけないんだよ。きっちり整いすぎて冷たい印象になっちゃいけないんだ。本は買ってもらうものだからね。地方の書店で、お客さんが手に取りにくいくらいカッコよくしちゃだめなんだ。若いデザイナーは自分のデザインが大事で、整えすぎちゃうことがある。でもね、装丁は芸術作品じゃないから。本は買ってもらわなきゃ意味がないから

 この説明を聞いて、坂川さんがミリオンセラーを多く手掛けてきた理由が少しわかったように思った。ミリオンセラーは都会の大手書店で売れているだけでは到底届かない。地方のモールに入っている書店、小さな書店でも置いてもらい、男女問わずお客さんが手に取るような本でなければ、100万部にはならない。ダサいデザインは論外だけれど、かっこよすぎてもいけない。かっこよくて隙がある――そこに人は惹きつけられるのだなと、とても勉強になった。

 こうした坂川さんとのやりとりを書いていると、打ち合わせでは真面目な話ばかりしていたように思えるが、打ち合わせの半分以上は楽しく雑談をしていた。

 同僚の話、ビジネス書と児童書と文芸書の編集者のキャラクターの違い、おいしい豆大福の話、温泉の話など、仕事と関係のない話でゲラゲラ笑っていた。ある時は私が大きいパンケーキを食べた話をしたところ、次の打ち合わせはパンケーキのお店でということになった。坂川さん、お嬢さんの朱音さん、私とで白金でパンケーキを食べたのが、とても懐かしい。

 新米編集者だった私を叱ってくれたり、一緒に大笑いしてくれたりした坂川さんに、きちんとお礼を伝えることができなかったのが心残りだ。坂川さんのおかげで、編集者として仕事を続けることができている。坂川さんが仲良くされていた若手装丁家のトブフネ小口翔平さんのデザインで、『ファクトフルネス』をミリオンセラーにできましたと坂川さんに報告したかった。大きな体を揺さぶりながら、「なんで俺に頼まなかったの? 悔しいけどおめでとう」と笑ってくださるように思う。

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あえてコワモテでパンケーキを食べる坂川さん

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