おちイモリ
おちイモリの徒然
私が住む市内にある街をご紹介。 個人的な意見ばかりです。 街の名前は有料部分に記載www
次なる目標について、かなりお金がかかるがそれが正当に支払うべきものなのか迷ってしまった。 住む場所によっては補助や免除があるが、当方にはそれがない。 支払先を管轄する団体の素性も中身もイマイチ納得いかない。 そうこうしているうちに、今回の申し込み期限が迫ってきた。 時間は気持ちを待ってはくれない。 悩んでいるくらいなら、やって、それからやはりやめときゃよかったと後悔しよう、と決めて申し込んだ。 そしてその繋がりで、また別に目標ができた。 その二つをまずは頑張ってみよ
昨年春から取り組んできた資格試験に、合格した。 通知を開けてからは嬉し泣き。 声をあげて(ひとりで)喜んだ。 結果が出るまでの期間が私は苦手だ。 早く出るものなら出てほしいといつも思う。 だからようやくスッキリして肩の荷がまた一つおりた気分。 国家資格なので登録をしなければならない。 さっそく昨日、郵便で書類の取り寄せ作業を行ったが切手を間違えて貼ってしまい封筒を一つダメにした。 でも切手は丈夫なものでぬるま湯に浸してもふやけることなく封筒からきれいに剥がすことができた
このところ、自分の気持ちを大切にしていないなと思う事が多々あった。 気晴らしはしている。 好きなものをたべ、ことを行い、ばしょへ行くなど、リフレッシュはしていたし、その瞬間は幸福感を感じているからやったことに間違いはなかったはずだ。 しかしモヤモヤが消えない。 というか、あとからあとから湧いてくる。消えてもまた出てくる思春期のニキビみたいな感じ。 そしてそれがイライラや体調不良につながっている。 よくない。 大好きな趣味について頼まれ事をされ、特に異論はないから協力する
せっかくの休日なのだから、楽しく過ごしたい。 誰かの悪口なんて聞きたくない。 仕事の愚痴もウンザリする。パワハラ的な言葉は大嫌いだし、命令されるのは尚嫌い。 私の今の状況や気持ちを、全て汲んでくれとは言わないよ。 でもこちらが話したことは聞いてほしいし、勝手な憶測で私の気持ちを決めつけ、それと実際の私の行動が異なったからといって、私を責めるのは違うだろう? たのしくない、つまらない、うんざりする、きもちわるい、くつう。 何時に寝ようと勝手でしょ? いちいち干渉しないでよ
1ヶ月半くらい、苦しい状態が続いた。 それは当事者のほうが苦しかっただろう。 私も当事者のひとりだけれど、人生を左右するほどの苦痛ではない。 でも苦しかった。 大事なことを話しても聞いてもらえない。パニックを起こされる。 だけど毎日生きていてくれてありがとう、という気持ちでいっぱいだった。 大切な人が呼吸をしてくれていることがこんなにありがたいと感じたのは、いつぶりだろうか。 金銭面を考え、手を打った。 余計な支出を減らそうと思ったのと、それが当事者の望んでいることだっ
意図してそうしていた訳では無いが あまり自分のためには生きていなかった、一月だったように感じているこの頃。 大切な我が子のことなのに、身動きが取れずモヤモヤし続けている。 大好きな趣味のことなのに、それなりに自分の作品も作ったのに、楽しさより疲れが上回ってしまっている。 やりがいがある仕事で資格ももうすぐ取れそうなのに、職員の人間関係に絶望感を抱いて毎度働いている。 今日、ふと逃げたくなった。 そして、どう逃げたらいいのかわからなかったのだ。 いつもなら、あれやりた
家でも、職場でも、趣味の場所でも 少し前まで、じわじわと負荷がかかっていた。 家ではそこにガツンと衝撃があり、私は一気にドン底に落ちた気分になったが、本当にドン底に落とされたのは他の家族で、思いの外傷ついていたらしい。だがその顛末はあまりに甘い考えすぎてお粗末で、私も擁護しきれない気分になった。 なので今は様子見を継続中。この先どうなる・どうすることやら… 職場では真っ向から分かれる意見の相違が起き、いっときはある一方寄りだった私だが、少しずつ時間が経つにつれそれは私の考
大キライな自分の一部分 それは、依存的なところだ。 人は誰しも少なからず、誰か、なにかに依存指定来ている、と私は考えているし、それは決して悪いことではないとも思う。 だが、私自身が依存する事柄は、いつも依存的な行動をしてしまったあとに後悔をし、自分が許せなくなる。 冷静になって振り返ると、やはり行動が間違っていたという結論に行き着く。 だから「そのこと」への依存は断ち切らなければならない。 そして、今回は我慢というか、断ち切って、 あぁ、よかった、あそこで依存しなく
明日から二日間の予定で、プチ旅行に出かける。 行き先は関西。とは言ってもメジャーな場所ではないが、この時期限定でエラく混雑するイベントが目的だ。 数ヶ月前から楽しみにしていた。 だが 旅行の二週前には資格試験があった。 なので自分の中では、勉強を頑張った「ご褒美」と位置づけ、資格試験勉強にうちこんだ。 自己採点の結果、筆記試験は合格しているようだ。 これでかなり楽しめる心持ちとなった。 頑張ったご褒美だなんて、こどもじみていると思うけれど。 1日目は天気も芳しくない
毎日毎日、すごい勢いで扉を閉める反抗期野郎の第三子。 過去に蝶番がズレて壊れ、修理に8000円かかったことなど忘れているようだが、放置しておくと3倍の修理(つまり3ヶ所の扉にいま不具合アリ)となりそうだ。だからこっそり調整してズレを戻すことにする。 最近の建具はややこしい、作りが複雑で困ったものだ。 舌打ちをして横を通り過ぎる。 お願いしなければならないことはすべて命令口調。 私の育て方が悪かったのである。 それでもまだまだ甘えたい、親に自己主張、認めてもらいたいんだろ
今年度は自治会の最小単位の取りまとめが回ってきた。 その集まりに参加し、帰宅したら 資格試験の受験票が届いていた。 こども等はそれぞれに進級、進学し、嫌と言うほどお金かかる時期である。 前日にようやく、この春は最後となる学費振込みをしてきたところだ。 春は忙しない。 少しずつ、一つ一つ、こなしていこう。 試験勉強もラストスパート。 今回でキメたい。 しかしなかなか頭に入らない、年には勝てぬのか… それでも足掻く。 できる限りのことをやって試験に臨む所存である。 試験
とてつもなく自分が嫌になる時がある。 自分のことをダメだと思うともう止まらなくて、なぜ生きているのかわからなくなり、呼吸さえ億劫に感じる。 ネガティブな私のところだけを抽出しては「家族含め周りの人にはこんなふうに思われてるんだろうな、最悪だ」とマイナス意識にしかならない。 こんなときはなにを考えても無理で、生きるのって難しい、ってつくづく思う。 呼吸をすればするほど苦しい。 私は生きていていいのか、生きる価値なんてないんじゃないかと思ってしまう。 生きていることをストレ
長らく乗ったワンボックスカーと、今日、サヨナラした。 こどもたちを乗せていろいろ連れて行ったな…車に酔いやすい子たちで、しんどい思いをさせたことも多々あった。 スタッドレスを当たり前に履いていた時期もあり、雪山や、GW当たりの雪壁を見に行ったりもした。 趣味の仲間と道具を買いに行ったり、まぁ大抵は私がたくさん乗って出かけていた。 カーオーディオには数百曲入ってて、好きな曲を聞きながらのドライブは本当に楽しく快適だった。カラオケ代わりのようなときもあった。 壊れてはいないの
耳鳴りが小さい。 ここ数年、常に耳鳴りがある。 気にしたほうがいいのかもだけど、小さい頃から聞き慣れた音であることが多いため苦痛はないし、正直ほとんど気にしていない。 ひどい耳鳴りで眠れないなど困っている方には申し訳ないが、うん、やはり気にはならないのだ。 静かな夜にはうるさく感じることもあるし音の種類はその時々によって違うのだが、今夜は久々に小さな耳鳴りだと感じた。 「耳鳴りは霊が危険を知らせてくれてるサイン」などと高校生の頃に言われたことがあり、霊感がまったくない私
飽きっぽい性格であることは否めない。 幼い頃からそうで、新しいことに目がないがすぐに飽きてしまい長続きしない。 だから、生涯同じ会社で仕事をする方々を尊敬する。どんなに苦手な方でも長年日々同じことを繰り返している方には敵わない、と思う。 現職はパートだが、年の功や今までの経験からくる「使命感」もあってか、2年が経過した今もまだ続けている。続けていけそうな気もしているし資格を取りたいと試験も受けている。 だがその資格、現職に絡む春の法改正により、現状の経験年数では無意味な
コロナウイルスの『騒動』が始まってから四年も経った。 その間、私は普段とはあまり変わらぬ生活を送ってきたが、こどもの進学・一人暮らしに伴い我が家の家計は火の車となったため、コロナ前から仕事は探しており、縁あって今の職場でパートとして社会復帰を果たし、勤めてかれこれ2年が経過した。 仕事は楽しく職場環境にも恵まれ(それでも人間関係いろいろあり、最近オプチャで情報を仕入れるようになってから離職率が高いのだと感じ、割り切っている自分がいる)、パート仲間さんたちには本当に迷惑かけなが