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総量について

晴れ女で通ってきた。
天気に左右されるようなイベントは悉く晴れたし、天気予報もろくに見ずに傘を持たずに出かけても、タイミング良く止み間だったり、屋内にいて外に出る頃には晴れたり。
「傘なんていらないんじゃね笑?」と嘯いたこともあった。
しかし、そんな高慢さが天の怒り、いや傘の怒りを買ったのか、ここ数年は雨に遭うことが多い。それも、いざ出掛けようというタイミングで降り出すとか、自転車に乗っている時に降られてずぶ濡れになるとか。
人が生まれてから死ぬまでの事柄はすべてあらかじめ定まっている、という説がある。我々の一挙手一投足に至るまで、そうとは知らずに定められているのだと。
ひょっとしたら、人生において雨に降られる総量も決まっているのかもしれない。一生分の雨がどれほどのものかは知らないし、一生の長さも人それぞれだが、もしそうだとしたら、経験するであろう雨の総量を取り返すべく、今後わたしは雨に降られ続けるのか。いや、普通に天気予報見て備えろよ、という声が内外から聞こえてくるが。
あまりにもたくさん泣いたときなどは、「もう涙も枯れ果てた」と言ったりする。涙はいつか尽きる、涙には底がある、というわけだ。涙の総量である。年齢を重ねると、泣く機会も減ってくるのは当然なのだが、ぽろぽろと転がるようだった涙が、じわーっと肌に滲むようになったのに気づいて、少なからずショックを受けるなど。
昔、アルバイトで墓地の清掃をしたことがある。そのときはうんざりするほど蚊に刺され、驚くほどたくさんのなめくじを見た。蚊に刺される総量は相当に多いらしく、いまだに毎年刺されるが、なめくじに遭遇する総量は既に規定に達した模様である。
以上、そろそろ梅雨も明けそうな折に、ふと考えたこと。

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