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やむやまぬ

たいへんな世の中にどっぷり浸かって、自分もたいへんな気がしてしまっていた。
いやまあ、みんなそれぞれにたいへんなのは間違いない。
ただ、わたしは昔から「わたしなんてたまたま人の姿になっただけの塵芥」と自分を物理的に卑下する癖がなかなか抜けないので、結構な状況になるまで自分がたいへんだということを実感できない。
ほら、たまにネット上に流れてくる、一本の矢で倒れ込んでいる人を何本も矢が刺さった人が介抱している図、あれね。
そういうことで、しばらく何も書けない状態が続いていて、書こうという気も起らず、日々が過ぎていくのにまかせていた。
それは「たまたま人の姿になっただけの塵芥」としては正しい過ごし方だったのかもしれないけれど。
仕事に行き、家事をし、息子を眺め(←子育てというには育ち過ぎた)、観劇に出掛け、人と会って話し笑い、ひとりのときには涙したりしながら、頭の中ではたくさんの言葉が生まれては消えていった。
そうして一年が終わろうという今、消えていく言葉をまた留めておきたくなった。
わたしという塵芥が、いつかわたしではない塵芥になるときが来る。
わたしだった頃の言葉を、データの片隅に残して、それを見た通りすがりの誰かに何ひとつ残らなくても、ただただ、書く。
少なくとも、今は、書いておきたい塵芥なのです。

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