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寂しくて悲しい・その2

※愚痴です。グダグダです。が、誰も何も責めてはいません。が、ちゃんとしてる人は読まない方がいいかも。

言うまでもない昨今の状況である。
わたしは演劇が好きで、心身を削る日々の労働の対価として受け取る報酬の一部を月に数本の観劇に費やしている、そうして精神の栄養を得ている。
言うまでもない昨今の状況により、わたしの精神の栄養源である演劇の公演中止・延期が相次いでいる。
どうすることもできない。それぞれの団体が下した中止・延期の判断を、わたしは尊重こそすれ糾弾することなどできない。が、日々削られるわたしの精神はやせ細る一方だ。
では、他に代わりになる栄養源はないものか。ないのである。
いやいや、そんなこたぁないだろう、ひとつふたつはあるだろう、映画とか読書とか音楽とか酒とか恋愛とか占いとか角栓除去動画とか。そう思って、左記に挙げた諸々を一部を除き試してはみた。それぞれそれなりの良さはある。が、やはり演劇には及ばないのである。総合芸術と称される演劇は、観る側にとっても総合的全身的な体験なのだった。それ以外では満たされないなんて、なんと贅沢かつ超偏食なわたしの精神ちゃん。
だが、地球上の多くの生きものは、おのおの食べるものが決まっていて、実は相当な偏食なのである。草だけ、花の蜜だけ、プランクトンだけ、死肉だけ、などなど。例えが偏っていることはこの際措いといて。雑食の生きものたちも一定の範囲内で食べている。おのおのが食べられるものだけで生きているのだ。だから別に一日30品目!なんて、血眼になって食べなくたっていいんですよ。
現在、我々を脅かしているウイルスだって「生存」のために活動しているわけで、それだけなら同じ(⌒∇⌒)地球の(⌒∇⌒)仲間(⌒∇⌒)とさえ呼べる。しかし、事ここに至ってはマジ消えてほしい、いや言葉を間違えた、速やかに収束することを祈るばかりである。
さておき、演劇だって黙って指を咥えてはいない。上演中止・延期は関係者の皆さん方にとって死活問題である。この危機を打開すべく様々に動き始めている。それは事の性質上、動画配信などが主であり(他にもあるかもしれないが寡聞にして存じ上げない)、それ自体はとてもありがたいし、演劇の灯を絶やしてはならないし、すべてとは言わないまでも、これはというものがあれば可能な限り観ようと思う。
が、敢えて言おう。わたしにとって演劇とは、目の前で俳優が演じるそのことである。その日に劇場に足を運び、同じ空間にいる俳優たちを見ること、それ以上でもそれ以下でもない。それが叶わない今、わたしはアリのいない土地に巣を構えてしまったアリジゴクのように、ただひたすらに待ち続けるほかはない。
そして、タイトルに戻る。

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