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刻むということ

3年前の1月に、乳がんの手術をした。
一般健診のついでに受けたマンモグラフィーで、左右の乳房に石灰化が見られたため要精密検査となり、専門の病院を受診したところ、ごく初期の乳がんであることがわかった。
誤解がないように言っておくと、石灰化があるからといって必ずしもがん、というわけではない。わたしの場合は、左右ともに石灰化があったのだが、左側のみ「凝集性」?正確な用語は忘れたけれど、なんだか寄り集まってる感じよ、という状態で、それがちょっと気になると検査したらがんが見つかった、ということ。
初期の非浸潤がん。がん細胞が乳管内にとどまっている状態。広がり(浸潤)の程度によって、いわゆる「ステージ」が0→1→2…という風に上がっていく。わたしは0期だった。
で、CTだのMRIだのあの手この手で検査し検討した結果、乳房温存手術と放射線治療のセットで対処することになった。ただ、がんというのは実際に開いてみないとどこまで広がっているか正確にはわからないのだという。そりゃそうだ、相手は細胞だ。胞子が残っていた森の木の根を切ってみて「ああ、こんなところまで菌糸が…」と絶望する『風の谷のナウシカ』のシーンが頭をよぎった。
さらに、開いてみて想定よりもがん細胞が広がっていた場合は温存できないので乳房は切除、そして人工乳房再建手術になると。再び「燃やすしかないよ」と谷の者たちに伝える『ナウシカ』の大ババ様の声が耳に響いた。
がんの手術は外科、乳房の再建は形成外科、と担当が分かれる。なので、手術前に形成外科で再建のための計測をした。まず写真を撮った。もちろん顔じゃなくて、胸の写真。もとの胸の状態を記録しておき、より自然に近い再建をするため。次に計測…これさー、素人は医療用の特殊器具とか装置とか使うと思うじゃないですか。ところが、お若い女医さんがおもむろに取り出したのは、ごくフツーの透明なプラスチックの定規とごくフツーの油性のマッキー。ザッツ文房具。え?3Dなんちゃらみたいなハイテク機器じゃないの?小学生の筆箱にも入っていそうな定規で、おっぱいの高さとか乳首から下乳までの距離とかを測り、油性のマッキーで肌に印をつけられるのですよ。地球暦21世紀、そんな感じで計測は終了した。

手術当日。
手術は生まれて初めての体験だ。ドラマなどではストレッチャーに乗せられて家族に見送られたりしているが、わたしはがんだけど全然元気だし、付き添いもいなかったので、看護師さんと2人仲良く手術室まで普通に歩いて行った。手術室の前で、改めて氏名と生年月日と「今日手術するのはどちらのお胸ですか?」と確認される。左?でいいんだよな。
いよいよ手術台へ上がる。少し離れたところで、計測をしてくれた形成外科の先生が術衣を着て談笑しながら待機しているのが見えた。お世話にならずに済むといいな、と思いながら、全身麻酔は速攻で効いていった。
気づいた時には、病室へ向かうストレッチャーの上だった。先生が「わかるね?大丈夫ね?無事に終わりましたからね」と声をかけてくれて、ぼんやりしながらもはい、と返事をした。ストレッチャーから病室のベッドに移されて、しばし絶対安静。いろんな管や機器が体に繋がれているのを他人事のように眺めながら、終日うとうとしていた。

結果的に、わたしのがんは当初の想定通り乳管内におさまっていたらしく、患部を切り取った断端にもがん細胞は認められず、乳房切除には至らなかった。
入院生活は快適だった。たぶん人生の中で一番ゆっくり過ごしたのではないか。様々の管が順次抜けていき、食事も取れるようになり、手術した胸を岩のようにガッチリ固めていた包帯も外れ、シャワーも許可され、と順調に回復していった。ちなみに包帯を解いてくれた看護師さんが、わたし好みの眼鏡イケメンで、こんな素敵な人にこんな状況でこんな乳を晒す羽目になるとは、と運命を呪った。
包帯を外した直後は、傷以外はまったく元の胸と変わらないように見えた。日が経つにつれて、切ったり貼ったりした中の組織が変化しだしたのか、固く引き攣れたようになった。持ち主の性格に反して控えめな胸ではあったが、がんを抉り出してかたちもボリュームも変わった今となっては、計測の時に撮ったbefore写真をもらえるものならもらいたいと思う。かつて、宮沢りえちゃんが人気絶頂の若さでヌード写真集を出して賛否両論あったけれど、一番きれいなときの姿を残したいという、りえママの親心も働いたのかもしれないと、失ったものを惜しむ心は思う。

退院後は、通院での放射線治療が始まった。
患部だけに狙いすまして放射線を照射するために、肌にマーキングするのだが……そうです、ここでもマッキーなのです!最初のマーキングは、技師さん3人がかりで寄ってたかっておばはんの乳周りに線を引くという、何のプレイか儀式か罰ゲームかという怪しさであった。
放射線治療は5週間、土日を除く毎日というので、1ヶ月の通勤定期を買った。幸い職場と病院が比較的近かったので、朝病院へ寄ってから出勤していた。家から病院へは40~50分、照射自体は数分もかからなかった。油性のマッキーとは言え、強く洗わないように気をつけていても毎日入浴していれば少しずつ線が薄くなる、すると技師さんがまたマッキーでなぞるのだった。そうして千日回峰行を満行、いや、全治療日程を終了したわたしは、年に一度の経過観察を課される身となった。

毎年、手術をした1月末に検診に行く。
問診・触診、採血とマンモグラフィー、変わりなければまた来年、と1年後の予約を入れて帰る。執刀医の先生は、いつ行っても昨日会ったかのように接する人だ。初診のときも告知のときも手術後の回診のときも今も、まったく態度が変わらない。きっと誰に対してもそうなのだろう。人によっては、素っ気ないとか冷たいと感じるかもしれない。しかしそのクールな先生の手はとても温かく、触診も嫌な感じが一切しない。
わたしの身を開いた傷、肌に描かれたマッキーの線、細胞に照射された放射線、まだ今年の1月が終わる前の手帳に記される来年の1月の検診日。
病院の外来棟を出て、入院していた病棟を眺めながら帰る。去年も同じ。
3年前、わたしはあそこにいたのだ。

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