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思い出の整理

珍しく短期間で2つの投稿をしている。
「推しは推せる時に推せ」と言うように
「noteは書ける時に書け」というマインドで、終電で帰宅後に文章を考えている。

3月は西暦では全体の1/4がすぎる頃に過ぎないが、年度で区切ると最後の月である。

というわけで追いコンに卒業旅行にディズニーに大忙しだった(いちばん忙しかったのはバイト)。
その中でも昨日は所属する団体の追いコンがあり、後輩からは寄せ書きのようなものをいただいた。

寄せ書きと言えば去年までは自分たちが先輩へ書いていたのだが、去年は直接メッセージを書けない人に文だけLINEで送って貰って代筆することがとても骨の折れる作業だったことを思い出した。今年は各々が直筆で書いているので枚数は少ないかもしれないが、一人ひとり個性のある文字が、その人との思い出の数々を蘇らせてくれた。

自分で言うのもあれなのだが僕は比較的記憶力が良い方なので、こういった寄せ書きにはその人の性格的な魅力だったり自分に与えた影響などはもちろん、個別の思い出があればそういったものも書きたくなる。ただ案外個々の思い出を書いている人は少なく、思い出の解像度は人によってまちまちなのだなと感じた。
ただ「わたし」という人間に対する性格や雰囲気は総じて的を射るもので、数々の思い出や共に過ごした時間からしっかりと相手に自分がどんな人間だったのかは伝わっているようだった。

物事の始まりや終わりの節目で人前で話す機会がある時は大抵事前にこんなことを話そうとバイトの帰り道にブツブツひとりで考えてリハーサルを重ねている僕が、今回の追いコンで話を振られた時に話す内容が全く考えられなかった。幸いにもそういった話を振られることがなかったので良かったが、考えることが出来なかったのはおそらくこの組織からいなくなる事が想像できなかったからだと思う。
僕にとって大学4年間のうち、これほどまで思い出が沢山ある活動は無い。とても1.2分で話せるようにまとめることなんて出来ないし、思い出として振り返るとなんだか寂しくなる。まとめられないほどの思い出が出来たことが心の底から嬉しいが、これで終わりではなくできることならこれからもみんなと思い出を作りたい。

自分を見失いそうな時、社会からの孤独を感じそうな時、色々な人の思い出を収納してくれている寄せ書きを読み返してみようと思う。


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