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アメリカ移住のきっかけと引っ越し・What made me leave Japan

こんばんは。早速初投稿を読んでくださり、リアクションくださった方、ありがとうございます!1人でも、誰かに私の文章を読んでもらえていたら嬉しいです。

今日はタイトルにある通りアメリカ移住のきっかけ、引っ越しに至るまでの過程と私の想いを書いていきます。カバー写真が実際の2017年7月の渡米日(当時18歳)家族に見送られた伊丹空港での写真です。スーツケース大1、小1、はち切れそうなリュック、貴重品を詰め込んだ手さげバックと、いろんな気持ちと一緒に日本を飛び立ったことは今でもかなり鮮明に覚えています。

まずはじめに、なんで帰国子女でもなく、インターナショナルスクールに通ったこともない私がごく普通の公立高校を卒業した後アメリカに行こうと思い切ったのか、、、大きなきっかけがいくつかあるので一つずつ、書き出してみました。

高校2年で、アメリカ・ミシガン州に短期留学

高2の夏に、”滋賀県高校生海外相互派遣事業”という簡単に言えば、ホームステイをしながら現地の高校に通い、異文化に触れよう!という留学に参加しました。県内たくさんの高校から応募があり、筆記審査と英語面接を通った生徒全員で15人と引率の先生2人でアメリカに行きました。滞在期間は3週間弱と短めですが、マッチしたホストファミリーの家に滞在し、2歳年下のホストブラザーの通っていた高校に一緒に通いました。アメリカのほとんどの高校は年度始まりが9月、そして生徒のみんなは各々のスケジュール(日本でいう時間割)に沿って授業を受けます。日本では当たり前の”○年○組”というホームルームシステムがないので、私はただただホストブラザーについてまわる、はっきり見えてるけど英語も話せない違和感たっぷりの守護霊的な感じで毎日を過ごしました(笑)そんな高校での時間は、目に入るほぼ全てのことが新しくて、ワケ分からずで、終始圧倒されまくりで終了。その中でもびっくりレベルが高かったことは

  • 服装も、髪色も、髪型も、人種も、聞こえる言語のバラバラさ

  • 先生と生徒の上下関係・授業のありかたの違い

  • 授業中、ジップロックに入ってる生のパプリカを素手で食べる女子生徒(いずれ自分もアメリカの大学で全く同じことをするとは、この頃はまだ知らず)

  • スクールランチの全然美味しくなさそうな見た目

  • 全員私服でのゆるゆる体育授業 など

あげはじめたらキリが無いですが、日本の高校しか知らない私にとったら、”え?”て思うことだらけでした。でもその”え?”が困惑とか嫌悪っていうマイナスなものじゃなく、興味とか疑問とかワクワクするものなことにすぐ気づきました。今までの自分の当たり前が目の前で次々とぶっ壊されていくことに素直に”おもしろい!”と感じました。日本の高校を特別休校扱いで欠席し、3週間も授業に出れないのでみんなに勉強置いてかれてしまう、、っていう心配が一瞬でどうでも良くなったと同時に、日本の高校で今頃制服着て、椅子に座って、静かな教室で受ける授業から学んでいたであろうことよりも、もっともっと、人間として大切なことを感じてるし、学んでる!と確信しました。自分の知らない世界の広さと深さと未知さにもっていかれそうになった感覚を覚えています。(書きながら、久しぶりに思い出しました)この経験が、帰国後も継続して自分の進路について考えるきっかになりました。

ホストファミリーと
ステイ先の高校でのお昼休憩


高校3年で感じた、大学受験に対する違和感

3週間の滞在を終えて、”アメリカで面白い経験をした”ということに対する嬉しさをずっとどこかで持ちつつも、県立高校普通科の生徒の生活にスッと戻りました。テスト期間になったら数学では赤点を取らないように、英語ではクラストップ3には入れるようにそれなりに勉強したり、テストの後はみんなでプリクラ撮りに行ったり、中華料理屋にバイトに行ったり、と毎日を過ごしていました。

高3になり、周りで”オープンキャンパス”、”予備校”、”過去問”、”指定校推薦”、”模試”などの受験に関するワードを頻繁に聞くようになり、部活引退した人から順に受験勉強にフォーカス!みたいな雰囲気がなぜか、すごく嫌だと感じました。別にどの大学にもビビッときていた訳でもなく、敷かれたレールを走ってください〜と言われている感じが嫌でした。周りのみんなも受験することを嬉しそうでも楽しみに思ってそうでもなくて、義務感と緊張感に追われているザ・受験生って感じの学校生活が正直あんまり好きじゃなかったです。

ただ、そんなことを思いながらも何もしないのも違うか、、と受験することを考えながらオープンキャンパスにも行きました。そんな間もずっとブレずに自分の中で思っていたのが”英語を自分の思うように話せて、使えるようになりたい!”ということでした。英語には中学の頃からずっと、留学後はそれ以上に惹かれる何かがあったので、英語と国語(その2教科以外は全般苦手だったので)だけで受験できる学部や、既に留学がカリキュラムに組み込まれている大学だけに候補を絞り出願を進めていきました。

そうして周りに流されながらも、もっと長期間現地にいれば英語が伸びるだけでなくて知らないことをたくさん知れるんじゃないかというアメリカで感じたあのワクワク感を捨てきれず、日本で大学進学をする代わりにもう一度アメリカに戻れないか、と留学経験談を読んだりネットで方法を検索をしたりもしていました。高2の時お世話になったホストファミリーにも連絡を取り、”進路に悩んでいて、可能ならまたアメリカに戻りたいと思っている”ということを伝えました。

そしたら!

”うちに近くにすごく良いコミュニティーカレッジ(公立の2年制大学)があるから私達の家に住んで、そこ通ってみたら?英語が第一言語じゃない生徒向けのクラスもあるし、通学も自転車で10分ぐらい!”

と言われました。そんなことを言われた私はすぐにその選択肢に心惹かれ、教えてもらった学校の名前を家のパソコンで調べ、つたない英語でInternational Student Office宛にメールを書き、出願や入学に関する質問をしました。その日から、日本の大学へのAO受験勉強と、アメリカミシガン州にあるコミュニティーカレッジへの出願手続きや、出願に必要なTOEFLの勉強を同時並行で進めていきました。それが高3の夏前でした。

背中を押してくれたり、サポートしてくれた人達

上で書いた、自分の挑戦したい!という想いも、アメリカ生活のサポートをしてくれる人との繋がりももちろんすごく大切ですが、日本で大学生にならなくて大丈夫か?コミュニティーカレッジに2年行った後はどうしようか?行って帰りたくなったらどうしよう?と悩んでもいた私に”思い切ってやってみるか〜!”と思わせてくれた中学時代からの大親友、海外の大学に入学する上で必要な書類の提出を手伝うよ!と言ってくれた経験と知識豊富な知人、そのホストファミリーの家に住むならいいんじゃない、と言ってくれた両親など、色んな角度から背中を押してくれた人がいたことも決断に至る大きなきっかけでした。

4年制大学合格を蹴り、バイトを3つ掛け持ちし貯金、フリーター期間を経て、渡米!

その後、担任(英語科担当)に”2年だけアメリカに行っても意味がない。”と頭ごなしに反対され、受験することをゴリ推しされながら受験した近畿大学国際学部グローバル選考をAO入試で合格しました。でもどこかでずっと、みんなと違うことがしたい!と思っていました。コミュニティーカレッジ出願に必要だったTOEFLのスコアも取得、書類も全て提出し、無事に入学が許可されました。数週間後に大学から入学金振り込みの締め切り案内が届いた時点でまだ若干悩んでいましたが、何より英語を話せるようになりたかったので、片道1時間半かけて学校に通い、日本人と英語を日本で勉強するぐらいならば(留学もカリキュラムに組み込まれていましたが)とりあえず自分をアメリカに放り出してみた方が早くないか?今周りに流されて大学進学したら、また3回生で就活が始まる頃に周りに流されるんじゃないか?と思い、ここで社会に敷かれたレールから外れなあかん!と決断しました。それが高3の夏でした。

夏休みが明けて学校生活再開すると、高校のみんなはすっかり受験モードでした。予備校に通ってる友達もたくさんいましたし、学校でも受験対策の授業や、全国模試などを受ける機会がどんどんと増えていきました。周りでもAO入試で合格した友達や、専門学校への進学が決まった同級生がポツポツ出てきた中、私は進路どうするん?と聞かれたら、自分でも何も予期できてないままとりあえず”アメリカ行く〜”と答えていました。その後はどうするん?というパターン化した質問にも”行ってみてから考える(笑)”と答えてました。

その後の高校生活は、受験という堅苦しい縛りだと思っていたものから解放され、元々やっていた中華料理屋でのバイトに加えて、ホテルでの朝食提供のバイトを始めました。卒業が近づいた頃には、教習所にも通い始めました。4月、同級生のみんながスーツで大学の入学式に出ているのをインスタで見たりしながらも、6月末までバイト生活を続け、数十万円貯金をし、実家の部屋の大掃除と荷物の整理を済ませ、たくさんの人に見送られ、7月上旬に日本を飛び立ちました。

最後まで読んでもらってありがとうございます!

次のnoteでは、
[実は長くて深いホストファミリーとの歴史]
[渡米〜学校スタートまでの1ヶ月半]
について書いていきます!


Hello again, thank you for those who read my first post!
I decided to write the first post in both Japanese and English, but I didn't do it this time, but please leave me a comment and let me know If you want me to write in English too :) 

英語と日本語で同じニュアンスで表現・執筆するのが思いのほかむずかしく、時間がかかるので今回は諦めてしまい、今回は日本語だけですが、もし前回のように英語でも書いて欲しいという要望があれば検討いたします!


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