さわらぎ寛子/コピーライター・著者
「自分が学んだことを、困っている人のために役立てたい」の怖い話
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「自分が学んだことを、困っている人のために役立てたい」の怖い話

さわらぎ寛子/コピーライター・著者


父がまだ生きていた頃。
親戚が集まる場で、
そんなに親しくない親戚の人に、
「お父さんとちゃんと話した方がいい」と言って、
何の脈絡もなく、父と向かい合わせに座らされたことがあった。

そこで、統合失調症の人にはこういう話し方がいいから、みたいなアドバイスをされたような気がする(怖すぎて、記憶があいまい。たしか声も出なかった)

そういう精神的な病気の人のサポートか、なにかのボランティアみたいなのを始めたとか何とか言っていた気がする。

その時、今まで生きてきた中でおそらく一番、怖かった。(小学校の時に、暴れている父を見た時よりも怖かった)


「正義感」がうむ恐ろしさ



「自分の学んだことを、困っている人のために役立てたい」という正義感って、
これほどにまで人を傷つけるのかと思ったのだ。


たしかにそれは、正しいことだろう、間違ってはいないだろう。
精神病だった父親と、10年以上まともに話すこともなくなっていた20代の娘。

親戚として心配だったのか、そんな人が親せきにいるのがカッコ悪くて嫌だったのか、何なのか知らないけど、
こちらが求めていないときにブッ込まれてくる「正しいことのフリをして、人をズタズタに傷つける方法」を、その時親戚のおばちゃんから教わった気がした。

「自分の学んだことを、困っている人のために役立てたい」は、取扱注意だと思う。
「余計なお世話」ではすまされないこともある。


相手がそれを望んでいるのか?確認する大切さ


正義感を振りかざしてくる前に、一言確認してほしかった。

「こういうことを学んできたので、あなたにこういうことができるんだけれど、今、必要?」と。

そこで「今はいらない」と言ったなら、じゃあタイミングを見てまた今度、となったかもしれない。
断っているのに、踏み込んでくるような人からは全力で逃げるしかない)


よっぽどの緊急事態(事件や事故、急を要する非常事態、通報が必要なことなど)以外は、本人の意思を確認する必要があるんじゃないかなと私は思う。


何かを学んだり、習得したりしたときに、周りの人が「わかっていない奴」に見えてしまうって、怖いなと思う


その親戚のおばちゃんが、どういう気持ちだったかはわからないけれど。

私が「かわいそう」に見えたから、なんとかしてあげたかったのか。
自分が身につけたテクニックを、身近な人に試してみたかったのか。
自分の成功体験のために、私がちょうど良いサンプルに見えたのか。

自分は「いろんなことがわかっていて」、私たち家族は「わかっていない奴ら」に見えたのか。


何かを学んだり、新しい考え方を手に入れたり、自分の視野が広がったように感じた時に
それまでいた世界が、急に色褪せて見えたり、
自分は「わかっている人」で、周りにいるこの人たちは「わかっていない人」みたいに思えてくるのって、怖いなと思う。

そんなふうに感じてしまう自分が、一番何もわかっていない。


この日のことは、時々思い出して、無意識に人に刃物を振りかざしていないか、自分を点検している。


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さわらぎ寛子/コピーライター・著者
『キャッチコピーの教科書』6刷、『発信力を強化する「書く」「話す」サイクル』3刷等、4冊の著者。 「言葉で仕事をつくる」をテーマに、講座やセミナー、企業研修をしています。 HP:https://www.kotoba-works.com