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「〜された」「〜してくれない」をやめてみた。
「あの人に〜された」
「夫がわかってくれない」
「子供が〜してくれない」
「母に嫌なことばかり言われる」
「上司が嫌味なことばかり言ってくる」
「お客様が買ってくれない」
よく聞くお悩みです。
「された」
「〜してくれない」
ぜんぶ、受け身の発想。
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![](https://assets.st-note.com/img/1683503456121-2zDkuji5Sz.jpg?width=800)
「される側」に自分を置くのはラクだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1683503474128-RAHul4J6Qq.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1683503474092-lPyHUr2FTM.jpg?width=800)
される側でいるのは、ラクだ。
自分が動かなくていい。
自分で考えなくていい。
受け身でいることで、
私たちは知らず知らずのうちに
自分を防衛している。
これ以上傷つかなくていいように。
これ以上がんばらなくてもいいように。
でも、
自分の感情も
行動も、
決めているのは「自分」。
「受け身」
「される側」でいることを、
自分で選んでいる。
「自分の人生は、自分には何も変えることができない?」
![](https://assets.st-note.com/img/1683503489228-1otOTBdxKn.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1683503489274-xb55MuVfw3.jpg?width=800)
受け身な存在でいることに、
なれてしまうと、
自分の人生を
自分でコントロールできる
自分の人生は
自分の意思で変えていける
と信じる力が弱まってしまう。
(だから
無気力になったり、
自分を信じられなくなってしまう)
知らず知らずのうちに、
「自分は、
誰か(や何か)に
従属して
他者にコントロール
される側だ」
と思い込んでしまう。
人生の決定権を、自分に取り戻そう(もちろん、うまくいかないこともあるけれど)
![](https://assets.st-note.com/img/1683503509003-tuPEauXxX1.jpg?width=800)
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![](https://assets.st-note.com/img/1683503537053-5PTSlolltn.jpg?width=800)
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人生の決定権を
自分に取り戻そう
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もちろん、
うまくいかないことはある。
自分の力だけでは
どうしようもないことも
あるけれど、
「〜された」
「〜してくれない」
と受動態の気持ちが発動した時は、
自分は
「(今まで)何をしてきた?」
「(今)何をしている?」
「(これから)何をしたい?」
と問いかけよう。
すぐに答えが出ないなら、
「受け身体制」に
慣れすぎている
のかもしれない。
何度も問いかけよう。
自分を主語にして
能動体で生きよう。
自分を主語にして
生きていいんだと
自分に言い聞かせてみよう。
![](https://assets.st-note.com/img/1683503563454-DEpo9LvS4n.jpg?width=800)
人生は、ぜんぶ、自分がコントロールできる、わけでもない。
一方で、
忘れてはいけないのは、
「頑張れば、思い通りになる」なんて
思わないことだろう。
自分に対して思うのはいいとしても、
それを他者に当てはめない。
当たり前だけど、
人にはそれぞれの状況がある。
私が頑張ったらからうまくいった
イコール
お前も頑張れよ
ではない。
「一生懸命やれば
誰でも成功できる」
なんていう言葉が
他者への暴力にもなる
という意識は常に持っていたい。
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