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ミライの田んぼの作り方(わたしの場合)学問とは?


この頃のこと↓

会社を辞める時、わたしにははっきりとした展望はなくて、自分が何をしたいのか、わからなかった。

ただひとつ、言えることは、わたしは違和感を感じていた。考える時間が足りないと感じていた。

(※上の記事より抜粋)当時思っていたのは「私らしく生きる為に、一度立ち止まって考える時間が欲しい」だった。自分らしい生き方がしたい。だけど自分らしさが分からない!のエンドレスループ。このまま違和感を感じたまま仕事をして今の生活を続けていてもわからないままだ。とにかく、自分と向き合いたい、考える時間が足りない。


少し前に、何故か突然、「学問って?」って頭に浮かんで…

(※上の記事より抜粋)……目の前のことをただ、理解したい、知りたい、というだけだった。生活のため(お金のため)などと思ってたけど、それは建前だった。今思えば。わたしの内なる探究心に、ただただ、スイッチが入ったのだ。


気づきが、突然やってきた。

そうかぁ…

あのときのわたしは、探求する時間が欲しかったのか。


そのあと、福沢諭吉の「学問のすすめ」をふと読んでみたくなり、

冒頭に、普段から思っていたことと繋がる文章を見つけた。

一生懸命にやるべきは、普通の生活に役立つ実学である。(中略) それぞれの学問では事実を押さえて、物事の性質を客観的に見極め、物事の道理をつかまえて、いま現在必要な目的を達成するべきである。 こういった学問は、人間にとって当たり前の実学であり、身分の上下なく、みなが身につけるべきものである。この心得があった上で、士農工商それぞれの自分の責務を尽くしていくというのが大事だ。そのようにしてこそ、それぞれの家業を営んで、個人的に独立し、家も独立し、国家も独立することができるだろう。 (福沢諭吉著、齋藤孝訳「現代語版 学問のすすめ」より)



わたしが、いま思う学問とは、


自分の日常生活に役に立つ実用性のある学問を

熱心に勉強し、役割を果たす。

自分の中から湧き上がる、探究心をもとに

それぞれがそれぞれに、自由に、安心して没頭して良い。

だって、そうすることで、全体の拡大・進化になり、人類のしあわせにつながるのだから。


それが、あの時のわたしが求めていたことだった。



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