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高峰秀子のスタイル
強くて優しくてシンプルな女性
「考えても仕方のないことは考えない。自分の中で握りつぶす。」
「人はその時々の身の丈にあった生活がいちばん。」
「これはあんたのために作ったんじゃないよ。とうちゃんのために作ったのよ」
「好きも嫌いも仕事と割り切って、演る以上はプロに徹しよう。持てない興味もつとめて持とう。人間嫌いを返上して、もっと人間を知ろう。」
ただ毎日を地道に、自分を見失わずに生きた女優
運命に導かれるまま5歳で子役デビューをして55歳で引退をするまで、数々の映画賞を総なめにし、その後はエッセイストとして活躍した昭和映画界を代表する大女優、高峰秀子。
12歳の頃から親戚たちへ経済的援助をし養母との関係にも苦しみ続けた私生活。30歳で最愛の夫、松山善三と結婚。
高峰は女優としての大成功にも決して驕ることはなく、日々の暮らしぶりは驚くほど質素で、悟ったかのように淡々と生きていた。
年齢を重ねても、見苦しさの三種の神器(愚痴・説教・昔話)を振り回すことは決してなく客観的に自分の人生と愛する夫を見続けた。
高峰秀子は、どのように困難を乗り越え自分らしさを貫いてきたのか。
強さと優しさに溢れている高峰秀子の生き方は、気を抜けば我を見失いそうになる私たちに、自分らしく生きるヒントを教えてくれる。
Work 高峰秀子の仕事
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自分を第三者の目で見る
「どんな時でも、自分を第三者の目で、つき放して見ること。
これが長い私の映画生活から得た第一の教訓であり、俳優という仕事の思わぬ助けともなったわけである。」
頭ではわかっていても思い入れが強いときは、つい自分目線でしか考えられなくなります。被害妄想や思い込みや期待が激しくなってしまう。これは仕事でも私生活でも同様。
この第三者の目は、日々意識していないとなかなかできないものだ。他人からの評価=自分の評価というクセがついてしまっているのだから。
このクセをやめるには、自分の言動や行動が、周囲にどのような影響を与えているのかをフラットな心持ちで振り返ってみる必要がある。
じつは人間の言動はどんな場面でも一貫している訳ではなく、家族目線、恋人目線、夫婦目線、上司目線と関係性によって評価や印象は変動する。
これは社会生活ではごく自然なことだが、無意識に判断しているので気がつくのが難しい。
女優という他人を演じる仕事だからこそ、第三者の目の視点を大切にしていた高峰だが、次で語っていることは、私たちが仕事で第三者の目を持ちやすくなるためのヒントにつながる。
「役者はね、仕事のときに馴れ合っちゃいけないんですよ。『浮雲』なら森雅之と思ってはいけない。あくまでも、役は富岡。だから森雅之個人と話をするとこんがらがってきます。セリフ以外のことは話さない。だからあたし、森さんところに子どもがいるのか、夫婦二人でいるのか全然知らなかった。」
当事者と第三者には”距離”があります。ならば物理的に距離をとってしまうのが、自分を第三者として見やすくする方法です。
職場の人間関係に悩んでいる人にもぜひこの言葉を贈りたい。
仕事は遊びではないことは百も承知。だが人間は自分の居心地の良い環境で働きたいと思うもの。
ただ、仕事を共にする人とは、ある程度距離をとった方が仕事の質上がることも多いはず。。
驕らない
「俳優はあくまで素材にしかすぎません。」
「今日は自分がお山の大将でも、あすはもっと上手いヤツが出てきて蹴おとされるかもしれない。演技賞なんかもらってウキウキして一杯飲んで、いい気持ちになってなんかいられない。長い間そういう仕事をしていると、なんだか無常を感じちゃって、世の中はかなくなりますね。」
大女優と言われ続けても、決して自分を驕ることはなかった。それどころか、受賞するたびに身を引き締めるよう努めていた。
成功や栄誉は周囲のサポートがあってこそ。
成功したとき、結果がでたときこそ、この言葉を思い出していきたい。
責任を明確にする
この世の中が住みよくなるためには、一人々々が責任を明確にとる、という態度が根幹だと思うの。そこからいい世の中が生まれてくる。
高峰の著書やインタビューでは、”責任”という言葉が頻繁に出てくる。幼い頃から大人のなかで働き、無意識に”責任”を自分に刻み込んできたからでしょうか。
多忙のあまり学校にも通えず子どももいなかった高峰は、(晩年に文筆家の齋藤明美を養女に迎えている)自分の仕事を通してどんな未来を作っていけるのかを、問い続けていたのかもしれない。
例えば娘を連れてお母さんが映画館へ来て、お母さんの顔が赤くなっちゃうような映画だけは絶対出まいと。で、ドンパチも出まいと。そういうことを自分で決めてたんです。それが結果として、なんか、さっぱりした人生になっちゃった。
Beauty&Fashion 高峰秀子の美とファッション
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自分に似合うものを知る
自分をよく識っての上ならばどんな風にしてもよい、その人の自由だ
流行は参考程度に、自分に合う、自分に似合うと信じたものには頑固というのが高峰秀子のスタイルだった。
例えば、背丈が小さいのでコートやスカートは自分が美しく見える丈を把握しておき、その丈選ぶこと。
気に入ったものは何枚でも買い、色違いでも揃えるのは当たり前。
バッグは大きすぎず小さすぎない、シンプルで使い勝手が良いことが条件。
きちんとする
私が人前にで出るのが苦手だ。そういう気持ちが、私の服を地味なものにしているのかもしれない。
「どうかしちゃったのかと思うほどいつも掃除をしている」と夫の松山が明かすほどのキレイ好きだった高峰は、身に着けるものはいつも清潔に保たれていた。
自分が目立つかどうかなんて下品なことは考えない。人に与える印象を考える。
様々な高峰の書籍で語られているが「亀の子ダワシ一つ、私の気に入らないものは、この家には何もありません。」と言い切るほどこだわりは強かったようだが、他人が引いてしまうようなこだわりではなく、上品でエレガントなこだわりだった。
飛び出さない
主役であろうとあくまで配役の一人です。主役だからと言って自分だけ前に出たり、目立つ演技をしたら作品が壊れてしまう。画面から飛び出さず、作品全体と調和するように、私は心がけてきました。
上質でシンプルなものを好んだ、なんとも高峰らしい言葉。人を驚かせる服装は好まない、自然体でエレガントな装いが高峰秀子流のおしゃれなのです。シンプルな装いにはその人の品性が滲み出ます。
ミニスカートに穴の空いたジーンズ、原色の偽物の石が縫い付けられたバッグ…エレガントとはほど遠い過去の自分のワードローブを振り返っては反省したい気持ちになる。
(先ほど写真を掲載した「女が階段を上る時。」でスナックのママ役を演じているが、衣装の着物は全て自前。上品で高峰らしい着物だがママ役にしてはすこし落ち着いているようにも感じる。これが高峰のスタイルだった。)
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Love 高峰秀子の恋愛
親しき仲ほど礼儀正あり
親しければ親しいほど、礼儀正しく、迷惑をかけぬよう、お互いに気を使ってつきあうべきだと思う。「親しい」ということは、それ自体が貴重な大切なことなのだから。
なぜ私たちは親しい人、身近な人への配慮を忘れがちになってしまうのだろう。親しい人を大切にしてこそ人生は幸福になるのだが、自分に余裕がなくなると、なぜかこの最重要タスクを後回しにしてしまう。
相手への甘えが原因だが、この状態が長くなるとパートナーの孤独やプレッシャーを感じ取るセンサーが鈍ってしまい、さらに我が我がとなってしまう。一緒にいること、隣にいることは貴重で当たり前ではない、と言い聞かせていきたいものだ。
お互い我慢していることを理解する
夫婦はお互いにがまんしているから――私のうちでは、どっちかといえば、私のほうががまんするでしょうね。それを向こうも充分承知しています。
がまんしているのを知っていてくれるってことは、こちらにとって一種の安らぎですよね。でもがまんして、自分がなくなってしまってはゆきすぎですね。
多忙であれば、相手の時間を奪ってはいけないと意識すべきだが、意識しすぎて我慢が過ぎるのもよくない。
夫婦でも恋人でも、他人同士が長い時間を共に過ごすということは、100%心地いい環境なはずがない。
お互いは何かしらの我慢をして、一緒にいる努力をしているもの。
そう思うと、今までは気が付かなかった相手の優しさが見えてくるかもしれない。
父ちゃんのために作ったんだよ
ちょっとした心遣い、つまり相手に対する愛情の有無が、味のよしあしを決めるのだ
高峰が脚本家の松山善三と結婚をしたとき、松山はまだ助監督で売れない脚本家だった。これ以上ない格差婚だったが、多忙の合間を縫って台所に立ち偏食の松山のために腕を振るった。ご飯の炊き方もしらなかった高峰の料理の腕はみるみる上達し、レストランに引けを取らないほどだったという。
娘に対しても、「この料理は父ちゃんのために作ったんだよ、あんたのためじゃないよ」と言ったという。
松山への愛情の深さが感じられるエピソードだ。
もし自分に子どもができたら、これは父ちゃんのために作ったんだよと言えるだろうか?
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Life 高峰秀子の人生
さっぱりと生きる
例えば娘を連れてお母さんが映画館へ来て、お母さんの顔が赤くなっちゃうような映画だけは絶対出まいと。で、ドンパチも出まいと。そういうことを自分で決めてたんです。それが結果として、なんか、さっぱりした人生になっちゃった。
幼い頃から働きづめで親戚たちの生活を支え、稼いだお金は育て親の養母に使い込まれ、長編映画が撮れるくらい波瀾万丈な人生の高峰が、自らの人生を「さっぱり」と表現するのは清々しい。それには松山との温かい夫婦の時間があったからだろうか。
高年齢の人々を包む社会がもっとやさしく親切ならば、私も、長生きしたいけれど、単に施設が増えるだけならば、私は、いいかげんのところで切りあげて、この世におさらばしたいと思う。
キレイ好きで片付けも完璧だった高峰は、支度や準備の類が大得意だった。高峰と松山の共作『旅は道づれツタンカーメン』『旅は道づれガンダーラ』では、旅行でどれだけ準備万端だったがわかる。養女の斎藤明美は、母ちゃんの準備はアチラへ旅立つ前も完璧で、箪笥の引き出しには中身がわかるよう丁寧にシールが貼ってある。そのおかげで父ちゃんの着替えの世話がスムーズにできている、と語っている。
夫・松山善三
高峰秀子の書籍やインタビューを読めば読むほど、夫の松山善三への愛情が伝わってくる。高峰の人生は、松山と一緒になったからこそ成功したのだろう。
人生の成功とは、社会的成功ではない。
幸せであることが人生の成功なのだから、高峰秀子は間違いなく成功者だ。成功って何?幸せって何?と迷いそういなったら、高峰秀子の作品や書籍に触れてみてほしい。
最後に、高峰が「私の生いたち」という講演で語っていた言葉を残しておきたい。
皆さん、人間は死ぬまでは死なないんです。
死ぬまでは死なないんですから、どうせ生きているんでしたら、
居直っちまって一生懸命生きなければ損だなあと、
私は思います。
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