COVID-19 問題で見えてきた「日本問題」-デジタル文春4月12日舛添氏+2019年11月19日官邸の内幕記事の読後エッセイ
黒田洋一 2020年5月16日(土) hirokok510@outlook.jp
今回の新型コロナ感染症(COVID-19) 問題は様々な形で現代日本および人類史が直面する危機を浮かび上がらせた。
ウイルスとは、「動的平衡論」の福岡伸一氏によれば、高等生物出現後、その遺伝子の一部が「家出」して生物間を行き来して「感染」しながら生物の遺伝子進化を促進する役割を果たす相互利用の関係だった、という。また石弘之氏の「感染症の世界史」よれば、日本列島における感染症の最古の証拠は、西アフリカの霊長類起源の「成人T細胞白血病」ウイルスが出アフリカ以降、人類の移動により列島では旧石器末から縄文移行期に上陸し、また結核に関しては縄文人骨では見られない「カリエス」痕跡が弥生時代の青谷上寺地遺跡出土人骨から発見され、この時代に大陸からもたらされたことが分かった。ウイルス感染症は人類の移動とともにあることは中世のペストの起源が中国南部の可能性があり、シルクロードなどを経由して欧州に広がったといわれる。今回のCOVID-19 も中国起源とすれば、一帯一路政策が感染拡大を促進したといえよう。
ところで、これまで感染症問題は米国CDC(疾病対策センター)が世界をリードしてきたが、トランプ政権以降、CDCの予算が大幅にカットされ、エボラ出血熱などの場合、米国のCDC関連専門家が調査や支援活動でリードしたような状況はなくなってしまった。かわりにその穴埋めをしているのが中国CDCであるのは皮肉だ。
一方日本でも規制緩和・行政改革により保健所や医療関係の予算が削られ、保健所は数も人員も足りない状況にコロナが直撃、人員不足の中でPCR検査や疫学調査その他重要な作業が集中し、厳しい状況に追い込まれた。5月15日の「深層ニュース」で奈良県などの保健所の責任者らが遠隔出演したが、所管の厚労省や政府を批判することもできず、主張すべきことも言えない気の毒な状況だった。
また今回の問題で日本の首相官邸や議会、官僚機構などにかかわる問題も浮かび上がった。日本にはCDCのような一定の独立性のある専門家集団がなく、能力のある専門家は存在しても、政府から独立してモノが言える状況にはない。安倍首相が官邸の権力強化を図るいわゆる「官邸主導」政治を標榜するが、その内実の浅はかさが今回のCOVID-19 で浮かび上がった。経産省出身者中心に固める補佐官らの入れ知恵の限界が露呈、肝心の感染症対策の根幹は結局厚労省丸投げ、SARS,MARSの洗礼を免れたための油断で感染症対策を怠ったばかりか、厚労省内部の問題や行革で削られた保健所や医療体制により、感染症に弱い国になっていた。これは日本だけでなく、米国もイタリアも含め多くの国で同様の行革による体制不備がたたり、欧米では被害が拡大した。COVID-19 の本質を見誤り、安易に感染症法に組み込んだがゆえに、保健所などに過重な負担がのしかかり、身動きが取れなくなった。PCR検査も早い段階から文科省管轄の大学研究機関やその他の省庁管轄の研究機関も動員できるよう動けば、もう少し早くい体制を組み替えられた可能性があるが、厚労省のメンツが許さない。韓国から協力申し出もはねつける。補正予算のドタバタ劇を見ても、官邸が予算編成の主導権を持ち得ていなかったのは、各省庁の分捕り合戦の末のわけのわからない予算編成になったのを見ても明らか、今何が必要で、どの壁を取っ払うべきかという判断ができなかったし、省庁の壁を乗り越える予算編成や法的能力はなかった。また現代日本の高等教育予算が先進国最低水準であることからも分かるように、官邸の科学音痴が目立つ。一方20世紀までは何とか国を支えてきた官僚システムの錆付きは明らかで、デジタル音痴はその最たるもの、テレワークも学校の沿革授業もデジタル化の遅れが目立つ。最たるものは役所の書類文化でデジタル化を阻んできたことが、経済対策にも保健医療にも重くのしかかった。
一方、マスコミの調査能力のなさも顕在化、いわゆる調査報道(investigative reporting)
の不在は記者クラブ制度と相まって、政府、官庁発表情報を垂れ流すだけで、例えばPCR検査体制のどこに問題のネックがあるのか、2~3か月前にチェックできていれば、ここまで迷走する前に対策を練られたはず。COVID-19問題の方程式を解くには、科学(医学、免疫学など)、経済、政治、官僚制度、法制度、関係自治体や関連連機関、大学その他の研究機関などの情報を総合的に整理し、多次元方程式を解く能力と決断が試されるが、日本ではそうした学際的能力を持つ人材や組織にかけていた。議会の機能不全も明らかで、問題は明治時代の帝国議会成立時にさかのぼる。官僚制度の前に骨抜きにされた歴史を戦後になっても回復できず、官邸主導も力不足が明瞭になった。
また高等教育軽視、科学軽視の政治の風潮は官僚制度にもおよび、行革による予算カットとともに、例えば海外先進国で見られるような経験を積んだトップの科学者が保険医療行政を指導するなどような体制を組めず、霞が関の蛸壺的出世競争の中で世界から取り残される状況を生んでいる。
またこれだけ始動が遅れ、体制不備の中で死亡者数が欧米に比べ少ないことがあたかも安部体制の成果のように言われるのは全く間違いで、当初の厚労省クラスター対策班の押谷氏らの努力と列島という環境、土足で室内に上がらない畳文化の歴史、入浴習慣、学校教育などによる手洗い、マスク着用などの感染症基本対策の歴史的浸透など目に見えない偶然条件の重なりが死亡者の一定の抑え込みに成功した背景と思われるが、SARS,MARSも列島で波及しなかった原因などを含め、何が理由なのかの科学的検証はできていない。
良くも悪くも、今回、COVID-19により、日本を含め世界的な政治経済社会の問題点が浮かび上がった。地球上において我が物顔でふるまう人類が肉眼はおろか、光学顕微鏡でも見えない小さなウイルスによりその存在の根底を脅かされるという状況の前に立たされている。森林や土地を限りなく切り開き、自分たちの物欲や快適さのみを追求してきた人類が、そのために野に放たれた目に見えないウイルスのためにこうした活動ができない状況に追い込まれるのは皮肉だ。ウイルスと生物、人類の歴史を振り返り、日本としては明治以降の政治経済、科学、教育、自治などの在り方を総点検するまたとない機会を与えられたとポジティブにとらえれば、やがてウイルスに感謝する新しい社会、生き方が開けるかもしれない。