見出し画像

50を前にして② 母と娘

 母は所謂「発達障害」ではないかと思ったのは、自分の子供がそう診断されて色々調べていた時だった。当てはまる事が多すぎて思わず笑ってしまった程だ。
どんな人? と聞かれたら「無茶苦茶な人」というのが一番初めに出てくるかもしれない。
何処までも自己中心的で、本気で自分を中心として地球が回っていると思う、そんな人。価値観にしろ考え方にしろエキセントリック過ぎるくせに、それを自覚してはおらず、自分が正しいと信じて疑わない。
所謂一般ピーポー達を平気で貶してバカにする。
かなりの俗物で金さえあれば偉いと思っているし、社長だとか医者だとか、そう言う肩書きにヨダレを垂らすほど弱い。
そして酒乱だ。

 私は中学一年になるタイミングで、それまで祖父母と共に住んでいたY市からO市に住む母に引き取られた。母はスナックを経営していて、店舗付き住宅の一階が店、私は三階に一部屋をあてがわれた。
テレビ、勉強机、ソファセット、そして何故か二段ベッド。
贅沢すぎる部屋に喜びはしたものの、どこか知らない人の部屋にお邪魔している感は拭えなかった。  幼稚園から小学校卒業まで過ごしたY市の祖父母宅では、古い長屋で暮らしていて狭いから家族が密に感じられた。寝る時も祖父母に挟まれ川の字で寝ていて、ナメクジ兄ちゃんの事はあれど『家族』の気配はいつも何処にでもあった。
それが、一晩開けたら環境が一気に変わってしまったのだ。
 まず、母は昼間は寝ていて夜活動する。
私が学校へ行く為に起きていくとテーブルの上に千円置いてある。お昼ご飯代だ。朝御飯は用意されて無かったので食べていた記憶はない。
自分で何かを作るという発想も経験もなかった私はその千円を持ってお昼休みは購買でパンを買って食べていた。
部活を終えて帰ると母はもう店にいて晩御飯を作ってくれる。お客さんが来るまでの間だけ店のカウンターに座って母と話しながらご飯を食べるのだが、これも長くは続かなかった。その内にお金が置かれるようになったからだ。
夜になると一人きりになる。
二階にいるとお客さんの歌うカラオケが聞こえてきて、その声を聞くと『人がいる』と感じられるひと時だった。
たった一人で過ごす静かすぎる夜は、堪らなく寂しく心細かった。
毎晩あまりの孤独に泣きながら祖父母に電話をしていた。
祖母からは毎回「お母さんは頑張って仕事してるんやからな」と、要は我慢しなさいと言われ続けていた。
 人恋しい、という経験をしたのは生まれて初めてだったのだ。

 とてもよく覚えている出来事がある。
二階の台所が壊れたのかリフォームなのか、母がいない家に一人の業者さんがやって来た。
黙々と作業をする人の気配を求めて、私は階段に座ってずっと作業を見ていた。
人がいるということに妙に安心し、その安堵から溢れてくる涙を拭いながらずっとずっと見ていたのだ。
業者さんは意味がわからず気まずかったと思う。
階段に座る中学生の子が、話しかけてくる訳でも無く泣きながら自分の仕事をガン見していたのだから。
何度か私の事をチラ見しながら作業を進めていていたのを覚えている。



酔っ払いに囲まれ正座で朝まで

 母が酒乱だと知ったのは、引き取られてまもなくの事だった。
当時、母の家のある地域はとても治安後悪く、ま隣が反社の事務所で家の通りを出てすぐにストリップ劇場があった。
道を挟んだ向こう側にはそういう人達のイカつい事務所が乱立していて、夜になると女の人の悲鳴や酔っぱらいの怒鳴り声や笑い声、また、年に数回程ではあるが夜中にパンパンパンと乾いた銃声なども聞こえて来る事もあった。
これまでの住んでいたY市は山と田んぼに囲まれた長閑な田舎だった事もあり、夜になると一斉に鳴く蛙の声がそれはそれは煩かったが、人の声など聞いたことがなかった。
それもあるが、常に事件が勃発している地域に戦々恐々としていた。
都会っ子の同級生、方言の違いなど、新しい学校にもなかなか慣れず正しく孤軍奮闘の日々だったのだ。
 
 ある夜、家の前で女の人のがなり声が聞こえた。
「ああ、また喧嘩かな」
と、その時は思っていたのだ。が、その怒鳴り声が母の声だと気づいた時、背筋が凍る思いがした。
巻舌で怒鳴り散らかす母の声。
何かあったのだろうかと身を固くして息を潜めた。
 それから、三日にあげず母のその声が聞こえるようになる。
スナックという職業柄もある。
が、後々母という人間をよく知るうちに、強く見えた母は実はとても気の弱い人だということに気づいた。
そんな母が、そんな地域で、女手一つで店を切り盛りし娘を引き取ったのだ。
それはそれは毎日気を張りつめていたであろう。
舐めてくる客、マウントを取ってくる客、母と店を何とかしてやろうという客。
もちろん、反社の客もいる。
そんな一筋縄ではいかない客達に一人で立ち向かうには並々ならぬ強靱な精神力がいったと思う。
気が弱い母は、酒に酔うことで強くなり、怒鳴り散らかし暴れる事で家を、店を、自分を、娘を守っていたのだと思う。
そして、これも後々気づいた事だが、年齢的にこの頃母は年齢的に更年期だった。
とにかく毎晩飲んでは酔っ払い、警察を呼ばれた事など百を優に超えてくる。
 そして、ある日突然、悪夢のような日々が始まったのだ。

 私が所属していた部活は朝練があった。
だから、私は割と早くベッドへ入り寝るようにしていた。なんせいくら寝ても寝足りないくらいの年頃だ。
 そして、夜中の二時を過ぎたくらい。
「宙子ォォ! オイィコラ、宙子ォォォ!」
母の怒鳴り声に目を覚ます。体がこわばり動けなくなる。
程なくして部屋のドアが音を立てて開けられ、目が据わって大虎になった母がフラフラの足取りでベッドに近づき、二段ベッドの上で寝ている私の髪の毛を掴んで引きずり下ろすのだ。
そのまま、日本の未来がどうの、お前らの肩にかかってんのにお前らはどうの、と、訳の分からない因縁をつけられながら店まで連行される。
床に引き倒され目を上げると、同じように酔っ払った大人達が複数人、上から見下ろし威圧してくる。
母に何かを言われたのか、そこから床に正座させられ酔っ払いに囲まれての大説教大会だ。
「ママがどんな思いでお前を育ててるのかわかってんのか!」
主にはそんな話。
「はい」と言っても「いいや、お前はわかってない」と怒鳴られ、黙っていれば「聞いてんのかッ!」と怒鳴られる。
母は、少し離れたところに座り、足を横の椅子に上げて酒を煽り、自分のパンツの中に手を突っ込んで陰部をまさぐりながら「もっと言うたって! この子なんにも分かってへんねん!」と煽る。
 その大人達の中に女の人もいたにはいたが止める訳でも無く「ママがあんたの事どれだけ想ってるか知ってるか?」と勝手に感極まって泣いたりして。
それをまた「見てみぃ! お前が泣かしたんやぞ!」と怒鳴られて、私はどんどん自分が虫けら以下の存在のように感じ、感情が『無』になっていく。
もう足の感覚も無くなるくらい長い時間床に正座させられ、詰られ怒鳴り倒される。
最後は母から「もうええわ! この子に何言うてもこんなんや。何一つわかってへんねん。もう寝え! はよ寝ろ!」とやっと解放される事には白白と夜が明け始める頃なのだ。
 そんな地獄が多いときでは週一。
無い時は二ヶ月ほどない。
いつ来るのか分からない。

 酒に酔っていない時の母は、特に絡んでくることもない。
変な人ではあるが普通に話し、会話もした。
男関係ではお盛んで、常に誰かと付き合っては別れを繰り返していた。
モテていたのだと思う。


大人は誰も信用出来ない

 母には常に彼氏がいて途切れたことがない。
あんなに酒乱なのに良く付き合おうと思ったものだが、家付き店付きの金のかからない女というのもあったのかもしれない、と今なら思う。
バブル期というのもあって店は毎日満員だったのだ。

 ここで、Mさんという常連さんの話をしようと思う。
この人は毎日店に来ていて、オープンと同時に入って来ては母を独り占めできる時間を楽しんでいた。
私は晩御飯を店のカウンターで食べていた。
母はお客さんが来ると晩御飯を持って上に上がれと言うのだが、Mさんはいつも「いいから、いいから。俺の時はおってええから」と私がそこに居ることを許してくれた。
そして、私がご飯を食べ終わるまで色んな話をしてくれて私の話も聞いてくれた。
とても優しい人で、私はこの人の事が大好きだった。
 Mさんは母の事が好きで、だから私にも優しくしてくれるという事は分かっているのだが、母に引き取られてから優しくしてくれた大人はMさんが初めてだったので私は懐いて心を許してしまった。
 そして、私はMさんに母の事を話してしまったのだ。
もちろんMさんは母の酒乱のこともよく知っていた。
「ママはすごい人なんやで。宙子ちゃんは感謝せなあかんで」
 他の大人たちと言っていることは同じでも優しく言われると素直に「うん」と言えるものだ。
そんな話の流れだったのか、母が酔っ払って私に働く無体な事を話してしまった。
辛くて辛くて堪らないのだと。
でも、この事を母には言わないで欲しい。
母が聞いたらまた私はそれをネタに怒鳴られてしまうからと。
Mさんは「分かった」と言ってくれた。
「宙子ちゃんと俺だけの秘密な」

 その日の夜中、私はまた母から髪を掴まれベッドから引きずり下ろされて店に連れていかれた。
何度も往復ビンタをかまされ、流れる鼻血を拭くことも許されず床に正座させられて朝まで酔っ払いの大人達に囲まれて散々に説教された。
「ママの苦労も知らないで悪口を言うとは何事だ」と。
母は、泣きながら私を蹴り、頭や体を拳で殴り、
「産んでやった恩も忘れて私の悪口を言うなんて」と文字通り私をボコボコにした。

もう二度と、大人のことは信用しない。



本日はここまでとします。
書いていると手の指先が冷たくなって震えが止まりません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?