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じぶんの「半分」は、「今いる環境」でできている

ついこの間、今まで頭にも浮かばなかったような荒い言葉が、突然自分の口から飛び出てきた。言いながら、自分でもぎょっとする。

えっ?今の自分?!

心臓がバクッと大きく鳴って、自分で自分に動揺する。動揺しすぎてなんと言ったか記憶がないが、でも、なんでこんな言葉が出ちゃったんだろう。

正直、思い当たる節はある。ここしばらく、仕事先で荒っぽい言葉を浴びるように聞いているのだ。
「うっせーよ!」「知らねーよ!」「さっさと○○やれや!」。もう、タチの悪い中坊の、反抗期並みの横柄さ。さすがにここにいる皆がそうではないし、こうした言葉や態度が私に向けられることもまずないが、それでもこれがまかり通る環境で過ごしていると、私の使う言葉のランクだってアンテナだって、ずるずる下へと下がっていく。

実際、ここで過ごす時間が私の感覚を鈍らせているのは薄々気づいている。自分にとっての当たり前がよからぬ方に引っ張られそうなことにも気づいている。
よくない。とてもよくない。今まで築いてきた自分が、外側からほろほろと崩されていく気分だ。これまで、自分は今まで経験してきたものでできていると思っていたのが、たまたま今いる環境にこうも影響されてしまうとは。こうなると、今の自分の半分は、今いる環境でできていると自覚せざるをえない。

危険だ。これはとても危険な状態だ。
どうしたらいいのだろう。

考えられる対策は、この環境から離れること。距離を置くこと。それに尽きる。
もしそれが今すぐ叶わなければ、浄化の時間をたっぷり持つのも手かもしれない。

「こうありたい」と思うものを溢れるように浴びてすっかり染まり、頭の中に入り込んだ〈よからぬ情報〉を〈魅力的な情報〉に更新する。上書きする。
今、どちらの環境が自分のものになっているか。どちらが圧倒的優位になっているか。そこが肝心だ。

先の、『荒い言葉が、突然口から飛び出て』きてしまったのは、「こうありたい」と思う言葉や感覚に触れる時間や情報量が圧倒的に不足していたからかもしれない。

以前勤めていた設計事務所の所長の口ぐせを思い出す。
「環境は、ひとの心に影響を与えるんだ。だから丁寧に向き合わなくちゃいけないよ」。所長は建築や空間を思い浮かべて言っていたのだろうけれど、なぜだかこんな場面でもその言葉が突き刺さる。そう。環境は、ひとの心に影響を与える。だから丁寧に向き合わないと、たまたま今置かれた環境に“食われて”しまう。

さて。好きな本をたっぷり読んで仕事をして、お稽古をして仲間や同志と語り合って。自分にとって、魅力的な環境をつくろう。
それが多分、今の自分をつくるから。

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