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領域の境界線/開運の、その先へ

最近とても意識に上る。
あるモノ同士の境界線。

例えば、

“アクセサリー”と“ジュエリー”
“ハンドメイド”と“プロダクト”
“プロ”と“アマ”
“美しい”と“キレイ”
“高価”と“高値”

人の“感情”と“感性”と“感覚”は、それぞれどう担当を分けるのか。

似ていても確かに違う。

源流がそもそも違うのか。

途中で分岐するのか。

だとしたら、分水嶺はどこか。


そもそもの源流が違う…ということは。
その二つは、成り立ちが違うということだ。

途中で分岐したのであれば。
分岐させた要因がある。


ジュエリーとアクセサリー…などは、源流が違うと感じる。

プロとアマ…などは、どこかで分岐をした結果に思う。


わたしが今やっていることのいくつかは。
自分自身の中においてであっても、
「これとこれの境界線はどこ?」
と、感じるようなものがある。

いや。
そうじゃない。

この「わたし自身」が、
「今、軸足はどこにいる?どっちを向いている?」
という話なのだ。
おそらく。


以前から、とりわけそんなことを意識するカテゴライズがあって。
そこからは離れようと感じていた。

実際、離れるよ…と言葉にしたこともあった。
ただ、その頃のわたしには、枠を外しきれない恣意的なところがあった。

なにしろ、その枠組は、とても「便利で使いやすい」ものだったからだ。
特に説明をしなくても事足りる種類のもの。
そして、需要もある。

でも今は、
「その枠組にいたら、もうこの先どこにも行けなくなる」
と、感じているのだ。


外す枠は。

「開運」とか「運気UP」という類いの位置づけだ。


わたしは、
【ひとりひとりが
 自分の天下泰平を見出していくことで、
 世の全体が泰平になる】

を、テーマにしている。
そうすると決めた。

開運だの運気UPだので、終わらない。
その先が、ある。

 

開運したら、運気が上がったら、それでどうなるのか。
何が起きるのか。
何を手に入れられるのか。

その先を考えて、意識していくことが大事なんだ。

開運した、運気UPした、やったー!
そんなことで終わっていたらもったいない。

それは、ゴールではなく、通過点ですらない。

ただの「一時的な現象」にすぎない。


冒頭の考察でいくならば。
そもそも「泰平への道」と「開運あるいは運気UP」は、源泉が違うのだ。


キャッチーなフレーズにはなりにくい。
それは承知している。

だから、いろんな手段で伝えていかなくてはならない。

わたしが世に送り出す作品が「ただのモノ」で終わってしまうのか否か。
それは、送り手であるわたしの表現力にかかっている。


わたしの手から生まれてきた作品たちが、その存在意義をきちんと現世で果たすことができるかどうか。

わたしという作る者の…その頭と思考の使い道は、そこにしかない
...のだ。

と、思う。

 


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