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トルクメニスタンのトルクチュカ・バザールで女性の脚衣をみつけた話

トルクチュカ・バザールを懐かしむ

トルクメニスタンの首都アシガバードの近郊に日曜市のように特定日だけ開設されるトルクチュカ・バザールがあり、市内から臨時バスに乗り込んで現地へ向かいました。アシガバードからほど近い、カラクム砂漠のある場所にその日だけ市が立つのです。
トルクチュカとは押し合いへし合いという意味らしいですが、全国から人と車と動物が集まって確かにたいへんな賑わいぶりでした。首都では見られない伝統的な着装をした人々を見ることができたのです。

トルクチュカ・バザール トルクメニスタン 1998年3月

とはいえ、伝統的な民族衣装の被衣チルピやシルバーのジュエリーをふんだんに身につけた姿は見ることはありませんでした。
バザールでは食品、電気製品、道具類、布類、乗物類等様々なもの、羊や山羊、牛やラクダ等の動物が売られていました。絨毯を所狭しと何重にも広げた一角の裏側で民族衣装も見ることができました。
筆者がトルクチュカ・バザールを初めて訪れたのは1997年、その後1998年、2000年。四半世紀経った現在はどうなのでしょう。

トルクチュカ・バザール トルクメニスタン 2000年12月

脚衣は自分で作るもの

バザールでズボンを入手することができなかった、下衣は布地を買って作るもので買うものでないと教えられたと1981年の時点で民族服研究者の松本敏子氏は書かれています。
しかし、ソビエト連邦の崩壊とともに1991年にCIS諸国が独立し、6年を経た1997年には、探してまわれば脚衣バラクを数枚見つけることができました。どれも裾の刺繍部で残りの布を折りたたみ、開かないように糸でざくざく縫いとめてあったのです。

脚衣は下着

バザールのある店で、バラクの中を見せてくれたら買いますと言うと、渋々、ひとつだけ糸を切って広げてくれました。刺繍裾で挟んで全体が見えないようにしてあった理由は、バラクは素肌に着用する「下着」だからであす。
長丈のワンピースを着た状態では裾以外の部分を見せることはありません。その意味で中央アジアの脚衣は西洋のズボンとは別物なのです。ここでは脚衣としたが、むしろ下衣あるいは下着と言った方がニュアンスが伝わるかもしれません。

脚衣についての国内研究

国内での中央アジアの民族衣装に関する研究は決して多くはありません。
脚衣に関連した研究の一部を紹介すると 、ソビエト時代の1978年には加藤定子氏によってタジクの民族衣装について、1981年には加藤氏と松本敏子氏のそれぞれによってトルクメンの民族衣装について、1985年には加藤氏によるトルクメンの民族衣装について等、活発に報告されてきました。その後、1996年に広島県立美術館「アジアの染織展」の5章の一つとしてトルクメンとウズベクを中心とした「中央アジア」の展示を加藤氏の監修の下で行い、2005年の『偉大なるシルクロードの遺産展』では加藤氏監修による各種民族衣装が展示されました。2010年に筆者も本稿に展開した内容をまとめています。それにしても華やかな被衣やワンピースに比べると、脚衣には目が行きにくいようです。
なお、上述した文献情報は次のとおり。

  • 加藤定子「タジクの民族服(三)」『服装文化』No.157 1978年

  • 同「トルクメンのコイネクとバラク」『服装文化』No.172 1981年

  • 同「中央アジア」『世界の民族衣装の事典』東京堂出版 2006年

  • 松本敏子「トルクメン共和国の民族服-下衣について-」『衣生活研究』Vol.8 No.10 1981年

  • 福田浩子「中央アジアの民族衣装・女性用脚衣についての一考察ー広島県立美術館蔵ウズベクのイシュトン、トルクメンのバラクを中心にー」『広島県立美術館研究紀要』第14号 2010年

(続きます)


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