見出し画像

『平家物語 犬王の巻』感想

『平家物語 犬王の巻』古川日出男 河出文庫

『平家物語 犬王の巻』古川日出男/河出文庫
(書影は版元ドットコム様より)

私はこれまで『平家物語』を読んだことがありません。最近、アニメ化されたことは知っていたけど、そっちもまだ見ていません。
なので、映画『犬王』を見るのに事前情報が何もないときっとさっぱりわかんないだろうと思って、映画を観る前に、とこの本を買ってきました。
が、結局映画を観るまでには読み終わらなかった。
映画の時点で半分くらいかな。
そして映画を観て思ったのは、映画『犬王』を観るのに『平家物語 犬王の巻』は読んでおいた方がいい(その方がわかりやすいと思う)けど、『平家物語』は別に読まなくてもいいかなぁ。
歴史の授業で源平合戦のくだりと、安徳天皇とともに草薙剣が壇ノ浦に沈んだことがわかっていれば、平家物語までは読んでいなくてもわかるんじゃないかな、と思いました。
とはいえ、映画『犬王』の感想のところにも書きましたが、私は壇ノ浦から近いところに住んでいるから、自然と知っていることがあるからかもしれないけれど。

この本は映画『犬王』の原作ですが、読みながら、特に映画を観た後に読みながらとても不思議な感じでした。
普通映画の原作と言えば、映画よりもずいぶんボリュームがあることが多いですよね。だから映画では何でここをはしょっちゃったんだとか、もうちょっときちんと描写してくれないとわからないじゃない、と思ったりすることって多いと思うんです。
映画の後で原作を読んだ場合、映画ではわかりづらかったり、さらっと流したところを補完できたりすることもあると思う。
でも『犬王』に関しては、必ずしもそうではない。
確かに原作を読んでいた方がこの話の時代背景や、登場人物の細かな感情や思惑なんかはわかるけれど、むしろ映画の方が細やかに描いている部分もある。
それはたぶん『平家物語 犬王の巻』というお話だからこその部分があるんじゃないかと思うんです。

私は古川日出男さんの他の本を読んだことはないので、古川さんの筆致や文体、作風はこの『犬王の巻』でしか知りません。なので古川さんだからこそ、なのか、犬王だからこそ、なのかがわからない。(解説の池澤夏樹さんの言によると、おそらくは古川さんならではのものなのかな、と思われるんだけど)
でも古川さん自身の「この物語は、走る、はしる」という言葉が、『平家物語 犬王の巻』をものすごくわかりやすく言い表していると思います。
最初の章から最後の章まで続く疾走感!
この疾走感が『平家物語 犬王』の第一の魅力なんじゃないかなぁ。
映画『犬王』の方が細やかな部分もあるというのは、原作の方がものすごい勢いで走っていくから見落としがちな細かなところを、映画ならではの表現で描いているからなのかな、と。

ちょっと脱線しますが、『鬼滅の刃』ってマンガだけでもすごく面白いけれど、あれはアニメ化されてより魅力的になったお話だと思うんですよね。
漫画というのは、もちろんコマ割りや効果やいろんな表現ができるけど、アニメーションになって光や音、速さや静けさ、そういったものが加味されて、より魅力的になったお話だと思うんですよ。
原作が面白く、だけど原作では表現の難しい部分をアニメーションで描いたことによる相乗効果。

『犬王』にもそういう部分があって、アニメーションという表現方法での相乗効果があると思う。
異形の犬王という存在をはじめとした現実離れした設定をどう描くか、ということもありますが、一番は音楽かなぁと思います。メロディだけでなくリズムも含めた音楽。
その音楽と、犬王の世界観をうまく描くには実写よりもアニメーションの方がはまるんだろうな。

この『平家物語 犬王の巻』はそういう作品なのではないかと思います。

映画の感想とあわせて書いているし、自分が呼んだときもそういう読み方をしているから、この本のことだけをうまく伝えられる自信はまったくありません。
ただ、作者ご自身が言われている言葉が『平家物語 犬王の巻』を端的にあらわしていると思うのです。

「この物語は、走る、はしる」

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?